続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『ポラーノの広場』102。

2013-09-27 06:06:20 | 宮沢賢治
「ぢいさん、ポラーノの広場の方角を教えてくれたら、おいらぁ、ぢいさんと悪魔の歌をうたってきかせるぜ。」
「縁起でもねえ、まあもっと這ひまはって見ねえ。」ぢいさんはぷりぷり怒ってぐんぐんつめくさの上をわたって南の方へ行ってしまひました。

 広場はコウジョウと読んで、黄壌(黄泉)。

☆黄壌(黄泉、冥土)の法(心理)を書く。
 境(人が置かれた状態)の和(争いを収める)などの、真の化(教え導くこと)である。
 掩蔽(おおわれた)鬼(死者)の赦(罪や過ちを許す)を顕(あきらかにする)。
 努(力を尽くす)神の難(苦しみ)を包む講(はなし)である。

『城』1407。

2013-09-27 05:51:15 | カフカ覚書
この闇夜のなかでなにも返事をしないでだまっていると、相手は、かえって挑発されたようにおもうのだ。案の定、しばらくすると、馭者は「コニャックをお飲みなさるかね」

 闇/Finstenis・・・〔天〕蝕。
 かえって(ほとんど)fast→Vast/荒涼とした。
 馭者/kutsschen→Kuster/会堂番。

☆先祖の返事がないことはこの蝕(死の入口)が荒涼としており、刺激的だということだった。事実、しばらくすると、先祖の会堂番は言った。

感動。

2013-09-26 06:36:10 | 日常
 無気力な若者がいる反面、飛びぬけて頑張る若者もいる。内実は伝わってこないけれど、最近、高校生の演劇をTVで見るともなく見ていて、むしろ自分の無気力に呆然としたことがある。

 全国大会の優勝高、大阪府立鶴見商業高校の生徒たち・・・脚本、構成、演出、キャスト・・・ずば抜けた設定。小さい頃から養成所のような所に通っていたのだろうか、達者な台詞回し、堂々とした告発、飾らない真意は鑑賞者を惹きつけて止まないパワーある魅力を炸裂させていた。


 恥ずかしい年頃・・・セリフ一つにも粉飾が交ざる、本当のことなんて言えない。オブラートに包まれたように難なく過ごす夢見心地の嘘。

《そうじゃないでしょ!》
 この環境の、この国の亀裂と差別。闘うべき巨きな何かに向かって、自分をさらけ出し告発する勇気と怒りと情熱。

 折れる、折れない、押していく!


 薄ぼんやりと、老いの初めに甘んじているわたし・・・脳天を撃たれたような鳥肌。

 大阪府立鶴見商業高校演劇部の裸の熱演に拍手!感動はまだ胸の中にあります。

『ポラーノの広場』101。

2013-09-26 06:30:54 | 宮沢賢治
「行けねえよ。あっいけねえ、たうとう悪魔にやられた。」ぢいさんは額を押へてよろよろしました。甲むしが飛んで来てぶっつかったやうすでした。ミーロが云ひました。


☆荒(でたらめ)の和(争うを納める)真(本当)の学びは往(人が死ぬ)の講(はなし)の秘(秘密)である雷(神なり)の運/めぐりあわせである。

『城』1406。

2013-09-26 06:20:35 | カフカ覚書
「あんたが立ちさりなさるまでさ」と、馭者は答えた。Kは、相手の言うことがよくわからなかったが、それ以上たずねようとはしなかった。こういう高慢ちきな相手にしゃべらせるには、こうするのがいちばんよいとおもったのである。

 言う/Reden・・・噂をする。

☆「あんたが立ちさる(消える)まで」と、会堂番は言った。
 Kは相手の考えがわからなかったが、それ以上たずねようとはしなかった。不遜な相手の噂話を存続させることが賢いと信じたのである。
*会堂番というのは(本当の)死の前にいる(想定上の)門番のことだと思う。

運動会。

2013-09-25 06:14:40 | 日常
 九月は運動会の準備に明け暮れることが多い。勉強よりはマシ(?)かもしれないけれど、運動が大の苦手なわたしにとって、それは辛い季節でもあった。

 ドン! とピストルが鳴る。それだけでも恐ろしいのに、それを合図に駈けださなければならない。(そのプレッシャー)なおかつ、鈍いときているから、いつでもビリから二番目あたり。振り向くと、もう一人もっと遅い子がいる。(信じがたいが、もうその子とは並んでゴールしたいくらいの親近感で思わずにっこりしてしまうという態)

 それにダンス・・・これも調子外れのわたしには、苦痛。右足出して~左足(ああ、どっちだったけなぁ~)って感じ。

 そういうわけで運動会は晴れがましい舞台でも何でもなく、ブルーというよりはダーク、超えねばならない山坂、艱難辛苦だった。


 某日ラジオに耳を傾けていると某タレントが、
「わたしは運動会が大好きでリレーの選手でしたが、兄は勉強はできるのに運動はまるでダメというタイプで、兄が走っている姿を見るのは忍びなかったのです。
 ところが、兄が走っているはずの徒競走で、万雷の拍手が起きました。何事かと恐る恐る目を上げてみると、『追越禁止』のゼッケンをつけた兄が最後尾を走っていました。これにはわたしも・・・」という話をしたのです。

 ああ、こんなユーモアで乗り切れるって素晴らしい。
 マイナスをプラスに変換する勇気とセンスがあったなら、運動会をもっと楽しめたのに・・・後悔先に立たずです。

『ポラーノの広場』100。

2013-09-25 06:05:05 | 宮沢賢治
「まあお前たちには用がなからうぜ。」ぢいさんはのどをぐびっと鳴らしました。
「ぢいさんはしじゅう行くかい。」
「行かねえ訳でもねえよ、いゝとこだからなあ。」
「ぢいさんは今夜は酔ってるねえ。」
「ああ上等の藁酒をやったからな。」ぢいさんはまたのどをぐびっと鳴らしました。
「ぼくたちは行けないだらうかねえ。」


☆全ての様(ようす)には迷いが交ざり、荒(でたらめ)には厄(わざわい)があることは、恨(残念に思う)也。
 推しはかることを帖(書きつけ)問う。
 講(はなし)は、主に冥(死後の世界)の考えである。

『城』1405。

2013-09-25 05:56:21 | カフカ覚書
「なにが長くかかるかもしれないんだね」と、Kはたずねたが、邪魔がはいったことをべつに迷惑に思ってはいなかった。というのは、いつまでもつづく静寂と緊張にいいかげんうんざりしていたからである。

 静寂/Still→Stell/地位、立場。
 緊張/Spannung→Sprnug/跳躍、亀裂。

☆「不変(永久)かもしれないんだね」と、Kはたずねたが、妨害されたとは思っていなかった。というのは、いつまでもつづく立場の亀裂にいいかげんうんざりしていたからである。

後期のプラン。

2013-09-24 07:02:33 | 日常
 年間の後期ではない、人生の後期のプランである。

 100歳以上の方が5万人を超える現代、もしかして、まさかとは思うけれど、わたしだって可能性がないとも限らない。
 とすると、66才のわたしにはまだ34年の歳月が残されていることになる。(重いなぁ)

 この三十余年を(もう終わりだ、もうダメだ)と悲観的に過ごすのはあまりに惨めでみすぼらしい。

 何かのイベントに参加するとき、(ちょっと年だから、最高齢かしら)なんて気分が退くことがある。たとえばアートテラーさんのツアーなんかも「あなたが来るとは思いませんでした」なんて思われないかという杞憂がある。ひょっと隣りを見るとみんな若い人ばかり(不味いな、なんでこんな所に紛れ込んじゃったんだ)一瞬のブルー。でもみんなお年寄りを大事にと思っているのか、気にしない風ではある。

 僻み・・・つい最近まで自分は年寄りでないと思っていたのに・・・♪今年六十のお爺さん、年はとっても~♪自覚し始めたわたし。


 忘れよう! まだ三十余年の空白が待っている(?)祭りはまだ先にある。
 
 白露や 死んでいく日も 帯しめて (三橋鷹女)

 遠くを見ながら今日の眩しい白さを踏んでいく!

 まだまだ? そう、まだまだ明るいプランで自分を解放していこう。

『ポラーノの広場』99。

2013-09-24 06:49:42 | 宮沢賢治
「数えてるさ、そんならぢいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。
「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたづねてゐるやうな、這ひつくばって花の数を数へて行くやうなそんなポラーノの広場はねえよ。」
「そんならどんなんがあるんだい。」
「もっといゝのがあるよ。」
「どんなんだい」


☆崇(気高く尊い)を致(招く)考えは、常に仁(博愛や同情の心)の善(道徳に適った行い)にある。
 赦(罪や罰を許す)を可(よいと認める)枢(かなめ)は、崇(気高く尊い)考えであり、講(話)の情(こころ)である。