どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (43)

2006-07-02 19:28:18 | 連載小説

 身辺に騒がしいことが起きて、巣鴨地蔵通り商店会主催の『こども相撲大会』を観にいけなかったことが、心残りとなっていた。
 数日後、チラシの校正を担当してくれた若手事務局員に連絡を取ってみると、イベントは成功裏のうちに終了し、打ち上げの席では、来年もまた継続して催しを盛り上げることで意見の一致をみたとのことだった。
「それは、よかったですね。おめでとうございます」
「はい、今回はいろいろとご協力いただきまして、ありがとうございました」
 実働の事務局員から、素直な感謝の言葉をもらうのは、おれにとってもうれしい成り行きだった。
「いやあ、大したことはできませんでしたが・・」
 たたら出版から経費を出してもらって、健康祈願、学業成就の鉛筆セットを五十組、事務局に届けておいたのだ。同時に、多々良の顔で、返品になった少年雑誌の付録を譲り受け、かなりまとまった数量を参加賞の一部として利用してもらっていた。「・・鉛筆や、ヨーヨーぐらいじゃ、いまどきの子供たちを納得させられなかったんじゃないですか」
「そんなことは、ありません。子供たちは、ほんとうに喜んでいましたよ」
 若者がむきになって主張するのを、おれは心地よく聞いた。
 商店会の会長にも、よろしく伝えて欲しいと、間接的なアプローチを仕掛け、おれは次のイベントについて、それとなく提案しておいた。
 納涼浴衣ファッションショー、巣鴨美人コンテスト、アベック焼きそば早食い競争、夏休み親子仮装フェスティバルなど、<お年寄りの街>からのイメージ転換を含んだ催し物の企画を、いくつか並べておいたのだ。
 おれの考えでは、こうした提案を、商店会会長に直接ぶつけてみても、まず受け入れられない。人柄も善く、世知にも長けた見識者ではあるが、すでに定着している、とげ抜き地蔵と縁日のイメージを崩すことは、到底できないはずだと踏んだのだ。
 だから、若者を通して、いまある土台にひとつずつ足していくしかない。
 巣鴨地蔵通り商店街で、若者向けの浴衣を売り、簡単に着付けを手伝ってファッションショーに参加させれば、ミスマッチの試みとして、人びとの興味を引くかもしれないのだ。
 美人コンテストも、早食い競争も、仮装フェスティバルも、対象となる客層を変えてみることによって、従来にない活性化ができるのではないか。
 若い女性や、アクティブな青年、それに物見高いアベックや親子連れなどが流入してくれば、旧来の売り方だけではなく、巣鴨全体のアピールに繋がる新鮮な切り口が見付かるかもしれないと、期待を膨らませたのである。

 六月に入って、東京のあじさいが盛りを迎えたころ、おれは先日の開運祈願の御礼に白山神社に行った。開運といっても、厳密に言えば、おれとミナコさんとの縁結びに係わる祈願だった。ふたりの幸運と固い結びつきへの導きを祈ったものだから、まさに霊験あらたかだったといって差し支えなかった。
 ちょうど、あじさいまつりの最中で、境内を埋め尽くした色とりどりの紫陽花を目当てに、たくさんの人が集まって来ていた。
 白山神社の銘入り提灯に先導されて鳥居をくぐると、たちまち、あじさいと人混みの渦に放り込まれる。
 もともと狭小な敷地に、三千株ともいわれる紫陽花を栽培しているものだから、社殿も人間も花々と一緒になって、みな過密状態のなかで精神の高揚へと追い立てられているように見えた。
 一度は確かめてみたいと思って、この時期を選んだ。
 賑わいは、予想を超えていた。
 考えようによっては、都会の神社らしくて良いと思った。しんみりとした語りかけより、笑い声に紛れた御礼の言葉のほうが、神様のお好みかもしれない、と。
 本殿前で、おれとしては大奮発の賽銭を投げ入れた。胸を張ってニ拍手を打ち、恭しく頭を下げると、全身の細胞がおれの意思に従って前かがみになった。
 こんなことは、滅多にないことだった。頭の天辺から突き抜けた光の矢が、社殿の垂木を掃く。心底帰依する気持ちになれる、数少ない神様だった。
 ミナコさんとの面会は、二ヶ月に三度ほどのペースで行った。
 あまり煩くしてはいけないという、おれ自身の配慮もあったが、ミナコさんの了解を取りつつ決めた日程でもあるから、ふたりにとって妥当な間隔とも言えた。
 裁判の方は、ミナコさんの主張が認められる方向で、順調に進んでいる様子であった。
「ゴトウさんが余計なことをしたって、恨んでいるらしいけれど、結局あの男の自業自得なのよ。わたしにすべてを引っ被せようなんて、とんでもないわ」
 短い説明ではあったが、今回の事件の骨格が見えた。
 発端になった税務調査と、経理担当のゴトウさんの証言、利益圧縮に係わる自動車内装会社社長の責任回避。苦し紛れのミナコさん告発。
 検察も、当初の横領容疑のうち、裏付けの取れたごく一部だけを受理し、あとは税務署による調査、告発に委ねている状態らしかった。
 今後、どのように推移していくのか予測し辛いが、単なる利益隠しの摘発と、追徴課税で幕引きされたのでは、ミナコさんがあまりにも可哀そうに思われた。
 夏の終わりには結審し、予想通りニ年の執行猶予が付いて、ミナコさんは拘置所を出た。
 おれは、ミナコさんの要望で、小菅へは行かなかった。
 横浜の姉夫婦が身元引き受け人となっていて、弁済金も訴訟費用もすべて面倒を看て貰っている関係上、しばらくの間は、おれがでしゃばるわけにはいかなかったのだ。
 いくら人のよい姉夫婦だといっても、ミナコさんは肩身の狭い思いをしているに違いないと、おれは胸を痛めていた。
 初めて上京して、新宿の服飾専門学校に入ったころから、何度も世話になっている。芸能プロダクションの悪い男に騙されて、浅草のストリップ小屋に売られようかという状況に追い込まれたときも、山形の母親の懇願もあって解決に動いてもらっている。
「姉にも迷惑かけたけど、母が山林を売って、このカネでミナコを助けてやれって大金を送ってきたらしいの。ほんとに、すまなくって・・」
 雷鳴の中、ずぶ濡れになって駆け込んできた中野のアパートで、問わず語りに聞かされたミナコさんの青春ものがたりの一節を思い出していた。
 今回もまた、故郷の母親は、嘆きつつも救いの手を差し延べたに違いない。
「ミナコが、そんな悪いことをするはずがない。他人をすぐ信用するやさしい子だから、また騙されたんだ」
 おそらく、そのように庇って、ミナコさんの姉夫婦に要請を出したのだろうと、おれは想像した。
 いくら肩身の狭い思いをしても、ミナコさんは果たすべきことをやらなければならない。
 当面は、姉の家の手伝いをしながら、山形の実家との修復を図ることになるのかもしれない。
 盲目的な愛情を注いでくれる母親だけの実家ではない。いまも健在ならば、父親はミナコさんに厳しく接していたはずだし、跡取りの長男夫妻だって、内心快く思っているはずはない。
 だとすれば、おれがミナコさんの支えになるしかないではないか。おれは、心の中で、叫びに似た強い念波を発していた。
 おれの想いが届いたのかどうか、一週間ほどして手紙が来た。
 すぐにでも、あなたの許に飛んで行きたいが、しばらくは謹慎の姿勢を見せなければいけないので、それが適う日まで待っていて欲しい。
 姉にも実家の身内にも、自分の反省の様子を汲み取ってもらうことが、迷惑をかけたことへの償いになるのだと思う。特に、高齢になった母親には、今度こそ安らかな気持ちになってもらいたい。
 いずれ、わたしは姉の家を出ることになる。それが何ヶ月後になるのか分からないが、その日のために、あることの勉強を始めたいと考えている。
「いま口にすると、成就しなくなるようで怖いから、しばらくは内緒にします。わたしの勝手な想いだけ並べたようで心苦しいのですが、もう少しだけ猶予を下さるようお願いします」
 手紙は、そのように結ばれていた。
 追伸で、姉の住所への返信をしないように気を遣っているのが、哀れだった。
「わたしからの一方的な連絡になりますが、必ず近況をお知らせしますので、お許しください」
 読み終わったおれの手元で、グラスの氷がカランと音をたてた。

   (続く)
 
 
 


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