(アカシャの海)
来人は、机の上に置いたフラッシュライトの光を見ているうちに眠りに引き込まれていった。
勉強をするのと同じ姿勢のまま、急速に天空に運ばれていた。
地球から切り離された感覚があり、とてつもなくリラックスした気分を味わっていた。
肺に入りこんでくる細かい粒子が心地よかった。
深山で吸う空気に似て、体の細胞がどこまでも広げられるような安心感があった。
(ああ、ここがアカシャか・・・・)と喜びが湧いてきた。
天空の海に、薄い靄のような膜が浮遊していた。
懐かしさが鼻の奥にツンと刺激を与えた。
この空間に無心の祈りを捧げれば、自分の願いが聞き届けられる気がした。
近しかった家族、亡き友人たち、来人に同調する多くの思念が、彼に貴重な情報をもたらしてくれる。
アカシャに記録されたすべての出来事が、来人のコンタクトを待っているはずだった。
アカシックレコードに関心を持ったのは、来人が16歳のときだった。
日本の前衛詩人タキグチの作品を読んだのが、最初の出会いだった。
イギリス人の父と日本人の母を持つ彼は、母方の祖母の発案で来人(ライト)と名付けられた。
建築家である父とは異なり、中学生の頃から詩の世界に傾倒した。
高校進学をして出会ったのが、瀧口修造の詩だった。
自動記述と呼ばれる方法で書かれたシュールレアリスムの詩が、来人の心を揺さぶった。
タキグチを通してアンドレブルトンの存在を知った。
この教祖的人物に惹かれ、エドガーケーシーにたどり着いた。
無意識下の世界が伝えてよこすメッセージを、どのように記録するのか。その方法に興味を持った。
エドガー・ケーシーは、他者による催眠施術によってどこからか望むものを手に入れた。
ケーシーが無意識裡に語ることを、他者が記録するという方法だった。
一方、一部のシュールレアリストが試みた自動記述は、夢の中に立ち現れたものを自ら記録する。
来人は、フラッシュライトを使った自己催眠によって、浮かんできたものの自動記述を目論んだ。
机の上に置いた大判の紙に、さまざまのイメージを記すことができるようになった。
文字化した来人の詩は『詩学』に投稿され、その中のいくつかは選者の注目を集めた。
例えば、原爆に焼かれたスルメが、大空から地上の静寂を俯瞰する詩。
『灼熱のヒロシマ』
< 黒い、黒い地球の一点が、激しくマグネシュー無
ぼくの縮れたゲソが身もだえする
焼けたスルメが舞い上がる
地表の影はエノラゲイ(Enola Gay)
原爆投下の反作用、空へ空へと落下する
天へ天へと駆け墜ちろ!
まぶたを閉じる星と月 ぐんぐんぐんぐん量子群
眩暈したままスルメが空を飛ぶ ぶんぶん
イルカの海に落ちた三日月を、擦ル目が追走追尾する
群れたイルカが三日月をガードするとき、波間をくぐる宇宙の残骸
仄明るい星・月・擦ル目の固まりが、沖合いで灯籠になる
流れ寄り、ぶつかり、寄り添い、融合し、滔滔浪浪する
赤い、明い、熱い、暑い・・・・
灼熱のヒロシマ、けだるい夏 >
来人の視たスルメの形は、リアルだった。
滑空する姿は、日本列島の姿にそっくりだ。
頭は北海道、胴体は本州、足は九州か。
(ああ、解釈はいかん!)
解釈が入るのは、詩作を意識するからだ。
シュールレアリスムはどこか嘘くさい。
シュールレアリストと名乗る者は、他称自称とも胡散臭い。
それに比べて、アカシャの海は透明だ。
エドガーケーシーは選ばれたメッセンジャー。
無欲になったら、来人(ライト)も近づけるだろうか。
(緑の光が点滅する)
LEDフラッシュライトが遠退いていく。
来人は机の上に突っ伏したまま・・・・。
右手に持ったボールペンが動き出す。
(言葉は卑しい。ことばは虚しい・・・・。)
言葉を貶めるなど、来人の意識にはないはずだ。
宇宙に横たわる虚空蔵菩薩。アカシャの海。
神の代理人=チベット僧、ヒマラヤ聖者、稀なるアメリカ人・・・・。
(言霊は尊い・・・・)
さて、来人に下される箴言は?
<汝、自動書記なる手段を用いて己の欲に供するは無欲の欲と心得るべし>
机に広げた紙の上には、つぎのようなコトバが・・・・。
「余は、世が必要とするときのみ現れる・・・・」
来人は、まだ夢の中。
(おわり)
詩人の源泉混沌の無意識世界・・・短編シリーズもついに窪庭さんの源流部分に直接踏み込みましたか。
このあとの展開が興味深いですね。
夢の中では無意識下の衝突が象徴化され、どの夢にも夢を見るひとにとって象徴的意味がある、と著書に書かれています。
そして睡眠と夢は健康と命を保つのに必要だとのこと。
(知恵熱おやじ)様、最新の夢事情を教えていただきありがとうございます。
医学と芸術はまったく別物のように扱われていた時期がありましたが、実は裏表の関係にあるのですね。
原始世界への回帰をめざすアミニズムは、その一端でしょうか。
人間は未分化の状態で最も力を発揮する気もします。
シリーズの方向性は、まったく見えません。
先ほどのコメント中、「アニミズム」がアミニズムになっていました。訂正します。
まず、表紙の模様が変わったのにびっくり。
前回分から衣替えしたのですね。
"クボニワ・ワールド"にぴったりじゃありませんか!
途端に出てきた名前が「来人」。すぐに「らいと」と読めました。どこかで知った来夢来人という字が気に入っていたからです。
そして、引用された『灼熱のヒロシマ』という詩に、ぐいっと引き寄せられました。
自作と思われますが、こんな詩人だったんだと著者を再認識しましたよ。
こうした幽玄の世界をも描きながら、これからも超短編シリーズを続けるとしたら、楽しみが倍加していくでしょう。
さすがに映画通のくりたさん、ありがとうございました。
チャップリンの名作「ライム・ライト」に繋がる連想だったこと、光栄におもいます。
また<詩>に言及していただき、感謝申し上げます。