月の満ち欠けを表す呼び名はほぼ一日ごとにある。
新月、三日月、十三夜、十五夜、十六夜などは誰でも知っているが、十日夜〈とうかんや〉の月はあまり知られていない。
稲の収穫を感謝し翌年の豊穣を祈って、 田の神 に餅やぼた餅を献じるほか、稲刈り後の 藁 を束ねて 藁づと や 藁鉄砲 を作り、子供達が地面を叩きながら唱えごとをする行事である。
田の神というとむかし「新日本紀行」で初めて見たときの驚きを思い出す。
たぶん東北地方の行事だったと思うが、目には見えない田の神様を座敷に上げ風呂に入れたり御馳走でもてなしたり一晩中お世話をするのである。
この行事は一つの集落で一軒の当番が順繰りにやるのだが翌年のために手順を教えることまで正確に踏襲されてきた。
とにかく見えない神様に酒をついだり牡丹餅を食べさせたりする仕草が面白い。
風呂の場面はもっと面白い。
日本のパントマイムと言いたいところだがちょっと違う。
神様が介在すると笑って終われないところが独特である。
稲作民族が弥生時代以降いろいろ経験してきた病虫害による不作を避けるために田の神様に豊饒を祈る行事として「十日夜〈とうかんや〉」があり月の満ち欠けにを表す名称となっている。
稲作にとっては天候不順による不作が一番怖い。
日照りで水不足に見舞われる年もあれば冷夏で稲の穂に実が入らない年もある。
冷夏の年には娘を売って一家の食い扶持を減らし、同時に家族の命をつなぐといった悲劇が数多く発生した。
天明の大飢饉がよく知られているが、そのあとも天保~昭和まで東北地方ではたびたび冷害〈やませ〉に泣いた。
売られた娘の中には最終的にストリッパーになった人もいる。
事実踊り子の出身地で多かったのは長野・岐阜地域と福島と言われた時代があった。
あくまでも噂だから確固とした根拠はないが、長野と岐阜にまたがった地域は女工哀史のもととなった紡績工からの転身が多かったのではないか。
福島の場合も不遇な家庭環境の女性が多すぎて、東京という受け皿が買い手市場の態を呈していたから粗末に扱われていたのかもしれない。
同じ踊り子でも常磐ハワイアンセンターのフラダンサーになった娘もいる。
運営会社だった炭鉱会社が自社の地下温水を利用して始めたリゾートプールやホテルが大当たりで業績が大躍進した。
ところがその後、石油輸入の自由化が決まり、石炭産業の構造不況が明らかになって会社はいくつかの部門で休業を余儀なくされることになった。
フラダンサーたちは各地の催しものに派遣され、イベント料を稼ぐとともにお客様を楽しませた。
たまたま地方のストリップ小屋をドサ回りしていた踊り子がフラダンスのイベントを見て踊り子同士で話す機会があり、同じ出身地であることを知る。
数時間後同行していたヒモの男にストリッパーをやめたいと漏らすと実家に連絡して保証金を請求すると脅かされた。
身内に知られるのが怖くて死を選んだ娘の遺書が哀れだった。
自分を売った父や母に詫び、自分の弱さからヒモに脅されたが衣装料などを払う契約書など存在しないから家で負担する必要がないことを書き連ねた。
事件を担当した刑事も思わず胸を詰まらせた純情さに、いずれ怪談の一つや二つは生まれそうなので予告しておく。
「十日夜〈とうかんや〉」の月は見るからに不吉な影を地上に投影するるから見ない方がいい。
〈おわり〉
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