続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)わが旦暮。

2021-12-14 07:40:38 | 飯島晴子

   わが旦暮菊吸虫のありやなし

 わが旦暮(我旦暮)はガ・ダン・ボと読んで、画、壇、模。
 菊吸虫はキク・キュウ・チュウと読んで、聞く、急、抽。
 ありやなし(有無)はユウ・ブと読んで、融、部。
☆画壇の模(ありさま)を聞くと、急(にわか)に抽(抽象)が融(流通し)部(区分けされている)。

 わが旦暮(我旦暮)はガ・タン・ボと読んで。餓、嘆、募。
 菊吸虫はキク・キュウ・チュウと読んで、危懼、給、厨。
 ありやなし(有無)はユウ・ムと読んで、友、務。
☆餓(食べ物が無くて)嘆きを募らせている。
 危懼(あやぶみ怖れる)給(世話をする)厨(料理場)の友の務め。

 わが旦暮(我旦暮)ハガ・タン・ボと読んで、我、胆、簿。
 菊吸虫はキク・キュウ・チュウと読んで、起句、究、注。
 ありやなし(有無)ハ「ユウ・ムと読んで、幽、謀。
☆我(わたくし)の胆(本心)は簿(ノート)にある。
 起句(文の初めの文句)を究(つきつめると)注(書き記した)幽(かくれた)謀(はかりごと)がある。


M『凌辱』

2021-12-14 07:14:45 | 美術ノート

   『凌辱』

 凌辱とは、人を侮り恥をかかせること、女性を力づくで犯すことである。
 この絵を見ると、顔面が胸や陰部に置き換えられている。

 たしかに恥をかかされたような被害意識が過る。顔面が、本来隠すべき胸部や陰部であっては他者と対面することは難しい。

 なぜか、何故隠すべき部位であると全ての人が共通に認識するのか。醜悪だろうか、否、人間の本質的な部位、欲求・生理の根源であれば、秘めて然るべきだという感情は自然である。
 ゆえに自然に反するこの絵への反感は抑えがたい、一つの暴力でもある。

 鑑賞者が作品を見る場合の起点(照準)は自分自身である、自分自身に比しての感想は当然目を背けてしまう俗の領域に他ならない。
 しかし作家は、あえて問いを発しているのである、なぜ悪寒が走るのかと。
 根源的な問いに応えて見よと、まさしく問いを投げかけているのである。

 

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『序』7。

2021-12-14 06:33:59 | 宮沢賢治

 すでにはやくもその組立や質を変じ
 しかもわたくしも印刷者も
 それを変わらないとして感ずることは
 傾向としてはあり得ます
 けだしわれわれがわれわれの感官や
 風景や人物をかんずるやうに
 そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに

 組立や質を変じはソ・リツ・シチ・ヘンと読んで、祖、律、死地、辺。
 印刷者はイン・サツ・シャと読んで、隠、察、写。
 変わらないとして感ずるはヘン・カンと読んで、片、換。
 傾向としてはあり得ますはケイ・コウ・トクと読んで、継、講、匿。
 感官はカン・カンと読んで、看、換。
  風景や人物はフ・ケイ・ジン・ブツと読んで、普、系、尽、仏。
 共通に感ずるはキョウ・ツウ・カンと読んで、教、通、貫。

☆祖(先祖/ならうこと)が律である。
 死地の辺(あたり)の隠(かくれたもの)を察(明らかにし)写して片(二つに分けた一方)を換(入れ替えると)普く系(つながる)。
 尽(全て)仏の教えに通じ貫かれている。