続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)氷水。

2021-12-01 07:46:34 | 飯島晴子

   氷水東の塔のおそろしく

 氷水はヒョウ・スイと読んで、飄、吹。
 東の塔のおそろしく(東塔恐)はトウ・トウ・キョウと読んで、稲、倒、凶。
☆飄(つむじ風)が吹くと、稲が倒れ、凶(作物の出来が悪い)。

 氷水はヒョウ・スイと読んで、評、遂。
 東の塔のおそろしく(東塔恐)はトウ・トウ・キョウと読んで、等、淘、競。
☆評(品定め)を遂(やりとげる)。
 等(差がないもの)を淘(より分ける)競(きそい)がある。

 氷水はヒョウ・スイと読んで、憑、睡。
 東の塔のおそろしく(東塔恐)はトウ・トウ・キョウと読んで、套、党、驕。
☆憑(のりうつる)睡(ねむけ)を套(おおう)党(仲間)の驕(可愛らしさ)。

 氷水はヒョウ・スイと読んで、表、衰。
 東の塔のおそろしく(東塔恐)はトウ・トウ・キョウと読んで、党、等、況。
☆表(おもてに出た)衰え。
 党(仲間)は等(同じような)況(ありさま)である。


M『不穏な天気』

2021-12-01 07:25:14 | 美術ノート

   『不穏な天気』

 晴れわたった好天を描いて『不穏な天気』とタイトルした意図は何だろう。
 天地、空があり海があり、山(大地)が垣間見える。この大きな空間の中空に純白の《椅子・管楽器・トルソ》が並んでいる。

 椅子は人を連想させ、高い地位の君臨を思わせる。
 管楽器は《命令・宣言》。
 トルソは疑似人間である。

 この三体、そして背景の空と海と大地。

 はじめに神は天と地とを創造された、地は形なく、むなしく、やみの淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。(略)おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。(略)
 神は自分のかたちに人を創造された。(『聖書』創世記より)

 物理的な自然の創生ではなく、神の支配を(不穏)と危惧したのだと思う。


『水仙月の四日』(了)

2021-12-01 06:40:30 | 宮沢賢治

「さあ、ここらの雪をちらしておくれ。」
 雪狼どもは、たちまち後足で、そこらの雪をけたてました。風がそれをけむりのやうに飛ばしました。
 かんじきをはき毛皮を着た人が、村の方から急いでやつてきました。
「もういゝよ。」雪童子は子供の赤い毛布のはじが、ちらつと雪から出たのをみて叫びました。
「お父さんが来たよ。もう眼をおさまし。」雪わらしはうしろの丘にかけあがつて一本の雪けむりをたてながら叫びました。子どもはちらつとうごいたやうでした。そして毛皮の人は一生けん命走つてきました。

 子どもは子供(死境)から脱したのだろうか、雪を被さり、凍死を避けたということか。
「お父さんが来たよ」子どもは雪の遭難から一晩じゅう雪の中に居て助かった(らしい)という場面である。

(三人の雪童子は、九疋の雪狼をつれて、西の方へ帰つて行きました。)
 この三人は『水仙月の四日』、船の形をした月に乗る来迎…極楽浄土から(臨終の人)を迎えに来た阿弥陀如来や菩薩(観音菩薩・勢至菩薩)を暗示している。しかし、賢治は雪童子とだけ書き、すべての雪童子を同列に描いている。そして雪童子に指令を与えているであろう雪狼は連れられている立場におき、雪童子を雪狼の主人にしている。主従を逆にし開放しているのだと思う。


 毛皮を着た人は、亡(死)を秘(隠した)人ではないか。
「もういゝよ。」雪童子は子供の赤い毛布のはじが、ちらつと雪から出たのをみて叫びました。
 赤い毛布…毛布はモウ・フと読んで、亡、訃(死の報せ)、すでに死んでいるのを見て(悲痛な)叫びをあげたのではないか。
(子どもはちらつとうごいたやうでした。)生きているのだという兆し…生死の確定は謎である。

『水仙月の四日』は極楽浄土へのお迎えがある有難い日なのだから《ひゆう、ひゆう、非有(存在を消す)》と、わざとぶつかりながらも、走り回った雪婆んご・雪童子・雪狼の幻想。切なくも激しい痛みを伴う『水仙月の四日』の空想譚である。