日が傾きかける頃、喜市は川漁師の父と連れ立って、カエル獲りに出かけた。ライギョの生餌にするため、こぶりの青蛙が必要なのだ。
沼に続く湿地には、蛙だけでも何種類も生息している。ニホンアマガエル、ニホンアカガエル、トノサマガエルに、食用蛙とも呼ぶウシガエルもいる。
そのあたりには、他に蛇や蜥蜴もいる。草の実や稲穂が間近にあるから、鼠も隠れている。だが、川漁師の目的は蛙だけである。そのカエル獲りには、喜市が欠かせない存在なのだ。
名人喜市は、濡れた草むらを中腰で進む。
人の気配に驚いた蛙が、あちこちからピョンピョン飛び出す。その瞬間、喜市もまた蛙のように地面を跳び、着地したばかりの生餌を手で押える。
捕らえた蛙は、竹で編んだ平たい魚籠に入れる。蓋を閉じ、次の獲物を狙って、再び忍び足で前に進む。
追っ手の気配に怯えた蛙が草陰から逃げ出す。先ほどと同様に、身軽な喜市の跳躍が見られ、掌からはみ出した蛙の足が、筋肉を強張らせてばたつく。そうした繰り返しの末、魚籠の中には三十匹を越える蛙がひしめくことになる。
喜市の父は、カエル獲りの主役にはなれない。息子ほど敏捷ではないし、大人の動き自体が蛙たちに早くから警報を発するからだ。
そんなわけで、生餌獲りは喜市の仕事、その後の仕掛け作りは父親の役と、おおむね分担が決まっている。
父と子は、開墾田と開墾田に挟まれた水路の一番奥に停めてある田舟に向かう。喜市が先に乗り込み、舟底にわずかに溜まった水をバケツで汲み出す。浸水したわけではないが、風で岸に打ちつけられた小波が、気まぐれに跳ねて舟の中に飛び込んでくる。
太陽に温められた日向水を掻き出したころ、喜市の父が小脇に抱えてきた篠竹の束を、どさりと舟底に投げ出す。
あとは舫綱を解き、力いっぱい岸を蹴って艫を押す。川漁師は慣れた棹さばきで水路の中央に乗り出し、いつもの順路でポイントを回るのだ。
燃え盛った夏の太陽も、あたりが暮れかかると、しだいに熱気を鎮めていく。一刻、凪が訪れ、やがて水面の空気が動き始めると、開墾田の縁に生えた真菰がさわさわと揺れて、空を染める墨色の量が増えていく。
喜市の父は、巧みに棹を操って、開墾田に舟べりを寄せていく。舳先に陣取った喜市は、葦や真菰を掴んで舟を安定させる。
その間に、川漁師の父が魚籠から蛙を一匹取り出し、一センチほどの鉤を持った釣り針をカエルの背中に引っ掛ける。頭の後ろから尻に向けて、胴体を傷つけることなく、皮だけを刺す。
針は長めの凧糸に括りつけられており、その糸は手ごろの太さの篠竹の先端に結ばれている。
喜市の父は、出来上がったばかりの仕掛けを点検し、ここぞと思う田の畦に竹を刺して、さらに一押し差し込む。
単にしっかり固定するだけではない。凧糸をクレーンのように吊り下ろし、蛙がちょうどよい具合に水面に接するように位置を決めるのだ。
着水すると、蛙は逃げ出そうとして動き出す。しかし、何度脱出を試みても、篠竹と糸の弾力によって引き戻される。
いったん仕掛けられると、カエルは明け方ライギョに呑み込まれるか、疲れ切って衰弱してしまうまで、ピョーン、ピョーンと夜通し同じ軌跡を描くことになる。
三十余匹の蛙は、一匹残らず開墾田の外縁から水面に吊るされた。葦に隠れた水路のあちこちで、蛙がつくる水輪がひろがっているはずだった。
一回りして舟着場に戻ると、生ぬるい夜の帳が下りている。喜市は、空になった魚籠を提げて、夕闇に溶け込んでいく父の背中を足早に追った。
翌朝、仕掛けを回収に行った父が、大慌てで戻ってきた。
「喜市、どうもおかしいぞ。誰かに仕掛けを荒らされたかもしんねえ」
ライギョの収獲がいつもの半分以下だった上に、盗られたと思われる仕掛けには、餌のカエルが残っていなかったという。
はずみで餌だけ取られることはあるが、この日の様子は異変を感じさせるものだった。
父の話を聞いた喜市も、まさかとは思いつつ、誰かの悪意を想像せざるを得なかった。
「近頃、谷地のやつらが沼に出張ってきているらしいが、おまえ何か聞いてねえか」
寝起きの頭に、父の声が険しく響いた。
「おれ、知らねえけど・・・・」
うかつに答えると、怒鳴られそうな雰囲気があった。
「勝手にバタッケ獲って、佃煮にして行商しとるっちゅう話だぞ」
たかが鳥貝のことで、厳密に漁業権を言い募る時代ではなかったが、古くから漁で生計を立ててきた喜市の父にすれば、暗黙のうちに認められていた権利を、にわかに侵されるような苦々しさがあった。
「このうえ雷魚や鰻にまで手を出したら、黙っちゃいねえからな」
舌打ちをして、父は宙を睨んだ。喜市は困惑を覚えて、目を逸らした。
その日の喜市の絵日記には、ひまわりや朝顔の花がクレヨンで描き込まれた。
それ以前は、村はずれの雑木林で採ったカブトムシやクワガタの観察記録が、三四日つづいていた。
最大のニュースである狂犬騒ぎのことは書かなかった。まして撲殺現場の探検をしたことなど、おくびにも出さなかった。
書かなかった理由は、いくつかある。親や先生の目に触れるのを避けたい気持ちもあった。一番の理由は、自分のこころの中で、谷地のことが落ち着きなく揺れ動いていたからだ。
舟を持てないほど貧乏な谷地の人間が、どのように雷魚を盗んでいったのか疑わしかったし、他人の舟を無断で使ったとしても、慣れない者が巧く操船できるとは思えなかった。
まして、人目につかないように設置した仕掛けの針を、短時間で回収することなど不可能に近い。
それだけではない。狂犬を退治した中学生の功績を、もっと認めてやってもいいのではないか。そんな不満もある。
何か事があると、谷地の者に疑いを向ける大人たちの態度に、気持ちが沈む。絵日記に花の絵を描いてみても、喜市の胸にそらぞらしさだけが残った。
長い夏休みが終わって、二学期が始まった。
喜市たち五年生は、ほとんどが日焼けした顔で席に着き、担任の草野ハナ先生を喜ばせた。
午前中は絵日記や宿題を提出し、一人ひとりが夏休みに体験した出来事を発表しあった。
順番がマツ子に回ったとき、教室の雰囲気が少し変わった。先生に何度うながされても、もじもじと身をよじったまま机の前を離れようとしなかったからだ。
喜市が首をひねって後ろの方を見ていると、一瞬上目遣いに周囲を窺ったマツ子の口元に、妙な笑みのようなものが浮かんだ。
恥ずかしがっているのか、あるいはマツ子自身の意識にもない反応だったのか、同い年の男子児童などには想像もつかない表情を見せたのだった。
困惑していたのは、他の生徒も同様だった。トンチンカンな反応をして、マツ子がその場でおしっこを洩らしてしまったと疑った者もいた。
皆が無意識のうちに狂騒的な気分になっていた。はしゃぐ者、無口になる者、悪ふざけする者で収拾がつかなくなり、教室中に混乱が生じていた。
「マツ子さんのお話は、先生があとで聞くことにしましょう」
草野先生は、助け舟を出した。
マツ子は「うん」とうなずいたように見えたが、いっそう顔を伏せ、いやいやをしているふうにも受け取れた。
「じゃあ、次・・・・」
先生の合図で、里芋頭の逸男に順番が移った。
「おい」
隣りの将太が、喜市のわき腹をつついた。「・・・・マツ子のお乳、膨らんだと思わねえか」
言われてみると、将太のいうとおりマツ子の胸の辺りが、夏休みの前よりぼやけて見える気がした。
白い半袖シャツの下に、もう一枚厚みのある布が隠されている印象なのだ。それが母の乳当てと同じものかどうかは知らないが、牛蒡のような女の子が多い中で、マツ子だけが秘密めいた靄に包まれていた。
(つづく)
(2009/02/01より再掲)
2023-05-19 11:37:11
(ウォーク更家)さん、終戦直後の食糧難を知っている方がいましたか。
そうそう、うちでも鶏を飼っていました。
父親が鶏をつぶして血抜きをして調理の下ごしらえをする様子をつぶさに見ていました。
そういえば鶏小屋が野犬に襲われて羽が飛び散っていたのを思い出しました。
カエル釣りに煙草の吸殻かァ、エサの虫に似ているのかな?
言われてみれば狂犬の撲殺現場への探検は映画・スタンドバイミーの雰囲気にそっくりですね。
子どもが抱くワルモノへの興味や怖れはトム・ソーヤやハックルベリー・フィンの時代と何ら変わっていませんね。
コメントありがとうございます。
我が家では、卵と鶏肉のために鶏を飼っていましたが、野犬に襲われることが度々ありました。
その頃の我々の遊びは、カエル釣りで、エサはタバコの吸い殻でした。
狂犬の撲殺現場への探検は、映画・スタンドバイミーの雰囲気を思い出しました。