続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)月見草。

2021-12-09 07:17:59 | 飯島晴子

   月見草ぼうぼうとたくたなごころ

 月見草はガツ・ケン・ソウと読んで、合、兼、総。
 たくたなごころ(焚掌)はブン・ショウと読んで、文、証。
☆合わせて兼ねる総ての文には証(裏付け)がある。

 月見草はガツ・ケン・ソウと読んで、合、験、草。
 たくたなごころ(焚掌)はフン・ショウと読んで、芬、菖。
☆合わせて験(確かめる)草の芬(良い香り)は菖(あやめ)である。

 月見草はガツ・ゲン・ソウと読んで、合、現、騒。
 たくたなごころ(焚掌)はフン・ショウと読んで、奮、障。
☆合(一緒になって)現れて騒ぎ、奮(勇み立つ)。
 障(邪魔)である。


M『野の鍵』

2021-12-09 06:50:00 | 美術ノート

   『野の鍵』

 室内から窓外の景を望む絵である。
 窓ガラスは破損し、室内に散乱している。

 破損した窓ガラスの破片は、外の景色を映したまま落下している、映り込んだ景色がガラスに留まり固定されることなどあり得ない。これら破片をつなぎ合わせると時間を戻した以前の景に戻るということが連想される。(こうであったに違いない)と。

 AからBへ時間的に移行し著しい変化があった場合でも、可逆は物理的に絶対に無い。時間は変化である。時間は直進し、不可逆を旨とする。

 第一、窓ガラスから見た景色は・・・窓ガラスという透明な媒体を通して見えたに過ぎず、窓ガラスそのものは景色とは無関係である。作家の目の記憶、脳裏に刻まれた映像は、いわば心理(精神界)であって物理的な論拠はない。


 にもかかわらず、この絵の仕組みを甘受し理解できるのは、多くのデータのつなぎ合わせによるもので(正しい)と認識せざるを得ない心理が働くからである。
《違和感》は絶対にある、しかし《違和感を否定するもの》が視覚を通して肯定を促すのである。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『序』4。

2021-12-09 06:23:14 | 宮沢賢治

 これらについて人や銀河や修羅や海胆は
 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがえへませうが

 人や銀河や修羅や海胆はジン・ギン・カ・シュ・ラ・カイ・タンと読んで、腎、吟、化、衆、等、解、譚。
 宇宙塵はウ・チュウ・ジンと読んで、迂、註、腎。
 空気や塩水を呼吸はク・キ・エン・スイ・コ・キュウと読んで、句、鬼、縁、推、個、究。
 新鮮な本体論はシン・セン・ホン・タイ・ロンと読んで、審、宣、翻、他意、論。

☆腎(重要なこと)を吟じ、化(教え導く)。
 衆等(人々)を解(諭す)譚(話)である。
 迂(遠まわし)に註(意味を書き記す)。
 腎(肝心なこと)は句(言葉)と鬼(死者/亡霊)との縁(つながり)を推しはかることである。
 個(一つ一つ)を究め、審(正しいかどうかを明らかにする)と宣べる。
 翻(作り変えて)他意を論じる。