続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈍くても、行く!

2021-12-30 07:34:38 | 日常

 ハテ、何を書こうとしたのか・・・忘れてしまう。
 もちろん人の名前も出ないし、今の電話も、何だっかという具合。
 一日中、歩けば痛いし、座れば座った切り動かない。

 年の暮れ…猛烈な勢いで片づけ、スッキリとはいかない。一昨日は窓ガラスとカーテン、昨日は不用品の整理を不十分ながら決行したようなしないような…おぼろ。
 何をしても鈍い、衰えていく機能に逆らえない。

 こんな風でとうとう年の暮れ、晦日である。昨日は目いっぱい買い物をし、今日は忘れたものを買い足しにいく。

 恥ずかしいような暮らしぶり、質素が身についているからお正月も晴れ晴れと気張るほどでもなく淡々としている。
 あと少しで七十五歳、後期高齢者である。
 生きている限りは生きねばならない。笑おうか、笑うしかないね。三浦半島は今日も晴れていてそれだけで身に余る幸福!


『飯島晴子』(私的解釈)萵苣色の。

2021-12-30 07:11:13 | 飯島晴子

   萵苣色のタイルに眠る少年団

 萵苣色はカ・キョ・ショクと読んで、化、拠、嘱。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、正、念、団。
☆化(教え導く)拠(よりどころ)は、嘱(委ねる)民(民衆)の正念(本気)を団(一つにまとめること)である。

 萵苣色はカ・キョ・シキと読んで、過、許、式。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、将、念、談。
☆過(あやまち)を許す式(やり方)である。
 民(民事)は将(これからは)念(気をつけるように)と談(話す/説得する)。

 萵苣色はカ・キョ・ショクと読んで、家、居、植。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、招、念、弾。
☆家居(やもめ暮らし)である。
 植民(移住)の招きに念(思い)を弾ませる。