ヒマワリ
(城跡ほっつき歩記)より
ジリジリと身を焼く八月の正午
防空壕から呼び出された村人が庭に跪く
耐え難きを耐え忍びがたきを忍び
厳かな抑揚に導かれて百の思いが花々を震わす
「終わった・・・・」誰かが呟く
あたりの空気がハレーションを起こす
涙もなく見上げた夏空の突き抜ける青さに
呆然と在るのは日輪ばかり
B29はどこへ消えた
東京を赤く染めた夜はもう来ないのか
都会と田舎を半分づつ生きる僕の
感情はなお蒸発したまま
玉音放送とやらは誰の命名
比喩の上手さは昨日のまま
庭のヒマワリは今日も咲いたまま
青空をバックに両手を挙げたまま
何かが変わった予感はするが
目の前の光景は何も変わっていない
敗戦は徐々にやってきて
現実の悲惨を徐々に捲るのだが・・・・
終戦記念日も最高のレトリック
身に備わった言い換えは負けても健在
積極的平和主義の下地も
われら皆の真皮に沈着している
碧空に映えるヒマワリに問う
われらが行く末は安泰なりや
君らのように陽光を追うだけで良いのか
豊穣のタネを吐き出す国の人々は信頼に足るや
百の思いは往ったり来たり
千の風は今も戦地の丘を渡っていく
ルソンもグアムもミンダナオも
詭弁のジャングルで覆われたまま
せめてヒマワリよ
非戦の意思を爆発させよ
無数のタネが大地に散り
崇拝の花として子供らに認知されるまで
寄居町鉢形城近くの大河内金兵衛陣屋跡(のちの大河内松平氏始祖の館跡)を訪れた際に農道の畑の端に植えられていたものです。
ご覧のように葉の一部が少し虫に食われていましたが、照りつける太陽を背にして元気旺盛な姿を誇示しているようにも見えました。
なおこの「晴天を背景としたヒマワリと虫食いの葉の構図」は、雲と青空のバランスなど少し時間をかけてロケーションしたことを思い出しました。
夏の終わりの到来を予感するとき、人生との重なりに気づきふと形容しがたい物悲しさを覚えたことを記憶しております。
何時もご紹介をいただき感謝いたします。
まして近くの農道に沿って咲くヒマワリとの対比は、夏の終わりの寂しさを伝えてきます。
まだ盛んなヒマワリの花実と虫に食われた葉っぱに、青空と雲をどのように配置するか、残暑の中時間をかけて撮影されたようですね。
多くの写真の中から不思議な構図のこの一枚に惹かれたのは、撮影者の思いが伝わってきたのかもしれません。
いつもながら貴重な画像を使わせていただき、ありがとうございました。
まもなく戦後70年を迎えんとするとき、さきの戦争の記憶を語り始めた人々が増えているようで、それだけ潜在する不安の現れかと複雑な思いがしています。
そのことを私たちに迫る詩に、胸を叩かれる思い。
絵画のごとく強い意思で切り取られた写真の視線も雄弁だ。
心強いコメントに感謝します。
塚越さんの画像にも注目していただき、嬉しく思いました。
この写真の視線・・・・言葉抜きの雄弁に、あらためて共感いたしました。
ありがとうございます。
盛りにはきれいでした、
ちょうど今ごろは枯れて花実だけ残しております。
わたしは終戦の年は小学校1年生でした。
そして成熟した種子は、おやつにでもなるのでしょうか。
あるいは来年用のタネに・・・・。
植物に関わっていると、一つ一つの工程に楽しみがありそうで羨ましく思います。
終戦の年に小学1年生ということは、ぼくの何年か先輩にあたります。
思えば遥かな道のりでした。コメントありがとうございました。
真夏の強い日差しの中
玉音放送を聞き『ホッ』としたと言っていた
母の記憶がよみがえります
つい最近TVで『少年H』観て感動しました
主人公はtadaoxさまくらいの年ごろかなと
思いながら観ましたが
tadaoxさまの方がもっと小さかったのですね
北海道のひまわりは
花のまま埋めて
大地の肥料にすると聞きました
そうやって見ると
今までのイメージが一新し
終戦を迎えて
明るく咲いている夏の花ひまわりが
寂しく思えてきました
いつもありがとうございます
われら少年A,B,C・・・・たちも、共感するところの多い映画であり小説でした。
ひまわりの記憶も特別で、さまざまに連想が広がっていきます。
北海道の話は想像外で、こうした驚きのエピソードに刺激を受けるのも、ブログの効用の一つかと思いいます。