犬の幸せ不幸せ(1)
昨年の十二月から今年の六月末まで、およそ七ヶ月間に亘って東京暮らしが続いた。
月に一度ぐらいは北軽井沢に行っていたが、一泊してあわただしく戻るといったことの繰り返しだから、近辺の事情を耳にすることもなかった。
ところが今回やっと東京の仕事から解放されて、山荘の方へ腰を落ち着けることができた。
森を離れていた知人も帰ってきて、いろいろと周辺住人の出来事を教えてもらうことができた。
そうした噂の中で、日頃親密に交流していたアイちゃんという犬が、ガンで死んだという話はショックだった。
野良仕事に精を出すおばあちゃんに付き添って、畑の片隅でおとなしく座っていたゴールデンレトリバーの姿が目に焼きついている。
都会では考えられないことだが、アイちゃんはリードをはずされ自由な行動を許されていた。
こちらが通りかかると、目尻の下がった目でうれしそうに近づき、手をなめ、体をこすりつけ、四、五メートルあとを追うこともあった。
「アイちゃん、おばあちゃんが心配しているよ」
そういうと、我にかえったように畑の方を振り向き、元の場所に戻っていくのだった。
「ちゃんと分かっているよ。言葉が判るんだね・・・・」
どうぶつの賢さに、いつも感心するばかりだった。
野良仕事をするといっても、昨年おばあちゃんは電動車椅子での移動が多くなっていた。
以前は耕運機でリヤカーをひっぱっていたが、足が悪くなっていたのか行動範囲が狭まっていたような気がする。
そんなわけで、去年の晩秋を境におばあちゃんの姿が見られなくなり案じていたのだが、なんと長年おばあちゃんを見守ってきたアイちゃんの方が、先に逝ってしまったのだった。
あまりの落胆ぶりを見かねて、子供たちが一匹の子犬を贈ったという。
通りがかりに庭で尾を振っていたワンちゃんが、その犬らしい。まだ名前を聞いていないが、きっと可愛い呼び名をつけてもらったに違いない。
何年かしたら、リヤカーの後ろにちょこんと座って畑に向かう、同じゴールデンレトリバーの姿を見られるかもしれない。
そのときには、きっとおばあちゃんも元気になっていることだろう。
飼い主の情も深いが、ケモノも出る場所でのアイちゃんの献身的な警護は緩むことなく、見ていて切なくなるほどだった。
二代目も自由に、のびのびと、しかし責任感の強い成犬に育っていくはずだ。
つい愚痴になるが、ペットと人の間の絆はかくも深いのに、人と人との信頼はますます薄くなっているのが嘆かわしい。
心に潤いがなくなり、人を愛する情熱も失われている。エゴが跋扈し、自分自身さえ大事にできない荒廃が拡大している。
冬の間に何人かが寂しく逝った。
人間は災いの種を残していくから厄介だ。その厄介が人間らしいといえば言えるのだが・・・・。
その点、犬の死は悲しみの量を測りやすい。
この冬、アイちゃんのほかに三頭の犬にドラマがあった。次回はクーちゃんの境遇に触れてみたいと思っている。
(写真はアイちゃんのイメージ・幸せの黄色い薔薇)
目に見えるようですね。
以前取材した福岡市の獣医さんは、犬や猫はちゃんと検査すると大抵30種類くらいの病気を持っているといっていました。
その病気を全部治療すると、動物のほうがクスリなどで参ってしまうので、本当に苦痛のあるものだけを治療し、あとは厳密に調べないと言うことでした。
また今は犬も猫もがんと糖尿病が急増しているとか・・・。
ペットには明らかに人間の生活が反映して、そのような傾向が出ているのだと。
知恵熱おやじ
最近はペット事情が変わってきて、どうぶつ病院に診せに行く飼い主さんが多いようですね。
それでさまざまな病気が発見されるのでしょうか。
昔はほとんどほったらかしで、死因も分からないままだったのですが・・・・。
たぶん山奥で暮らす老婆とともに生を営むアイちゃん、その2人(?)への優しい眼差しが感じられます。
だけども、犬にも癌があるなんて!
賢そうなアイちゃんだけに、とても気の毒です。
俗世間から離れたようなこの種のお話、胸に迫ってくるものがあります。