右肺の中葉と下葉を切除したとき、ぼくは確かに夢を見ていた。
正確には、手術の最中ではなく、全身麻酔から覚めたあとの腫れあがる痛みのさなかであった。
その夢は、いきなり漆黒の闇を駆け上り、中空で花開いた。
ぼくは輪郭のぼやけた明かり窓の中に少年の姿で現れ、サーチライトの照射を受けて途方に暮れていた。
(おまえ、さっさと逃げないと捕まるぞ)
その時、下から何者かが追ってくるのが見えた。
ナイフを持った施術者が、ロープを伝って登ってくるのである。
(まだ、オペは続いているのか)
戻りかけた意識に靄がかかり、そのまま夢の場面はフェードアウトした。
再び目覚めたとき、ぼくはICUの空間に浮いていた。
点滴の管が腕から伸び、支柱にぶら下がった輸液が視界に入ってきた。
(もしかして、ヒンズーロープ?)
強烈な印象を残した夢の記憶が、はっきりと思い出された。
ぼくは確かに、奇術師である親方の投げたロープを登って行った。
夕闇が迫る広場で、たくさんの観衆に見守られながら、投げ上げられたロープをどこまでも登りつづけた。
ある高さまで行くと、視界が急に遮られ、口を空けて見上げる観衆の姿が見えなくなった。
不安になってその場に止まっていると、下からぼくの名を呼ぶ親方の声が聞こえた。
「おーい」
返事も出来ないほどの不安に襲われ、ぼくはひたすらロープにしがみ付いていた。
「困ったものだ、わしがちょっと見てきます」
観衆に説明する親方の低い声が、はるか下の方から立ち昇ってきた。
突然ぼくの掴まるロープが揺れて、親方がぼくと同じロープを登って来るのが見えた。
尺取り虫のように迫って来る親方の右手には、キラリと光るナイフが握られている。
(ああ、いよいよやられるな)
あらかじめ承知していながら、その実耐えがたい恐怖に怯えていた。
親方である奇術師は、竦んだままのぼくの足首を掴み、勢いをつけて伸び上がりざま、握ったナイフをぼくの肺に突き刺した。
「ぎゃーッ」
ぼくの悲鳴など無視して背中を切り開き、右肺をバラバラに切り分けた。
意識が急に遠のいた。
ぼくと親方が繰り広げた修羅場も、下方で見上げる観衆の期待も、あっけないほどの無力感をともなって溶暗した。
暑苦しいICUの部屋は、ザーザーと降りつづける雨音と電子音に支配されていた。
ぼくは昼とも夜とも区別のつかない薄明かりの中で、ぼくが置かれた位置を探りだそうとしていた。
最初ぼくは、何層もの船室を持つ船の最上階に居るのだと考えた。
とにかく、地上からはかなり上方に担ぎあげられている気がしていた。
施術者に追いつめられたロープ上での記憶は、繰り返し現れ、そして消えた。
一方、ザーザーという耳障りな音は、船の喫水線を越えた海水が甲板を洗う音に聞こえた。
ときおり雑じる電子音は、通信室から漏れる無線の交信にちがいなかった。
しかし、点滴の支柱と輸液を確認すると、ぼくの位置する場所が徐々にわかってきた。
ぼくは手術室からICUのベッドに移されたのだ。
腕に繋がれた点滴の管のほかに、胸の下部に空けられた穴からもう一本の管が出ていた。
それは、わき腹から胸のあたりを押し上げる鈍痛となってぼくを呻かせた。
「どうかしましたか」
誰もいないと思っていたのに、頭の方からいきなり女性の声がした。
「うう、なんだか・・・・苦しくて」
ぼくは右の胸の方向を目で示した。
「ああ、ドレーンね。手術のあとだから、しばらく我慢してね」
ナース帽をかぶった年配の看護師が、毛布を剥いで鈍痛のするあたりを覗き込んだ。
ぼくが無理やり目の端に捉えたところでは、わき腹を締め付ける白い布の一点に血の痕が滲んでいた。
そして布の下からかなり太いチューブが垂れさがり、その行き先は見えなかった。
ロープにがんじがらめにされている状況が、ぼくを不安にした。
しかし、看護師が確かめた上で、ぼくに我慢せよと叱咤するのだから、大げさに呻いてはいけないのだろうと覚悟したのだった。
昏睡と覚醒を繰り返しているうちに、ぼくはインドの奇術師と少年の話を明瞭に思い出していた。
何という本で読んだのかタイトルまでは覚えていないが、その場面の描写を読んだとき、ぼくはマタタビを嗅いだ猫のように腰が抜けてしまった。
初めて出合った本は、少年少女向けの読み物を載せた雑誌だったと思う。
読み物には挿絵が二枚挿入されていて、お話と共に強烈なイメージを焼き付けられた。
奇術師は、頭にターバンを巻いていた。
大道芸に生きるパフォーマーというより、幾多の修業を積んだ徳の高い行者に見えた。
絵の中では、奇術師が呪文を唱えると、籠の中から一本の太いロープが鎌首をもたげ、天に向かってスルスルと伸びていく図柄になっていた。
次の場面は、棒のように伸びきったロープを弟子の少年が登って行き、離れた位置であとを追う奇術師がナイフを持った姿で描かれていた。
その先は挿絵がなく、説明の文章によって理解するようになっていた。
観衆が固唾をのんで見守る中、ギャーッとい悲鳴が起こり、少年の体がバラバラになって上空から落ちてくる。
観衆がパニックを起こしていると、ロープを伝って血だらけの奇術師が降りてくる。
バラモン行者であろう奇術師がバラバラの体に向かって呪文を唱えると、少年が元通りの姿で生き返るという仕掛けであった。
別の本では、こうした現象が手品のトリックとして扱われ、棒のように固くなったロープが少年の悲鳴とともに本来の縄に戻るカラクリが解かれる。
バラバラと落ちてきた体は人形のかけらで、観衆が呆然としている間に隠れていた少年と入れ替わるのだと説明されている。
だが、ぼくは、それらの本を読んだ時も現在も、仕掛けのある手品との見解に納得できないのだ。
むしろ、集団催眠による幻覚との説明の方がしっくりする。
実際にぼくは、ある種の作用に煽られてスルスルと伸びたロープをよじ登り、靄のかかった空中で肉体をバラバラにされた。
その時のバラモン行者は、執刀医だった。
納得ずくとは言え、恐怖におののくぼくを追いつめ、背後から襲いかかって右肺の中葉と下葉を切り取った。
後に銭湯の鏡で確かめたのだが、肩口から背筋に向かって袈裟がけのように肉色の傷が残っていた。
「先生って、辻斬りみたいですね」
何度も口に出しかけて、結局そのジョークは陽の目を見なかった。
「先生、ヒンズーロープって知っていますか」
この質問も胸の内に封じ込めた。
家族から聞いたところでは、ぼくの切り取られた肺はプラスチックの容器に腫瘍と共に入れられていたという。
診断では良性の腫瘍という事であったが、中葉と下葉をまたいで五センチほどに成長していたそれは、組織を取って詳しく検査されたはずだ。
もしも悪性の腫瘍であったとしても、処置の方法は中葉下葉の切除がベストだったろう。
鶏卵ほどの腫瘍には、肺胞内の毛細血管がびっしりと絡まっていたそうだから・・・・。
(ぼくを襲った威厳ある行者は、あなたでしたよね)
ぼくは執刀医の顔を見るたびに、心の中でそう呟いた。
ICUには一週間ほど居て、一般病棟に移された。
さらに三カ月近く、回復とリハビリに努める日々がつづいた。
桜の咲く頃入院して、夏の盛りの退院となった。
郊外の団地に戻ったが、自宅療養が長引いた。
もともと多くもない肺活量が三分の一失われ、最初のうちは十歩あるくのにも息切れした。
(がんばって、あの桜の樹の下まで行こう)
ぼくは毎日、団地の外柵に沿って植えられた一番遠くの桜まで足を伸ばした。
春には美しく咲き誇ったはずの桜だが、この時ぼくを迎えてくれたのはゴツゴツの黒い木肌だ。
(ぼくにも力をくれよな)
来年の春ふたたび花開くはずの桜を激励し、同時に旺盛な樹木の精を掌に受け取りたいと願った。
手術の際には死ぬことなど考えもしなかったが、歩くだけで息切れする現状に「本当に生きられるのかな?」と弱音を吐きそうになった。
ヒンズーロープの話は、考えれば考えるほど謎が膨らむ。
少年役のぼくは麻酔の力で天空に上り、バラモン行者たる執刀医の手術を受けた。
いったんはバラバラにされた肉体も、気がついてみれば脈動する命として縫い合わされている。
奇術師の登場する夢の中で、切り落とされた肉体の一部は確かに空中から落ちてきた。
少年が登ったというロープも、命を支援する柔らかなチューブとして体に繋がれている。
どこか違うようだが、どこも違わないようにも思える。
靄に包まれた世界の出来事は、人知を超えて摩訶不思議なのだ。
理解不能の現象があったとしても、それを手品というトリックに置き変えるのは納得できないでいた。
ICUという異空間で、ぼくはヒンズーロープを体験した。
ぼくが施術者に追われたのは確かだし、ありありと見た世界が一瞬にして溶暗した感覚も覚えている。
すべては全身麻酔の作用であり、術後の点滴にも微量の麻酔薬が混ぜられていたと説明されても、それを信じるには腑に落ちないことが多すぎる。
けだし夕暮れ時の出来事には、用心が必要なのだ。
(おわり)
フェイスブック上ではその都度ご挨拶するようにしておりますが、うかつにも見落としておりました。
あらためて、ありがとうございました。