ここは本渡城址。「殉教公園」といいます。ヤな名前だねーwww
1589年、キリシタン天草種元が天草五党の乱で小西行長・加藤清正に包囲されて
両軍ともたくさんの死者を出したのです。どちらもキリシタンとはこれいかに。
これは戦死者の慰霊の塚なのです。
キリスト教の墓地もありました。
その横に、天草キリシタン館があります。
ここも撮影禁止だったので、私がご説明。
「天草四郎メモリアルホール」と同じで、南蛮文化の伝承、天草キリシタンの歴史、
そして天草・島原の乱が紹介されており、ビデオの上映もありました。
見ものは「天草四郎陣中旗」で、聖杯の上に十字架が描かれており、左右から精霊が
それを見守っています。古いポルトガル語も書かれています。十字軍やジャンヌ・
ダルクの旗と並ぶほど有名な聖旗だとか。血痕がついており、切り裂かれた痕も
あります。天草・島原の乱で使われたとか。
保存のために薄暗い照明になっており、「こりゃすごいな」と思ったのですが、
ニャンとレプリカでした。。。 ならしつこく「撮影禁止」とか薄暗くしたりしなく
てもいいじゃん~~~。
カリスマ少年、天草四郎。これは外なので撮影できました。
絶望に瀕した多くの人々の心を救済したのでしょう。しかし私はカリスマは嫌い。
どおしてか?「崇拝する」ということは、「思考停止する」ことにつながるからです。
人の上に立ちたがるタイプ、前に立つのが嫌で、ついてゆくタイプもありますが、
私が好きなのは、「一匹狼」といえばカッコつけすぎですけれど、我が道を行くタイプ。
「流れ」に従わないと白い目で見られたり、「自分勝手」と批判されたりもします。
それをはねのける勇気と、自分に対しての信念を持っていたいものです。
この日も暑かった。歩いている人に全然会いません~。
「祇園橋」です。珍しい石造り。
1832年にかけられたそうです。
すきまがあって、下の川が見えますぞ。
このあたりは、天草・島原の乱のときに、両軍の戦死者によって川の流れは血に染まり、
屍でいっぱいになったとか。オバケがゾロゾロ歩くような話も出そうですなあ^^;