所沢方面から国道30号線を通り抜けた先に、レトロな家が軒を連ねる街がある。
埼玉県比企郡小川町、和紙で有名な町だ。
自動車がやっとすれ違える程度の橋を渡り、突き当りを左折したところに<女郎うなぎ>と看板を掲げた木造の店がある。
片側一車線程度の狭い道だが、国道254号の表示もあるから、この通りが旧川越街道だったらしい。
古びた味わいを持つこの店は、街道に面して栄えた割烹旅館『福助』が前身で、現在は<女郎うなぎ>の名のとおり鰻屋として繁盛しているようだ。
創業は安政二年と伝えられている。
明治時代に造られた黒光りする木造建築は、ぺらぺらの安普請の店が多い中、この店のセールスポイントの一つとなっている。
<女郎うなぎ>と謳った店の来歴もよく知られている。
二代目善兵衛の頃、近くの材木屋が吉原から遊女を身請けしたものの、家に連れて行くわけにはいかず懇意にしている善兵衛に預けたという。
もともと割烹旅館だから、預ける方の材木屋にも預けられる遊女にも都合が好かったものと思われる。
ところがこの遊女、あるとき運悪く病を得て寝込んでしまった。
それぞれ困った事態になったとあわてただろうが、旦那の材木屋が手を尽くしたのか、善兵衛も雇い人も懸命に看病したらしい。
全快した遊女は心から感謝し、深川で鰻屋を営む生家の秘伝のタレを善兵衛に教えたのだという。
以来、割烹旅館『福助』のうなぎ料理は評判になり、今日の礎を築いたものと思われる。
いつの代からか、遊女の故事にあやかって<女郎うなぎ>を名乗ることになった。
近在の者は勿論、祐介のような通りがかりの者でも、古びた建物と曰くありげな看板にひかれて興味を掻きたてられるのであった。
祐介は所用で小川町を通り抜けるたびに、ここの鰻を一度は食してみたいと思っていた。
残念なことに、まだ一度も立寄っていない。
目的地の神流町に向かう途中で、なかなか頃合いの時刻に通りかからないのだ。
(きょうも駄目だったか・・・・)
無念の思いを残しながら通り過ぎると、看板の<女郎うなぎ>が余計に脂ぎって見えてくる。
もともと鰻は、精力の代名詞のような食い物だ。
夏バテ解消にと、季節になれば土用の鰻をかならず口にした。
味といい、口ざわりといい、鰻には欲望をそそる要素が詰まっている。
坊主が食ったら地獄に堕とされそうな代物だ。
そこへ持ってきて、「女郎」ときてはただ事ではない。
<女郎うなぎ>の故事来歴は知っていても、目から飛び込んでくる看板の迫力は例えようのないものだった。
神津祐介は、関東の生まれである。
子供の頃、近くの沼で天然うなぎを漁る大人を見かけた経験がある。
獲れたのは肌の黄色いウナギで、大人たちはヌシと呼んで大騒ぎしていた。
タカッポという孟宗竹の筒が、そのときの道具であった。
沼に沈めてウナギが入ったたところを、翌日回収したのだ。
暗くて狭いところを寝床にする習性を利用したもので、田舟の縁から身を乗り出して引き上げるので大人にしかできない漁法だった。
祐介たち三人の子供は、鮒釣りをしていて偶然その場に居合わせた。
大人たちが魚籠に入れた鰻を覗き込みながら、ああだこうだと談笑するのを眺めていた。
「気味悪いな、どうする?」
「まさか、ヌシを食うわけにはいくめえ」
「生簀で飼うわけにはいくまいか」
「こんなの持って帰ったら、カカアを刺激するだけだ」
大人たちは、そこで大笑いした。
なにが可笑しいのかと疑問が残ったが、中学生になった頃には祐介にも笑いの意味が判った。
厳密にその時期といえるほど確信はないが、実は当初から薄々勘付いていた気もする。
東北の血を引く泥臭い遺伝子が、自分の中にも潜んでいるのを、大人になって見出したというわけである。
好奇心に駆られて、一度店の裏に回ったことがある。
黒板塀に長大なうなぎの絵が描かれているのを確かめ、さもありなんと納得したのだった。
今でこそクルマで訪れる客が大半で、入り口は254号側に限られている。
東武東上線や八高線の小川町駅から徒歩で来る客のために、案内の矢印が誘導するようにカギ型に描かれている。
この日祐介は、道路から駐車場へ入ろうとしているベンツの男女を見かけた。
サングラスで変装しているが、テレビで活躍する昼ドラ男優に似ていた。
もちろん、本人かどうか確かめるすべはない。
折りしもカーラジオから、タイガー・ウッズの競技復活のニュースが流れていた。
セックス依存症と診断された当人の苦しみなど、まったく無視して騒ぎ立てたのは半年以上も前のことだ。
(世間が騒ぐほどの悪事じゃあるまいに・・・・)
ゴルフ好きの祐介は、終始マスコミの扱いに不満を感じていた。
神様が男と女を創った以上、多少の艶話があってもいいではないか。
隣りの建物との間を、奥へと吸い込まれていくベンツを見送り、旺盛な食欲を見せるであろう連れの女の風貌を目に焼き付けた。
浮気がばれても、皿が飛んでくるようなら救われる。
反対に、幾日も口を利かないタイプの女房は厄介だ。
神津祐介の場合は、幾日か過ぎて最低限の言葉を交わすようになったものの、妻の淑子はついに死ぬまで心を開かなかった。
「わるかったよ、二度と浮気なんかしないから勘弁してくれよ」
入社間もない新人ОLとのオフィスラブが発覚して、予想外の大騒動となってしまった。
ちょっとした摘まみ食いのつもりが、生まれて初めての男に狂ったОLはコンパスを失った船のように操舵不能になった。
人目もはばからず「ユースケ、ユースケ」と付き纏う。
職場でも注視の的となり、冷たく突き放す手段をとったのが更に裏目に出た。
リスト・カットの真似事に加え、遺書を用意しての睡眠薬自殺を敢行された。
未遂に終わったものの、関係は泥沼に陥った。
首にこそならなかったが、降格人事でしばらく足踏みした。
妻の親族に怒鳴り込まれ、祐介も双方の話し合いの場に引き出された。
単なる浮気で済まなかった不手際が、自分だけでなく妻の自尊心を著しく傷つけた。
離婚に至らなかったのが好かったのか、悪かったのか。
淑子の閉ざされた心が二度と開かなかった状況は、いまでも悪夢のように思い出される。
飯だの風呂だのの面倒は、以前と変わらず看てくれるから却って辛い。
一人っ子である祐一の子育ても、滞りなくやってくれた。
十数年経て、中央線の快速ホームから転落死するまでは・・・・。
転落の原因は、脳貧血によるものと判定されている。
病院への外来記録から類推されたものである。
鉄道側も運行上の不手際が争点になるのを避けて、自殺や事故による損害賠償請求を避けた節がある。
妻は意地を張るのに疲れたのだろうと、祐介は思っている。
彼は彼なりに一生分の苦悩を味わったぐらいのダメージを受け、妻への済まない気持ちとは別に、ほっとするところもあった。
祐介が月一回通う神流町には、淑子が眠る墓地がある。
隣接する鬼石町には有名な桜山公園があり、そこを訪れたとき契約したのが神流町の墓所だった。
「遺骨を引き取る」とまで声を荒げた淑子の親族に対して、「神流町に眠りたい」との妻の言葉を伝えて手厚い墓参りを申し出た。
全山桜花に覆われた名所に憧れて近くの墓所を探したのが、蜜月時代に漏らした心境だった。
「淑子とは離婚したわけじゃありませんし、月命日には必ず花を手向けに行きます」
せめてもの罪滅ぼしの他に、埼玉国際ゴルフ場での友人との待ち合わせを兼ねる利点もあった。
関越道ですっ飛んでくる友人と違い、一般道をじっくり走って神流町に向かうのには祐介なりの思いがある。
過去を振り返りながら、妻との好い思い出と不覚の思いを再びし、おのれ自身の欲望と向き合う意味合いもある。
実際に妻との交渉が途絶えてからは、密かに女を買ったこともある。
心の弾まない性処理に、欲求ばかりが身悶えする。
当時読んだ医学書にはセックス・ノイローゼと出ていたが、にわかに注目されることとなったセックス依存症とはどう違うのか。
祐介は、この日も『福助』に入ることなく帰京した。
同じ一般道を戻りながら、イギリスのカレッジに入れた一人息子のことを考えた。
ハリーポッターに憧れて育った祐一を、妻の希望どおり英国留学させ、勉強させることが祐介の励みでもある。
祐一の成長と幸せを頼りに離婚を回避した妻を、打算的だと蔑む気持ちはまったくない。
一方、一向に衰えない性的欲求は、淑子や祐一の目を逃れて暴れ狂っている。
(やっぱり、血は争えないのか・・・・)
この夜の夢に、めずらしく妻が登場した。
ベッドで眠る祐介の傍らに立って、手に掴んでいるうなぎを顔に押し付けるのだ。
恐怖で何か叫ぶのだが、その口に無理やりうなぎを押し込もうとする。
「ほら、食べなさい、食べなさい」
夢枕に立った妻の顔は見えないまま、声だけははっきり辺りにひびいた。
祐介は眠りから浮上し、消し忘れた照明の中でベッドの周囲を見回した。
誰もいなかった。
都心の高層マンションの一室で、妻を失った男が呆然とベッドから起き上がる。
時計を見ると午前四時である。
パジャマのままエレベーターで一階に降り、配達されたばかりの朝刊を脇に挟んで部屋に戻る。
一面のインデックスに、<タイガー・ウッズ復帰>の見出しが躍る。
離婚問題がどう決着するのかは判らないが、とりあえずの朗報だ。
それに比べ、この世にいない妻の存在は厄介だ。
黄色で、太く長いうなぎは、はたして口に押し込まれたのだったか。
水も飲まずに新聞を取りに出てきたせいか、口内にネバネバまつわる分泌物の不快さを感じた。
(おわり)
(2010/03/03より再掲〉
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