続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)蜩の。

2021-12-02 07:19:37 | 飯島晴子

   蜩の下野にして男多し

 蜩はチョウと読んで、超。
 下野はカ・ヤと読んで、過、也。
 男多しはダン・タと読んで、壇、太。
☆超過なり。
 壇(専門家仲間の社会)は、太(きわめて大きい)。

 蜩はチョウと読んで、懲。
 下野はカ・ヤと読んで、苛、也。
 男多しはダン・タと読んで、弾、詫。
☆懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)は苛(厳しい)也。
 弾(罪をただし)詫(わびる/謝罪すること)である。

 蜩はチョウと読んで、重。
 下野はカ・ヤと読んで、荷、爺。
 男多しはダン・タと読んで、断、汰。
☆重い荷を爺(男の老人)は断り、汰(えらびわけた)。

 蜩はチョウと読んで、長。
 下野はゲ・ヤと読んで、下野。
 男多しはナン・タと読んで、難、多。
☆長(トップ)の下野(官職を辞めて民間に下ること)は難(むずかしいこと)が多い。


M『呪い』

2021-12-02 06:56:13 | 美術ノート

   『呪い』

 空の景である。
 雲が浮かんでいるが、特別異様というのでもない普通の青空である。それがなぜ『呪い』なのか。

 呪い、たたり、災い・・・受動。
 呪い言葉、悪口、悪態をつく・・・自動。

 わたくしと空の関係。空の自然に悪意は皆無であり、物理的に『呪い』の感情は存在しない。

 例えば疫病が流行る。窮地の根源や対象を図りかね、呪うという現象に到ることはママある。
 しかし、呪うという現象は総体的に起こるものではなく、個人的なものである。そして、決して形にはなり得ず、生じたかと思うと霧散し忘れている。忘れたかと思うと、生じる。

 まったくもって『呪い』とは、掴みどころのない浮雲みたいな、浮雲そっくりな現象である。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『屈折率』

2021-12-02 06:35:43 | 宮沢賢治

 七つ森のこつちのひとつが
 水の中よりもつと明るく
 そしてたいへん巨きいのに
 わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
 このでこぼこの雪をふみ
 向ふの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
   (またアラツデイン 洋燈とり)
 急がなければならないのか

☆死地の真を推しはかる。宙(宇宙)の冥(死後の世界)を虚しく問う。
 講(話)には考えが宿っている。
 吾(わたくし)は掩(隠して)運(巡らせている)。
 隠した記は幽(死後の世界)の弁であり、客(旅人)は普く曜(光)であり、等(平等)を究める。

 七つ森は地球、現世であり、こっちの一つは来世である。そして、二重の風景は常に現世と来世が背中合わせの景になっている。