さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

女川駅前にぎわい拠点

2018年03月26日 | 東北シリーズ



女川、少し歩いて港までやってきました。静かな海です。



後ろを振り返るとこうです。7年経ってもまだまだだなあ。海辺の近くは公園みたいに
なるようなので、優先順位はあとのほう、ということなのかもしれません。



「シーパルピア女川」では、テレビで見た「ダンボルギーニ」が展示されていました。
sea(海)pal(友達)pier(桟橋・埠頭)なんでしょうけれど、難しいよね^^;
ペンパイナッポーみたいな???



マニアックな執念が作り出した傑作です。段ボール製ですよ。



「地元市場ハマテラス」で休憩。すっかり観光地気分でビール♪
浜 terrace なんでしょうな。わかりやすいような、わかりにくいような?



新鮮な牡蠣が嬉しい。焼き牡蠣と両方かとも思ったけれど、6コになったらビールが
2杯になっちゃうよー。



こんなのは見るだけですねェ。日帰りで車で来ている人じゃないとね。



女川のロゴがかっこいい。どこかで見たな、と思ったら、前回来たときに温泉に入って
そのタオルに書いてあったから何度も見てるんだー。



シーパルピアの裏側に、仮設の喫茶店がありました。そおだ、石巻の仮設商店街も
なくなっていたし、女川も全部なくなっているから、なんか仮設店舗は久しぶり。


「下北沢コーヒー」とありました。なんで??? 女性の御主人に聞いてみましたら、
何やら下北沢の人に「うまいコーヒーだ」と言われたからとか、いわくがあるらしい。
「どちらからですか?」と聞かれたので、「下北沢のすぐ近くです」と答えると
嬉しそうに笑ってらっしゃいました。

ところで「まちなか交流館」は休館日!何やら復興状況を説明するパネルや模型なんかが
あるらしかったのだが。というわけで、お土産なんかがある「シーパル観光案内所」に入る。



そこでこんな分厚い写真集がありました。旅は始まったばかりで、これからずっと歩くのに、
こりゃあ重いな、、、と躊躇したのですが、ここで買わないと手に入る機会がないかなーと
3分ほど迷い、結局買いました。。。 このあとずっと持ち歩くのは重かったです。_| ̄|〇



ちょっとだけご紹介。震災前の女川。



震災後。すごいでしょwww



こりゃ気仙沼~。



水の力でこうもなるもんなんですね。w(゚益゚)wオーマイガッ!


整備された女川駅前

2018年03月25日 | 東北シリーズ



石巻駅から電車に乗って、女川に行ってみます。仮面ライダー、正義の味方よりも、
ショッカーの怪人のほうがキャラがたってて好きなんだけどなー。子供が怖がるかー。



駅の横で一服^^ 東京ではほぼ吸えるところがなくなってしまいました。地方は人が
少なくていい。灰皿の上には、昨日見てきたサン・ファン・バウチスタ号♪



前回来たときにはどしゃぶりの雨だったなあ。



女川が近づいてくると、仮設にしては立派だけど、やっぱり仮設住宅?



うわー、駅前の整備が完了してる~。お店もみんなやっているようです。



な~んかきれいで、逆に落ち着かない感じかな。やはり海が見えているのはいいですよね。
手前の土地は、盛り土をして高くなっているのです。この景色を10mの防潮堤で囲って
しまったら、まるで大きな刑務所になってしまう。



前回来たときです。まだ盛り土をしているときでした。駅前にはまだ何にもなく、
タクシーで高台にある仮設商店街に行ったのです。その商店街はもうなくなって
更地だそうです。その人たちはどうしたんだ?駅前は何軒か、オサレな店が
あるだけのようだが。。。



港の前は、まだ工事中でした。有名になった横倒しの交番は、そのままになっています。
周りに盛り土をしたもんだから、なんだか埋まっているみたいになってしまったw
これモニュメントとして残すか、片づけてしまうか、7年経ってまだ決まってないとか。



3年前は、まだこんなでした。俺の抜いた奥歯みたい^^;
後ろに建設中の商店街が見えてます。



すぐ横の高台には、造成地が出来て家が建てられています。山をあれだけ削ったの?
それともあれだけ盛り土をしたの?どちらにせよ、すごく大変でしたでしょーwww


石巻 2軒目は「ベル・コルポ」

2018年03月23日 | 東北シリーズ



「六文銭」を出て、石巻の夜の街を彷徨う。目指すは「復興バー」。

行ったら、閉まっていました。。。 おかしーなー。定休日じゃないはずなのにー。
まさか閉店? あとでみたら、週の前半は休みなんだそうです。石巻は2泊なのにーw



一瞬途方に暮れるが、お向かいさんに、こんなオサレな店が出来ている。前はなかったよ?
まるで六本木あたりにあるみたいな雰囲気だ。ここにすっかー。



さっきまで六文銭で日本酒を飲んでいたのとは別世界だ。オーナーさんは、まだ中年に
さしかかったというところ。「これから」の店だなあ~。ワインのラインナップも立派だし、
料理も洗練されています。こりゃあ人気店のステイタスを得られるだろう。10年、20年後に
石巻にやってきても、「ここがあるな」と思わせてくれる店があるのは嬉しいことです。



グラスワインで「バローロ」がありました。イタリアワインの最高峰。なかなかグラス用に
開けてくれるところは少ないぞ。すごいぞ、この店。こういうのを飲む人たちが次々に
やってきて、この文化を支えないと続かないことです。

昼間に街はずれをバスで通過し、更地に家がポツポツ建っているのを見た、と言いました。
内陸部に入ったところが宅地用に整備されて、自治体は人口流出を避けようと、若い人たちに
一生懸命そちらに家を構えろと勧めたそうです。それでローンを組める若者たちは、頑張って
一軒家を購入。そういう人たちは借金を返すのに大変だから、なかなか飲みには出てこない
そうです。

しかし30年とかでローンを組める人はまだいい。中年を過ぎたり老人だったりすると、
ローンを組むことができません。津波の被害にあったそういう人たちって、いったいどうして
いるんでしょうか。



気がつくとまもなく午前0時。今日も6時間以上飲みました♪
〆には、旬の苺のカクテル。サッパリ美味しい(^益^)b



そしたらマスター、こんなのをサービスしてくれました。ゴージャスな夜でした。。。


石巻の夜は「六文銭」

2018年03月22日 | 東北シリーズ



サン・ファン館を見たあとは、またとぼとぼ歩いてバス停まで行かねばならぬ。
バスも本数少ないからな!



おっ、サン・ファン・バウチスタ号。哀れつねながぁあああ!



ここも津波のときは地獄絵図になったのだろう。。。



おおお、広がる更地に、新築の家が建ち始めているではないか。もう7年なんだよなあ。



すかすかに、きれいな家がぽつりぽつり。なんか既視感。そおだ、千葉ニュータウンだ。
バブルの時代に、都心は土地の値段が上がり過ぎたから、郊外っつーよりも田舎に
入るようなところに家をびっしり建てる都市計画があったのだが、いくらも家が建たない
ところで開発は終わった。人口が増えないため、大型スーパーなどは次々に撤退。
あとは不便な土地に、長いローンを組んだ家がパラパラと残ったというわけ。悲しすぎる。

こういう津波跡地はどうなんだ?これから家がどんどん建って、以前のような賑わいが
戻るのか?そんなにみなさん新築の家を建てられるのか?



「売地」の看板がいくつもあるぞ???



駅に戻ってまいりました。「自衛官という選択もある」ときたもんだ。むかしから、世界中で
職がなく金に困っている人たちには軍隊への誘いがある。被災地でこういう看板はいかがな
ものかとw(゚益゚)w

いつでも戦闘の一番前に出されるのは、被差別民族や貧乏人と決まっている。前に自衛官を
危ない地域に派遣することが国会で審議されているとき、「戦闘になったら命の危険が
あります。そうなったらどうするんですか」という質問に、政府は「そういうことは想定して
いません」と答えていました。原発のときと同じだな。何かあったら「想定外」。

腹を据えて、「軍隊とはそういうものです。命をかけてやらなきゃならないことがあるんです」
と答えたらどうなんだろう。



さて石巻に来たら「六文銭」。以前に吉田類が来ましたね。「吉田類が行った店」に行く
ことがありますが、俺が行って気に入った店に吉田類が行くと、ちょっとうれしい^^



まず最初は墨廼江大吟醸「弁慶岬」。これは実に上品な造りで、しっとりした女性のように
柔らかい♪ 私は酔う前に、一番最初に一番いい酒を飲みます。

次に「日高見純米吟醸」、さらに「浦霞禅」と、宮城の銘酒オン・パレイド!



ここはですね、何を食っても飲んでも素晴らしいです。雰囲気もお高くとまってないし、
とってもいい店。わざわざはるか石巻まで来たい、と思わせるほど。



この穴子がだな、「いままで食べたのはいったい何だったのだろう」と思わせるほどに
ふんわり柔らかく美味しい。これもわざわざ食べに来たい、と思い出させるほどなんだよ。

常連さんがやってくるとの電話が入った。すると店員の若いお嬢さん、大将に「モロキュー
は作っておかなくていいんですか?」と言う。「ん?」「だって、あの人かならずモロキュー
たのみますよ♪」「おお、そうだな!作っておこう♪」ときたもんだ。

その常連さんがやってきて、隣のカウンターに座りました。「今日は何にするかなー。
刺身は何が入っているの?それと、あれとこれね~」「・・・」しばしの沈黙のあと、
大将が「・・・モロキューはいいんですか?」と聞いた。

「おお!そうだ。モロキューもらおう!」そこで大将は満面の笑み。だってもう作って
あるんだもんなあ~^^;

カウンターでひとり手酌で全部聞いていた俺、にやりと笑ったら、笑顔のお嬢さんと目が
合ってお互いニッコリ。なぜかそれをきっかけに恋は始まらなかったなあ~。。。


サン・ファン館 支倉常長の展示

2018年03月20日 | 東北シリーズ



サン・ファン・バウチスタ号。以前は内部を見学することができましたが、老朽化のため、
いまはここからしか見ることはできません。近づくのもダメとは。マストが倒れてきそう
だから?



見張り役が、あの高いところに登って「船長~!」なんてやりますよね。気持ちいいだろな。



左で跪いているのが支倉常長。真ん中が独眼竜・伊達政宗。右は宣教師。
メキシコとの交易を許可してもらうため、「スペインに行ってこい!」というわけです。
しかし伊達政宗、なんかショッカーの怪人みたいだよなあ(^益^)w



こんな船でメキシコに行き、大西洋を渡ってスペインへ。そして地中海を渡ってローマ
まで行ったのです。



スペインの王様に頼んでも、なかなか交易の許可はもらえません。何か月待っても埒が
あかず、ローマ法王まで会いに行って、あんよにキスまでしたのに、許可を得られません。

「そもそも仙台藩は東北の田舎だから日本の代表として来ているわけじゃなし、さらに
キリシタン弾圧までやっているそうじゃないか?」なんて情報が入ってきては、うまく
行くはずがありません。しかし手ぶらで帰るわけにもいかないので、常長は何年も苦しむ
のでした。

サン・ファン館では、『二つの大津波とサン・ファン・バウティスタ』と『夢の果てまでも』
という各20分ほどの記録映画を上映していました。もちろん両方、ひとりで観ました^^;

『二つの大津波とサン・ファン・バウティスタ』は、伊達政宗が支倉常長を派遣する
少し前に、地震と大津波の被害があって、遣欧使節の船を出すという企画は復興にからんだ
計画だったのではないか、という話でした。

『夢の果てまでも』は、常長が苦労した旅の記録。メキシコとの交易許可を得るため、そこを
植民地にしていたスペインまで行ったのに許可を得られず、カトリック総本山のバチカンまで
行ったんだよ、という話だったのですが、常長がサン・ピエトロ寺院についたところで
厳かな音楽が流れて「おわり」だったのには驚いた。

あのー!結局相手にされなくて、国外退去命令まで受けて、何の成果も得られずに終わった
んです。失意の帰国の際は、交渉のために洗礼まで受けて(魂まで売って?)キリシタンに
なったもんだから、禁教になっては国にも入れず、マニラで2年!息子に手紙で「帰りたい
よぉ~。殿様にはしっかり仕えるんだぞ」と健気な手紙を出しています。ひどすぎる。

サン・ファン館では常長は「仙台の偉人」というわけだから、「すげー、400年前にローマまで
行ったんだよ!」ということなのですね。キリシタン禁教令が出たものだから、常長はどう
人生が終わったのか、確かなことはわかっていません。貿易交渉許可を得て凱旋帰国し、
仙台藩はそれを機会に豊かになったのでした、という歴史だったら、もっといろんなことが
記録されていたのでしょう。

そう、何か大きな結果を残した人しか記録は残らない。この遣欧使節団に加わったのは300人
くらいいたそうですが、どんなメンバーだったのか、よくわかっていないのです。長い間
スペインで足止めをくらっている間に、「ここに残る」といった連中が「JAPON(ハポン)」
という姓を名乗って永住した連中もいるのです。

そいつらの伝記があったらきっと面白いよ。間違いなくロマンスがあったんだよ。なきゃ
祖国や家族を捨てて、地球の反対側に骨を埋めようなんて思わないでしょ。老人になった
「元日本人」に会って、どういう人生だったか話を聞きたいねェ。。。

以前に書いた「はしごをはずされた支倉常長」もどうぞ^^
https://blog.goo.ne.jp/sakichi21/e/f9a2e311e265491df0c6adb0862f6af6