日記をつけるという作業を厭わない信念の人は、今どきどれぐらいいるのだろうか。
そして、どういった立場の人、どういった職業の人に多いのだろうか。
小学校時代の絵日記以来、一度として日記に関心を抱いたことのない当方としてはまったく見当もつかないことである。
ただ今回、紀田順一郎氏の著作に触れることによって、日記というものが俄かに輝いて見えるようになったことは間違いない。
もとより、日記を書く人の大半は他人に読まれることを予期していないだろう。
たまたま読者席に座った我々としても、ことさら読みたいとは思わなかったはずだ。
本来、日記というものはそうした秘匿性を帯びた存在ではないかと思うのである。
そのため、現在こうして公刊されているのは、実際に書かれた日記のほんの一部にすぎない。
しかも、『日記の虚実』に取り上げられた日記の書き手は、ほぼ著名な作家や画家に限られている。
公刊の可能性がほとんどない一般人の日記と異なり、作家たるもの己の恥部が晒される可能性を意識してはいるだろう。
意図的に他人の目に晒そうとは思わないものの、他者と自分の位置関係を測りながら日記という怪物に挑んだはずだ。
救いは、作家には日記の合わせ鏡ともいうべき作品が存在しているという事実である。
作品との比較対照によって明らかになるさまざまな事柄にこそ、作家の日記が公刊される意義があると考えられる。
ところで、日記にはどれだけの真実、どれだけの本音が顕われているのだろうか。
本音とは言いながら、肝心の部分を微妙にごまかしていないだろうか。
ある程度覗かれることを予測して書いているとして、ベールを被った姿を自画像として残しているケースがあるのではないか。
この本は、まさにそのあたりの作家心理に鋭くメスを入れたものである。
日記を対象のミステリーハンター紀田順一郎氏の『日記の虚実』は、なまじの推理小説よりよほど面白いと断言しても良い。
この本は1988年に刊行された。ほぼ27年前の著作である。
初版発行時、新聞の書評欄で評判になったのを読んだ記憶があるのだが、実際に本を購入するまでには至らなかった。
ところが昨年、友人から古本屋で面白い本をみつけたので今読んでいる最中だとの連絡を受けた。
それが『日記の虚実』だった。
友人のいうとおり面白かったので、何とか紹介したいと思うのだが、どこから手をつけていいのかなかなか難しい。
日記に対するアプローチの仕方しだいで、見えてくるものが違ってくるからである。
そこで、著者の見方に沿って、目次を書き出すのが一番適切なのではないかと気がついた。
要点をまとめた著者のコメントも、その一部を抜粋しておくので参考にしてほしい。
芸がなさ過ぎるかもしれないが、ひとまず並べてみる。
◇ 手探りの活字日録ーー『葛原勾当日記』 (ヘレン・ケラーも感動した「ワープロ」の仕組み・・)
◇ 飾られた真実ーー『樋口一葉日記』 (「一葉処女説」論争・・)
◇ こころの屑籠ーー『蘆花日記』 (兄、蘇峰に対するはげしい憎悪・・)
◇ 略して記さずーー荷風『断腸亭日乗』 (誇張やウソに充ちた「創作的日記」・・)
◇ 情念の坩堝ーー『劉生日記』 (肉体の欠陥に悩む新進画家時代・・)
◇ 愛の餓鬼ーー『夢二日記』 (日記に記された悪夢の数々・・)
◇ 無謬の人ーー『野上彌生子日記』 (六十二年に及ぶ世界最長日記・・)
◇ 今日を生きるーー『伊藤整 太平洋戦争日記』他 (記録された開戦時の昂揚感・・)
◇ 日記の研究 (日本人の日記は俳諧・・)
◇ あとがき
こうして眺めてみると、日記に立ち向かう著者の姿勢に並々ならぬ迫力が感じられる。
多くの日記を読み込んで培われた分析力と、腑分けすることへの無上の喜びが感じられる。
解剖医のような資質といったら言い過ぎだろうか。
「好奇心」を間に挟んで、作家や画家と批評家が正面から対峙する迫力が、我ら読者の好奇心をも掻き立ててやまない。
労せずして数々の日記を読むことのできる幸運は、ひとえに紀田順一郎氏のおかげである。
資料としての日記が内包する面白さ、そこへ立ち向かう批評家の気迫、そして両者の対峙を見下ろせる読者としての好奇心。
三者三様の思惑が、渾然一体となって醸成される機会は、そう滅多にあるものではない。
ちなみに当方が最も興味を惹かれた作家は、徳富蘆花と竹久夢二である。
蘆花の露悪的ともいえる記述には、兄との確執だけでなく夫婦間の秘め事まで記録されている。
夢二の世間的なイメージを覆す悪夢の記録も、ある意味ショックだった。
両者とも、なかなか到達できない作家としての覚悟を、あっさりと獲得している点に注目だ。
次に岸田劉生と野上弥生子あたりか。
それぞれに、生きた時代のタブーと苦悩の深さを窺わせる日記である。
永井荷風と樋口一葉の日記は、巷間何度も話題になっているが、新たな視点から資料に迫る著者の慧眼に圧倒される。
(人間というやつは、実に厄介で面白い)
あえて読後の感想を言えば、そんなところか・・・・。
(おわり)
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日記で言えば、書かれたことの向こうにある書かれなかった部分に、もうひとつの心の本性といいますか、本音が隠されているのがうっすら見えてきたりして。
しかも作家の場合は嘘ごとを妄想する癖が身についているから無意識の作り事が混じりこんでいたりしがちですしね。
「合わせ鏡」のように作品と照らし合わせると、それが見えてくるということ・・・確かにねエー。
『日記の虚実』は私も読んだことがありますが、この書評を読んで再読したくなりました。
妄想を書き込むのは、日記でなくブログにしておいてよかった。
(ほんとに・・・・)
わたしのブログも都合の悪いことは書きませんです。<判断が難しいです。>
故に文章力がないので苦労しています。
それでも海賊版がでているとのことで、驚いています。
知らせてくれて削除の方法まで教えていただいた
ブログ仲間の先輩には感謝しております。
わたしの畑から採れた変わりもの長芋、足形ご覧いただきありがとうございます。
ブログに日記的なことを書くのは意義のあることですよね。
初めから読まれることを意識しているから、ある程度気楽に書けるのではないでしょうか。
もちろん、都合の悪いことは誰も書かないし、それでオーケーなのでしょう。
ところで、私のブログにも海賊版の警告が出ていましたが、気にする必要があるのですか。
大量発信の広告かと思っていましたが、どうなんでしょうか。
畑仕事の恵み、人間の左足そっくりの長芋にはびっくりしました。
みんなに見てもらいたいです。