(夜な夜な鼠)
千賀の浦相互銀行の社長である佐々博文は、豪邸に住んでいるにもかかわらず鼠の被害に悩まされていた。
それというのも夜な夜な鼠が出て、社長の集めた仏像や経典を食い荒らすからである。
とくに最近手に入れた薬師如来像は、全身金粉で覆われた値打ちものなのだが、その仏像の被害が目立っていた。
まず最初に鼻が狙われた。
鼻の頭を齧られて、せっかくの慈悲深いお顔が台無しになった。
次は薬壷を持つ指が狙われた。
支える指がすべて食いちぎられて、薬壷が転げ落ちた。
薬師如来への攻撃が一段落すると、つづいて掛け軸に仕立てた経典の二文字が食いちぎられていた。
出家した武将が書いたとされる、南無妙法蓮華経の『蓮華』という部分だった。
二文字とはいえ、被害は甚大なものだった。
何百万円、何千万円が鼠のいたずらでふいになった。
時あたかも高度経済成長期で、庶民が持ち寄る小金をまとめて大手の建設会社に貸し付ければ利ざやは稼げた。
しかし、カネに飽かせて値打ちものを蒐集しても、鼠を捕えなければイタチゴッコだ。
そこで監視カメラを設置して見張らせたが、夜な夜な現れる鼠の狼藉は止むことがなかった。
佐々博文は、警備会社に文句を言う一方、密かに罠を仕掛けて自ら寝ずの番を買って出た。
ネズミ捕りの中に本物の小判を置いて、鼠をおびき寄せようと考えたのである。
さすがに金儲けの天才だけのことはある。
佐々博文の推察どおり、鼠は罠に近づきクンクンと匂いを嗅いだ。
佐々は隣室で監視カメラを見ながら心臓の音を高鳴らせていた。
鼠がネズミ捕りの中に入ったら、すかさず隣室に飛び込んでひっ捕らえようと身構えていた。
ところが、わずかに体が動いたのか佐々の座っていた椅子がギーっと軋んだ。
とたんに鼠は向きを変え、あらぬ方へすっ飛んで消えた。
隣室はぐるりと襖で囲まれ這い出る隙間もないはずなのに、一瞬にして鼠の姿が見えなくなったのだ。
監視カメラのビデオテープを巻き戻してみても、どうしても鼠の行方を見定めることはできなかった。
鼠が這い出る小さな穴はないか、襖はもとより長押から違い棚、掛け軸の裏まで目を皿のようにして探した。
しかし、そのような穴はどこにもなかった。
部屋の隅には高価な屏風が広げてあるが、一時的に身を隠す場所さえなかった。
それどころか、襖まで若干の距離があって、座敷から抜け出すには不可能な位置である。
畳を食い破って潜り込むことまで考えたが、そうした形跡はまったくなかった。
佐々博文は瞑目し、その後ハタと膝を叩いた。
なぜか一休さんの頓知噺に思い至ったのだ。
「一休よ、この屏風の虎が夜な夜な抜け出して暴れるので退治してくれぬか」
小僧の頓知の評判を聞いた足利義満が、一休を困らせてやろうと難題を吹っかけたのだ。
「はい、わかりました。捕まえますから、虎を屏風から追い出してください」
一休さんがにっこり答えたので、足利義満がいたく感心したという説話である。
(この話、少しひねったらどうなる?)
いま座敷にある鳥獣戯画をもじった金屏風の絵の中に、生きた鼠が潜りこんだのではないか。
あるいは、金屏風の中に描かれていた鼠が夜な夜な抜け出し、散々悪さをしたあげく元の場所に戻ったとも考えられた。
一休さんの場合は単なる頓知噺だったが、何かの加減で異能を獲得した鼠が次元を超えて動き回った形跡があった。
「これは大変なことになった・・・・」
佐々社長は、思わず呟いた。
事実を確かめるのが先決だが、自分の推理が当たっていたらと考えると不気味さを覚えた。
それでも室内の明かりを煌々と点し、これまで確かめたことのない屏風絵を端から吟味した。
そして、とうとう発見した。
ジャンプする蛙の横で、ずるそうに身を縮める鼠を見出したのだ。
(やっぱり・・・・)
鼠が元からそこにいたのか、それとも新たに飛び込んできたのか、社長には分からなかった。
もともと絵の鑑賞に興味があったのではなく、ある目的のために購入した品物なのだ。
業績の芳しくない地方銀行を、格下の千賀の浦相互銀行が吸収合併する策を、ある有力政治家と練っていたところだった。
ところが、したたかな仲介者である政治家は、できるだけ多くの口利き料を取ろうとして佐々を焦らしてくる。
成功報酬は増えてもかまわないが、下手な渡し方をすれば贈賄容疑でお縄になる可能性がある。
相手は老獪な政治家だから、佐々博文の罪は露見しても、自分が収賄の罪を被るようなヘマはしないはずだ。
数千万円の値をつけられている金屏風を、どのように引き渡すか悩んでいたところだったのである。
「そうだ。あの鼠が屏風にとどまっているうちに、渡してしまおう」
さっそく政治家の秘書に連絡して、引き取らせた。
「もしマスコミに嗅ぎつけられたら、私から借りたことにしてください。気づかれなかったら日を置いて処置してください」
政治家の手に渡った金屏風には鼠が潜んだままだ。
厄介払いした鼠が、この後どのような動きをするかは見当も付かない。
金が好きな鼠だから再び悪さをするに決まっているが、様子の分からない政治家宅ではしばらくなりをひそめるだろう。
たとえ早々に狼藉を始めたとしても、新所有者側は誰も気づくはずがないと踏んだ。
吸収合併がなった後、強欲な政治家が周章狼狽するのを想像するのはなかなかの快感だった。
佐々博文は、自分の所業を棚上げしたまま、仲介者のワル賢さを心の中であげつらった。
「わが千賀の浦相互銀行が、晴れて普通銀行になった暁には、わしは念願の頭取じゃ・・・・」
もう調印が済んだような気分で、悦に入っていた。
ひとり祝杯を挙げて眠りに落ちた佐々博文は、夢の中でも気炎をあげていた。
(さすがの鼠も、わしの寝ず見の監視には参ったろう!)
どうやら、ネズミと寝ず見を引っかけて大向こうを唸らせているつもりのようだ。
皮肉なことに、不寝番の疲れを引きずる老人が口を開けて寝ている間に、例の鼠はせっせと金の茶釜を齧っていた。
実は金屏風が政治家秘書のワゴン車に積み込まれるとき、鼠が一匹後部ドアから飛び降りたのを誰もが見逃していたのだ。
金の茶釜を齧っているのは、紛れもなく金屏風の鳥獣戯画から抜け出した鼠だったのである。
運ばれた金屏風に、鼠が描かれているかどうかなど、秘書も政治家もまったく関知しない事柄であった。
政治家の強欲を嘲笑った佐々社長だったが、金好きの鼠は輪をかけて強欲な佐々の家に留まることを選んだのか。
金屏風に逃げ込めなくなるリスクを冒してまで、鼠はなぜこの家に居座る気になったのか。
鼠の真意は、まだ誰にも分かっていなかった。
(おわり)
そういえば以前T総理大臣が何億円かの屏風を賄賂にもらって、結局退陣に追い込まれた事件がありましたっけね。
そのときも金(かねかきんか?)が好きな鼠が出たり入ったりしていたのかな。
したたかですねー。もっとも夜な夜な鼠を呼び込んでいるのは、金好きの人間の方なんでしょうが。
たっぷり愉しみ、やがて爽快でもありました!
窪庭さんの絵が描かれる世界は、私には難解なものも多いのですが、こういう話には、文句なく共感できます。
雪舟の描いた猫の絵でも一緒に収納したらいかがでしょうか。ネズミを退治してくれるかもしれません。
ガモジン
そこに何ともいえぬ皮肉が漂っていて、作者は苦労しながらも愉快がっていたような気もします。
鼠にとっては何が楽しみなのかについても想像してみましたが、凡才には分かりません。
でも、そんなことを考えさせる技がまた、冴えているようですね。
いよいよ快調な超短編シリーズに乾杯!
なんだか日本の政治風土も変わりそうな気がしませんか。
(ガモジン)様、雪舟の猫の絵をいっしょに置くアイデア、面白そうですね。
もっとも、あっさりと鼠を捕まえちゃうと、事件は起きないか・・・・。
(自然児)様、鼠にとっての楽しみは何かとの設問、どきりとしました。
金を齧ること以上のウッヒッヒを明確に付け加えるべきでしたか。