さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

恐山菩提寺 3 賽の河原

2023年10月17日 | 東北シリーズ


ここからは「賽の河原」です。


死んでしまった小さな子供が、この賽の河原で石を積む。「ひとえ積んでは母のため、
ひとえ積んでは父のため・・・」と毎日何時間も一生懸命泣きながら石を積みますが、
鬼が出てきてそれを崩してしまう。どうやら「親を悲しませて、この不幸者め!」
という罰なのだそうです。そりゃあ~~ひどい!子供だって死にたくはなかった
だろうし、親だって子供が死んでからそんな苦しみ、悲しみを味わってほしくない。


この石を、幼子がひとりで泣きながら積んでいたと思うとクラクラするではないか。


まあそこでお地蔵さまが救いに来てくれるということなんだそうです。

最初っから来いってよ!


「塩屋地獄」って、ここも地獄かい~。温泉が湧き出るナイスな場所に思えるがw


ホレホレ、硫黄の臭いがいい感じですよ^^


ボコボコ出てました。塩分が強いの?水に粘り気があるようで、泡もこんなふう。


地獄というだけあって、殺伐としているところです。

仏教といっても諸説あるので、なじみのある地獄のイメージはこの賽の河原だとか、
もっとシンプルに血の池、針の山といった拷問系だ。悪人は地獄行き!天国に行き
たきゃ善行を積め!というわけだ。因果応報ごもっとも。悪がはびこる世の中ですから、
悪いやつらはあの世で苦しんでもらわなきゃ割が合わないだろう。それは死んだあとに
最後の審判があって、天国か地獄かの判決が下る耶蘇教でも同じ論理だ。

しかし、浄土真宗は違います。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と
きたもんです。善人は当然晴れてあの世に行けますよ。そして悪人なら尚更なんです。
ううむ、おそらくかなり深い。救われなきゃならないのは、むしろそれを必要とする
哀れな連中のほうでしょう、という意味か?

また「善」とか「悪」とか、簡単には言えないよ。自分が「善」だと思い込んで
いても他の人から見れば「悪」じゃねーか、なんてこともたくさんあるし。しかし
その倫理的考察は置いといても、それだと善人悪人全員が地獄回避となるのか?

みんな天国に行ってしまったら、俺なんかいたたまれないね。純粋で清らかな人たちが
いるところで、悪さしたズルした人を傷つける悪口言った邪まな欲望に憑りつかれた
邪な情欲に取りつかれた邪な・・・という記憶がたっぷりある俺がそんなところに
いたらとても恥ずかしくていられません。

まてよ、全員がもれなく天国に行ったなら、まさか習近平、金正恩、プーチン、
トランプ、安倍晋三と同室になったりするのか?それはあまりにもうんざりなので、
「すみません、部屋を変えたいんですが」と言ったら、次の日に目が覚めたら横に
忖度の佐川さんがいて、ゲッとなって寝返りをうったらそっちにはジャニー喜多川!

そおか、血の池や針の山よりひどい、それが「悪人だって」という意味なのか?


ううう、ここは「水子供養」の地蔵尊。手を合わせました。。。