どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『ゆきちゃん』

2022-10-16 00:00:48 | 短編小説

 その夜、スナック『ゆきちゃん』は店内いっぱいの客で混み合っていた。 

 長さ一間ぐらいのカウンターには肘がぶつかるほどの間隔で男たちが並んでいたし、背後のテーブル席二つにもぼくら四人の客が陣取っていた。

 普段はママと向かい合って総勢五人並べば盛況といえる空間に、休日の夜八時だというのに男が九人ひしめいていたのである。

「ママ、いつものやつ・・・・」

 常連風を吹かす客がどこにでもいるものだが、ママと呼ばれた女将は気にすることもなくイカとじゃが芋の煮付けを小鉢に盛って客の前に置いた。

「おれは冷汁、他に身欠きにしんとコンニャクの煮付けがいいな」

 季節は三月下旬で、春とは言ってもまだ寒い。スナック『ゆきちゃん』の人気メニューはママのつくる煮物に集中していた。

 酒は最初の一本だけがビールで、あとは日本酒に切り替える客が多かった。

「すみません、お銚子もう一本・・・・」

 テーブル席のもう一方の客からも声がかかる。

 遠慮がちなのは、たまにしか利用しないからだ。

 ぼくらもコンサート会場からの流れで、久しぶりに人生横丁を訪れたのだった。

「はいよ」

 ママは何ヶ月ぶりだろうと、一度来た客の顔は忘れない。

 たまにでも来てくれる客には、かえって気を遣っているようだ。

「スーさん、悪いけどお願い」

 言われるまでもなく、カウンターにいたジャンパー姿の男がさっさと後ろの席にお銚子をリレーする。

「あ、どうも・・・・」

 旋盤工だというふたり連れの一人が、手だけ伸ばして受け取った。

 酒もアテも、ここではそうして提供されるのだ。

「しかし、今日のユキチャンはすごかったね」

 このスナックには珍しい背広姿の老人が口火を切った。

「まさか8番人気の馬が来るとはね」

 定職につかず、女の金でチビた賭け事を続ける髪の濃い男が早速食いついた。「・・・・今年のミモザ賞は、ダークエンジェルで間違いないと思ってたのになあ」

 嘆きのトーンから、万を超える金額をスったのだろうと想像された。

 もともと潤沢な資金に恵まれているはずはないから、メインレースでしくじれば浮上の目は少ない。

 まさかオケラ街道を歩いて帰ってきたとは思えないが、バスと電車を乗り継いでやっと池袋までたどり着いた疲れがたるんだ目蓋に滲み出ていた。

「健介さん、この前ここでユキチャンの話をしていなかったっけ?」

 背広の男性が穏やかな口調で言った。「・・・・僕はママに義理立てしてユキチャンの単勝を千円だけ買っといたよ」

「ほお、やりますねえ」 

 老紳士の隣りの椅子に座っていた常連客の一人が合いの手を入れた。

 この男は鉄砲打ちが趣味だとかで、まもなく禁猟期に入るのを気にしていた。

「おれは馬鹿だよ。・・・・たしかにダークエンジェルは強いが、ユキチャンにも多少の脈ありと睨んでいたのになあ」

 健介と呼ばれた男が、人差し指で耳の穴をほじった。

「まあ、専門家もダークエンジェルで断然だったからなあ」

 ほお、やりますねえの客が、髪の濃いリージェントスタイルの健介の横顔を盗み見た。

「だってよお、1200米ダートからいきなり2000米芝への距離延長だぜ。体質の弱い白毛の馬が、この距離持つとは考えられなくなっちまったんだ」

 あくまでも自分を正当化しようとしている。

「だけど、単勝1400円ぐらいしかつかないんだから、結構買ってる人がいたんだな」

 当てた余裕もあるのか、カウンター中央部の老紳士は背広の背中をぐっと伸ばした。

「先週はみんなママに乗るとか言ってたけど、本当にユキチャンを買ったの先生だけ?」

 女将がやっと会話に入ってきた。 

 先生と呼ばれた老境の男は、うれしそうに相槌をうった。「・・・・まあ、僕だけがママに操を立てたというところですな」

 ヒョーッ。

 店内にいくつかの奇声と拍手が湧いた。

「まあ、こんなおバアちゃんをからかって。・・・・山形から送ってきた雪菜のお浸しを出そうと思ってたけど、やめにしようかな」

「いやー堪忍、食いたい食いたい。東京じゃ雪菜なんて、料亭にでも行かなきゃ出してくれないからな」 

 そうだ、そうだと口々にはやし立てる。

 山形出身のママは、人生横丁のどん詰りに開いたスナック『ゆきちゃん』をもうかれこれ二十年近く経営している。

 年齢は六十をわずかに超えたぐらいだが、四十歳のとき亭主と死に別れて以来浮いた噂はないことになっている。

 生命保険で得た資金でこの店を買い、毎日近くのアパートから通って12時の閉店まで一人で切り盛りしている。

 深夜までやらないのは、ねばる客に閉店後まで居座られないようにするためだ。

 客が一斉に引き上げるよう、気心の知れた常連客も協力してくれるのだ。

「腹減ったから、そば食って帰るわ」

 閉店時刻が迫ると、誰かしらが合図をしてくれる。

 山形産のそばを乾麺から茹でて、地鶏の肉そばで供するのだ。

 だから、そばが出ればお開きになる。未練を残しながらも連れ立って帰る習慣が『ゆきちゃん』の掟になっていた。

 この夜はまだ宵の口だったし、客はほとんどが顔見知りだった。

 雪江というママの名にちなんでスナック『ゆきちゃん』が誕生し、客は一人ひとりの人生を関係付けて通ってきている。

 先週は、さらに白毛馬ユキチャンの話題で盛り上がった。

 その夜の顛末を確かめるために、普段は家庭サービスに当てる日曜日に来ているのだ。

「実は、ぼくも少しばかり取らせてもらいました」

 カウンターの一番端っこでカラオケの歌詞カードをめくっていた猫背の電気工事人が、ひと渡りみんなの様子を窺ったあと口を開いた。

「へえ、あんたも取ったのか。ママ、律儀な人は僕だけじゃないよ」

 ママに先生と呼ばれた老境の紳士が言った。

 万が一の誤解を、あらかじめ封じておこうというニュアンスも感じられた。

「いや、ぼくの場合は連複200円をバラバラ散らして当たっただけですから」

「なに! 連勝複式だって? たしか、13000円ぐらいの穴馬券じゃなかったか。200円でも当てりゃあすごいよ」

 鉄砲打ちが、カモを撃ち落とした時のように興奮して叫んだ。 

「なんだよ、カスつかんだのは俺だけか・・・・」

 ヒモ暮らしのリージェント男が舌打ちした。

「まあ、気を落とさないで。ユキチャンなら次も儲けさしてくれますよ。・・・・オークスだって狙えるんじゃないですか」

「ほんとだ。あの真っ白の馬体が、先頭でゴールに飛び込んできたら映えるだろうな」

 ぼくら門外漢は話題に立ち入ることはなかったが、繁殖牝馬のシラユキヒメがクロフネとの間で生んだ三番目の白毛馬だというので、マスコミの話題になっていた。

「ユキチャンすごいな。・・・・オレ<おゆき>を歌って祝福しちゃおうかな」

 鉄砲打ちが、カラオケのリクエストをした。

 ママが「樽平」の温燗を老紳士に出したあと、ディスクを探し出してセットした。

 世間では通信カラオケが主流になっていたが、『ゆきちゃん』では未だに旧式の器械を買い換えることなく使い続けていた。

 映像を伴わずに、前奏が流れ出す。

 鉄砲打ちは間合いを図って、最初の歌いだしを間違わなかった。

 手元の歌詞カードと首っ引きだが、高音部に手こずりながらもなんとか唄いきった。

「まあ、日陰の女の歌だけど、取れなかった我々への励ましと思えばピッタリだ。國男さん、ありがとう」

 健介さんが皮肉っぽく鉄砲打ちを褒めた。

「ヘッ、茶化さないでよ。オレとしては精一杯唄ったんだから・・・・」

 鉄砲打ちは、馬券絡みの三人の顔色を気にしながら椅子に腰を下ろした。

「あとはママの河内おとこ節を聞かしてもらって、早めに帰るよ」

「あら、皆さんの歌をひと通り聞いてから帰ったらいいじゃない。それとも子供さんと約束でもあるの?」

 なあに、そんなものあるもんかと、他の常連客が手を胸の前でクロスさせて茶化した。

「オレはママの歌を聞いたら帰る。・・・・さあ、河内おとこ節唄ってよ」

 鉄砲打ちは、少々意地になったようだ。

 女将は仕方ないといった表情で、中村美律子ばりの声量でリクエスト曲を歌い上げた。

 全員が惚れ惚れとした様子で、配られた独活の酢味噌の鉢を目の前に、箸を止めたまま聞き入っていた。 

 

 

 フローラステークスで3着以内に入れず、ユキチャンは賞金不足でオークスの出走権利を得られなかった。

 それでも地方競馬との交流戦「関東オークス」でG2優勝を果たすなど、ユキチャン人気は全国区になりつつあった。

 このとき2着馬に付けた7馬身差の圧勝劇も驚きだったが、川崎競馬場の照明の中に浮かんだ白毛馬の輝きは、ジョッキー武豊の勇姿と共に語り草になった。

 サラリーマンのぼくたちは、その後のユキチャンを追いかけることもなかったし、スナック『ゆきちゃん』に通うこともなかった。

 あの日から五年の歳月が流れた今年5月、池袋で催された仲間の出版記念会に参加したあと、ふと懐かしんで独り人生横丁を訪れた。

 確かこの奥だと記憶をたどりながら路地を進んだが、目当てのスナックは発見できなかった。

 (えーと、ゆきちゃん、ゆきちゃん・・・・)

 二股になったもう一本の路地にも入ってみたが、そちらは第一歩を踏み出した瞬間にもう記憶の肌がざわついて、ぼくが数回通った道ではないことを教えてくれた。

 ぼくは思い切って、一軒の飲み屋の暖簾を分けて声をかけた。

「すいません、『ゆきちゃん』というお店を探して来たんですが、この辺じゃなかったでしょうか」

 するとカウンターの中から肥った女性が立ち上がって、ぼくを見定めるように視線を強くした。

「ああ、ゆきちゃんは一昨年廃業したよ。空き巣に入られて、事業資金までごっそり持って行かれて、さすがにやる気なくしたみたいよ」

 農婦が台所に立っていた印象の『ゆきちゃん』のママと異なり、こちらの女性はアフロヘアをゆさゆさ揺すって現代風だった。

 情報を小出しにして店内に誘う商売気も見せず、個性的な顔立ちと共に好感が持てた。

「そうですか、そりゃあ残念、常連客もずいぶん悲しんだでしょうねえ・・・・」

「そりゃあそうよ、あんた。・・・・お恵ちゃんが大好きだったスーさんも、しばらくウチに来ていたけど、いつの間にか姿を見せなくなったわ」

 (ああ、あの人。よく、お別れ公衆電話を唄っていたなあ)

 思い出しながら、このエスニックともアフリカンとも言えない多国籍風スナックでは落ち着かないだろうなあと納得した。

「いろいろ教えていただいて、どうもありがとう。今日は急いでいるけど、今度寄せてもらいます」

 どこまで本気なのかと、自分の胸中を覗いてみたくなる言葉だった。

 世の中の会話は、大半が空気のように軽い言葉で成り立っている。

 スナック『ゆきちゃん』で交わされた言葉も、思いつきやノリで出来上がっていた。

 ユキチャン人気も同様で、テレビ局や予想紙の仕掛けだったかもしれない。

 しかし、ぼくの脳裏には、いつも変わらぬママの受け答えと「河内おとこ節」の美声が残っていたし、テレビで観たユキチャンの純白の馬体も忘れられない。

 美人薄命といわれる中、ユキチャンは白毛馬初の重賞を含む生涯5勝の活躍をしてファンを喜ばせた。

 次第にグレーの肌に変わっていく白馬が多いのに、ユキチャンはレース出場のたびに日差しを受け、あるいは照明を跳ね返してキラキラと輝いていた。

 空き巣に入った泥棒は、雪江さんと会話を交わす状況を最初から除外していた。言葉を使うことを恐れていたのだろう。

 入り込まれた側にとって、無い言葉ほど過酷な言葉はない。

 無言・・・・こんな伝達を受けるより、ワイワイガヤガヤ、99%のいい加減さを含む会話の方がよほどいい。

 ぼくは多分、アフロヘアの女性が好きになったのかもしれないと思った。

 あの率直さ、あのまっすぐの目がぼくの額に食い入っていた。

 山形料理もよかったが、多国籍料理にも興味がわいた。

 人生いろいろ・・・・、出会いもいろいろ、幸いお千代さんはまだ健在だから、好きな歌手はまだ残っている。

 アフロヘアのお姉さんのところでは、何を聞かせてくれるだろうか。

 どれほど旨い料理を出してくれるのか、ぼくは近いうちに必ずまた人生横丁を訪れるだろうと、もう一人の自分に頷いてみせた。

 

     (おわり)

 

(2013/11/10より再掲)

 

 <注>実際の『人世横丁』は、2008年7月をもって閉鎖されました。

 

    (参考)

   ユキチャンの画像

   

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新企画『ととのいました』(15) | トップ | 新企画『ととのいました』(16) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事