10円玉が製造されて60周年を迎えたということで、絵柄に使われている京都宇治の平等院に、造幣局から記念硬貨セットが贈られたということです。平等院鳳凰堂を見ながら一番身近な硬貨だったことを改めて想いました。
10円玉が製造され流通するようになった昭和26年は、戦後の混乱から朝鮮戦争による特需により日本が本格的に復興に向かう時期にあたります。当時の貨幣価値では郵便(封書)切手や電車の初乗り運賃が10円だったということから、大体現在の100円くらいの値打ちだったのではないでしょうか。
10円玉といえば僕らの子供時代には駄菓子屋さんの想い出となりますが、後に発ガン性が判明して製造中止になる化学甘味料チクロを使用したようなものを、お小遣いの10円玉を何枚か握りしめて買いに行ったものでした。現在も営まれている駄菓子屋さんも各地に残っていて、10円で買えるたくさんのお菓子が今も地域の子供達を楽しませています。
また僕が小学生の頃の話ですが、一升瓶を酒屋さんに持って行くと10円と交換して貰えたので、他所の家の裏などに半分埋まっている瓶を(秘かに?)貰ってきて、一度に10本くらいを水洗いし手押し車に乗せて持って行きました。そうして稼いだ100円余りで戦艦大和やゼロ戦のプラモデルが買えたのでした。
今朝のテレビニュースでは、リサイクルショップの一郭に設けられた10円均一コーナーに、不況や流行遅れなどで企業の倉庫に売れ残った商品を安く集めて、いろいろ売られていて買い物客が驚いていました。
※ 10円玉にも側面にギザギザのある硬貨が造られていた時期がありますが、ギザギザは硬貨の中でその時に一番高いものに付けられるということで、後に100円玉が出てきて無くなり今では少し希少価値もあるようです。