タイトルが長くなりましたが、梅蔭禅寺にやってきました。りっぱ~。
その裏に小さな掘っ立て小屋のような建物、「遺品館」と書いてあります。
せめて「清水次郎長遺品館」って書けばいいのになー。
おおお、カッコいい。おやぶんさんの像がお出迎え。
左が喧嘩のときにかむった頭巾。右は博打の道具です。若い頃は、とにかく博打と喧嘩。
大きなグループ同士の喧嘩があったとき、「待った待った待った~~!」と間に入って
仲裁に成功。それで男をあげたわけです。こういう大人数の喧嘩って、怪我人、死人が
たくさん出るので、実はやりたくないけれども引くに引けないってことがあるんですよね。
しかしひとりで間に入って行くって、そりゃあよっぽどうまくやらないとねェ。
大人になったら人間が大きく丸くなってきたのでしょう。親分さんは富士裾野の開墾の
事業に精を出し、人々が豊かになれるよう尽力しました。いまでも「次郎長町」という
地名が残っているそうです。そこの町長さんは、「じろちょうちょうちょうちょう♪」
晩年は近所の子供をかわいがったり、困った人には施しをするようなジイサンになった
そうです。けんかけんかの人生を送ってきて、平和な老後を送れるなんて、よかったねェ。
次郎長一家面々の墓が並んでおります。やや左に飛び出た大きな石が次郎長親分。
あとは子分たちで大政、小政だの。死んでも並んでいられてよかったですねェ。
さて清水駅に戻ります。昨夜徘徊して、目当てのバーが見つけられずに彷徨った夜の
繁華街。店の名前も忘れてちゃ、見つかるわけがない。
最後の昼飯はちょっと立派なところに入りました。昼から地酒が飲めるところを選ばなきゃ
なあ。客は他に誰もいなかったので、飲み比べセットを頼んだら、「いいのばかりを
選びましたよ^^」とサービスしてくれました。
次郎長ツアーをやってきたばかりなので、森の石松の「寿司食いねェ!」を思い出す。
続けて石松が仲間から「馬鹿は死ななきゃ治らねェ」とからかわれたところも思い出す。
酒飲んで、何度失敗しても、、、いや酒を飲んでないときだって、、、と自分の馬鹿さ
加減が走馬灯のように浮かんでくる。ひとりカウンターで「思い出しはずかし」。
みなさんはありませんか。突然「すみませーん!」と声に出そうになること。。。
というわけで、焼津・静岡・清水の旅は終わりました。
そろそろ花粉が飛び始めたので、今度は東北のほう、福島方面に避難だ!