さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

天草四郎メモリアルホール

2017年09月25日 | 九州シリーズ



天草へ入るバスは1時間に一本くらいでしたか。予定ではもっと三角西港をぶらついて
からと思っていましたが、展望台から大汗かいて降りてきたら、目の前にバスがやって
きたので乗ってしまいました。乗客は俺ひとり。

バスはすぐに天草にかかる橋を渡ります。さっき展望台から見たやつです。いま通って
いるのは古い橋。右側に新しい橋が建設中なのです。



こりゃ大変な工事でしょうなあ。



四国などもそうでしたが、橋が架かると車であっという間に本土に渡ることができます。
すると島の住人は学校や買い物など本土に行くので、島の経済が一気に寂れます。
これをストロー効果というそうです。う~ん。。。



これが完成したころにまた来るかもしれません~。



さて初めての天草。ちょっと瀬戸内海に雰囲気が似ていますね。



「さんぱーる」という道の駅みたいなところでバスを降りると、「天草四郎メモリアル
ホール」があります。天草の旅は、日本の初期キリシタンの歴史をたどることにもなるの
です。ここの見学はそれの一番最初。



内部は撮影禁止でしたので、私がご説明しま~す。

まずは大航海時代の到来により、イエズス会の宣教師たちが日本までやってきたという
歴史の紹介、そして主に九州地方で布教が始まり、キリシタン大名、天正遣欧少年使節団、
天草でのキリスト教の広がりなどが説明されます。

光と音がうずまくタイムトンネルをくぐって中世日本へのタイムスリップ、なんて演出も
ありました^^; そして映像ホールでは「わが心の天草四郎」が上演されて、島原の乱
までが映像に出てきます。

当時の天草や島原では厳しい年貢の取り立てをともなう圧政に農民たちは苦しんでおり、
飢饉が続くと 天草四郎を総大将とした一揆が起こりました。圧政に飢饉が重なると反乱が
起きやすくなります。そこで神の名のもとに結集する宗教の力が加わり、天草四郎という
カリスマが最後の引き金となったのでしょう。(ここらから私の考えが加わります)

島原の乱では、12万人の幕府軍でも手を焼き、最後には蜂起軍37000人が全滅するという
悲劇に終わります。キリスト教はあの世志向です。苦しい現世は短い苦難にすぎず、死んで
本当に永遠の天国が待っているという思想です。だから死ぬのは怖くないどころか厭わ
ない。むしろ殉教、望むところ、といった考え方でしょう。

死ぬのを恐れない兵士ほどやっかいなものはありません。戦況が絶望的ならば、普通は
降参を考えますが、最後の一人まで捨て身で戦う決意があるのですから。デウス様おそる
べし。いいの?それで。女子供までみんな死んでいいの?私には「信仰による悲劇」と
思われます。

しかーし、ここの展示では、「天草四郎は、人は皆自由で平等と説いた」と強調しています。
中世の日本は、というか幕末まで、日本社会はずっと身分制度でした。しかしキリスト教
では、神が人間を創造したわけで、「士農工商」なんてのは違う、というわけです。

そしてここの展示では、ルネサンス時代に花開いたヨーロッパ文化が紹介され、次に
「自由・平等・博愛」のフランス革命が紹介され、最後にはアメリカの独立戦争が出て
きました。それが天草四郎の蜂起とつながるの??? う~ん。。。

最後の部屋では、天井の高い部屋が瞑想空間になっており、静かな音楽と光の中で、天に
登った天草四郎をはじめとするキリシタンたちの姿を思い起こして下さい、と書かれて
いました。歴史(history)の語源は、「ストーリー」ですからね。。。



さてバス停の前には、「さんぱーる」という道の駅のようなショッピングセンターが
ありました。



熊本で食べた「カサゴ」なんかもありました。みんな安い。近くに住んでいたら、そりゃあ
豊かな食生活になるでしょう。



天草には、真夏にこういう柑橘類があるのです。これがまたけっこう甘くて美味しい。
土佐では真冬に菜の花やら葉物が豊かだったし、やはり南国は食生活が違いますなあ。