会津若松から、磐越西線(森と水とロマンの鉄道)という名の路線で新潟へ向かい
ます。1日に2本だけ新潟行きがあります。1本目は早朝5時28分の始発で各駅停車。
というわけで、2本目の11時2分発の快速に乗るしかない感じです。
この日は3月27日。山ではまだまだ雪が残っています。実に4月11日に草津へ行った
のですが、そのときには大雪。桜が咲き始めている東京からは、ちょっと驚きました。
森と水とロマンですなあ^^ ローカル線ののんびり旅は、景色が楽しくて本を
読んでいられません。
ここはイザベラ・バードが進んだ道なのですね。日光→会津→新潟と行ったはず
ですから。
新潟が近づいてくると、平野になって田んぼが広がります。米どころ、酒どころ
ですからね~。空も青空になってきました。
地方の駅は、どこもこんなふうに豪勢な改装をするよねェ。個性がなくて、私は
あまり好きではないです。街が分断されて視界が遮られるし。
駅前は賑やかで開発されていますが、探せばこんな古風な喫茶店がありました。
喫茶店とくれば「ナポリタン」。ランチタイムには、こんなおにぎりと味噌汁が。
このあとでコーヒーが出てくるので、味噌汁は…。あと、どれにでもついてくる
つけあわせが、パスタのサラダというのもかぶるなあ(^益^)w
駅に近いビジネスホテル。大浴場がついていて嬉しいのですが、さらに何千冊と置いて
ある漫画コーナーがありました。これがその部屋で読んでもいいのですが、自分の
部屋に一回5冊まで持っていっていいのです。返却はエレベーターホールにある
棚に返せばいい。朝になると、そのエレベーター前にある棚に沢山の漫画が。
みなさん、精力的に読んでいるようです。私もたっぷり読みました~^^
窓からはこんな景色。新潟は都会でした。あ、私は今回初めての地です。
何度も乗った、会津若松の街めぐりバス。運転手には「地元のおばちゃん♪」という
感じの人もいました。思い起こせば、東北のとある町ではアイドルみたいな長い髪の
お嬢さんがバスの運転手をしていたなあ。最近は都内の電車の車掌さんも若い女性が
増えています。電車の運転手だって、若い女性がでてくるのもまもなくだろうか。
そうしたら「撮り鉄」が増加したりして?
この日は、気になっていた「桜鍋 吉し多」に行ってみた。ナイスなじーさんが
カウンターの向こうにいる店でした。気さくなザ・職人という感じ。
会津に来たら食べねばならぬ「ニシンの山椒漬」。郷土料理を出すならどこにも
あるが、その店それぞれの微妙な味わいがあるのがこれ。おそらくは地元の酒飲みの
みなさん、「俺はここのが好きだ」「俺はあそこだな」なんて言っていることでしょう。
ここの売りである馬刺し。これはとろけるように柔らかかった。ここでは寿司ネタにも
されるのです。いままで何十軒の馬刺しを食ってきたことか。ホントにピンキリ。
どこにでもあるが、「これはイイ!(=゚益゚):;*.’:;」と思い出せる店は数軒。ここが
そのひとつに加えられました。
そしてバー、コージーへ。人気店だけに、早めの時間でも結構混んでいたなー。
例によって、一杯目はフレッシュ・フルーツのカクテル。
目についたのがこの「山桜」という聞いたこともないウィスキー。なんと福島。
笹の川酒造という1765年創業の、老舗の酒蔵が作っていた。ウィスキーは1946年、
なんと戦争でズタボロになった直後に造り始めている。
ピュアモルトで、15年樽で寝かせたものだ。「これ飲める?」と聞いたら、「一杯
1500円ですけれど、いいですか?」と聞かれる。盃欄処でもそうだったが、会津では
1000円を超える酒は確認を取るらしい。
貴重なレア物を、思いもよらずに安価で飲ませて頂きました。良く言えばバランスの
とれたウィスキー。私としては、「おお、ピートのきいたスモーキー」とか、「香りが
豊かだなあー」とか、「喉を通ったあとに広がる味わいの余韻」だとか、なんかもっと
記憶に刻まれる個性がほしかったような^^;
「なんかお勧めのカクテルを♪」という困った注文をしました。普通はせめて方向性とか
酒の種類とかぐらい言ってくれないと難しいよね^^;
すると「サンセット・ブリーズ」とかおっしゃったようなコレが出てきました。
「おそらくはお酒(日本酒)をたくさん飲んでらしたでしょうから、さっぱりと…」
と気をきかせて頂いたのです。
前日に反省したのですが、この店には、いつも会津の地酒を何種類も飲んだあとに、
かなり酔っ払ってから来ていたのです。だから一軒目の「吉し多」ではビールの次に
酒を一本だけ、という奇跡的に少ない、ほとんど酔ってない状態で来たのです。
しかし、よっぽどいつも「かなり飲んできてるな」、と思われていたのだな…w
昼飯にラーメンでも食べようかと、「くるくる軒」にやってきました。私はよく昼に
ラーメンを食べるのですが、会津若松ではとんこつやら何やら、凝った店が多い印象で、
普通の(?)さっぱり系がなかなか見つかりませんでした。ここは白味噌でしたね。
ここも人気で、ちょっと並びました。ところで右のほうに「てんぐ屋」という居酒屋の
看板がありますよね。この奥にある店、今回は2泊なので行けませんでしたが、なかなか
良い居酒屋なのですー。
ホテルに帰ったら、まだ部屋の掃除ができていなくて入れませんでしたw
連泊なんだけど、チェックイン時間の15時前でしたからね。しかたなく、喫茶店「蔵」
へ。ここは名前の通り、蔵の内部を改装した店です。なかなかいい感じで、いつも
使っています。
カップをくるり。デザインもいい感じですよね。ケーキも頂きました~^^
時間もあるので、ぶらりと鶴ヶ城へ。このお城を見ると、戊辰戦争でひどい砲撃を受け、
ボロボロになった写真の光景を思い出してしまいます。大山捨松さんが、幼少の頃に
この内部にいて、濡らした布団を砲弾にかぶせたのです。そして今回飯盛山に登り
ましたが、その光景を白虎隊の少年たちが見たのですね。。。
いまはきれいになっていますねェ。
お城の近くに、会津藩の藩校、日新館の跡地に碑があります。この学校は、上級藩士の
子弟が通ったのです。礼法、書学、武術などを学び、成績優秀者は上級の学校へ入り、
そこでも優秀だと江戸や他の藩へ留学できたとか。素晴らしいシステムだなあ。
戊辰戦争で校舎は焼失しましたが、この天文台の跡だけは残りました。「天地明察」で
出てきた渋川春海の暦なんかも学んだのでしょうか~。
一階は改装してとっぱらっちゃったのでしょうね。だってたくさんの窓が立派ですもの。
2階の窓を見てみると、あれれ、人はもう住んでないのかしら?凝った窓枠ですよね。
こちらは飯盛山の中腹にある「さざえ堂」。1796年に建てられた、六角3層
高さ16ⅿ、らせん形の昇降通路の造りになっています。
この入り口の前に切符売り場のボックスがあり、そこのおばちゃんが観光客が寄って
くると、「こちらは世界に例のない、らせん形の通路で・・・是非ご覧ください」
うんぬんと説明する。年季が入ってます。。。
これ、登りと下りが別々になっており、人がすれ違うことがありません。他に誰も
いなかったけど。ギシギシと音を立てて登ってゆきます。
ほどなく頂上に到達。いっぱいお札が貼ってあります。
で、下りの通路を回って降りて行くのです。ちょっと面白い構造です~(^益^)w
まち巡りバス「赤べえ」に乗って、街の西側、七日町にやってきました。これは
「なぬかまち」と発音されていました。
ここは駅前にある「阿弥陀寺」。
注目すべきは本堂の左側にあるコレ、実は鶴ヶ城の本丸にあった建物で、「御三階」と
呼ばれています。外観も名前も「3階」ですが、2階と3回の間に天井の低い部屋が
あるので、実は4階建てです。
おうむのショーコーが逮捕されるときに、こういった隠し部屋に潜んでいて、あっさり
捕まっていましたね^^; ここの最上階は、上からはしごを降ろさないと上がって
ゆけない仕組みになっており、密議所に使用されていたとか。
前回来たときにここらをぶらついて沢山写真を撮りました。こういう古くて味のある
建物が多いのです。これはいわゆる看板建築というより、2階は立派な部屋になって
いるのかな?
創業300年を超えるという白木屋。会津漆器の店で、今は資料館になっているそうです。
「呉服百貨店」、"Department Store"という横文字がハイカラですねー。ほれぼれ
する造りではないですかー。
正面には「第二営業所」と書かれていましたけど、横では「第二チェンストアー」
だってさ。すごくかっこいいけれど、看板建築って横から見ると、ちと悲しいよねー。
正面だけでなく、箱全部をこういう立派な造りにするって考えなかったのかなー。
奥に磐梯山、その前に猪苗代湖(言われないと湖はわからないよね)、手前左には
市の木、「アカマツ」だそうです。素敵なデザインですよね。「おすい」って言葉が
イメージを崩すけど^^;
飯盛山へやって来ました。山の形がご飯を盛りつけたように見えるということで
その名がついたようで、その単純でありがちな名前の山は日本中のあちこちにあります。
そのなかでも一番有名なのは、ここ会津若松にある飯盛山でしょう。白虎隊と呼ばれる
少年たちが、みんなで自刃したという悲しい出来事があった場所だからです。
山の入口には土産物屋さん。そして参道の右手にはエスカレーターがあり、じーさん
ばーさんでも楽に登れるのです。先日の四国の旅では一日30㎞を歩いた私なので、
わずか標高300ⅿの山にそんなんいらんがな、と思ったのですが、切符売り場の前を
通ったら、おばちゃんが「はいっ!こちらです!」と「入口はここしかないよ」的な
毅然たる断言をなさるので、ついそれに圧倒されて料金を払う。
わずかな距離の、たいしたことないエスカレーター。しかし利用を誘う若い女性の
録音されたアナウンスが流れている。「この階段を登るのはものすごぉ~~く大変
です。是非ご利用を・・・」なんて言っている。「ものすごぉ~~く」につい笑って
しまうま^^;
会津藩士の子弟たちで構成された白虎隊と呼ばれる少年兵士たちが、敗走するときに
この場所から町が焼かれているのを見て、「もうダメ。武士として潔く死にませう」と
自刃してしまったのです。哀れ子供たちの集団自殺。
武士の教育って、いまから思えばしょうもない洗脳ではないですか?死んじゃダメ
でしょ。恥じゃあないでしょ。お城で砲撃を受けた大山捨松さんなんて、その後生き
延びてアメリカに渡り、鹿鳴館の貴婦人とまで呼ばれるようになったじゃないですか。
ここから白虎隊の少年たちが燃えている会津の町を眺めたのです。
鶴ヶ城が見えています。
家族もみんな死んだ、と思ってしまったのでしょうな。(´;д;‘)ノ
少年たちの墓が並んでいます。
さて山から降りる途中、裏側に水脈があります。
洞穴が見えますね。これは猪苗代湖から会津盆地へ水を引いている用水路なのです。
江戸時代に、長い年月をかけて大変な工事を経て造られたものです。白虎隊の少年たち
が、敗走する際にこの用水路を潜って逃げてきた通路となりました。真っ暗な水路を
泳いで逃げてきて、ビショビショで山の上から自分たちの住んでいる町を見たら
燃えているのが見えて絶望したのでしょう。。。