「をかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
☆普く新しい談(はなし)である。
慄(恐れおののく)亡(死ぬこと)の訪れに、法(仏の教え)が趣(志すところ)の戒(いましめ)の記である。
さて、それから、バルナバスは、家へ帰ってきます。息を切らせて、やっとのことで手に入れた手紙をシャツの下の肌身に巻きつけて帰ってくるのです。それから、わたしたちは、いまみたいにこの長椅子に腰をおろします。彼が説明してくれます。
☆さて、それから、バルナバス(生死の転換点)は一族のもとに出現します。結局、手紙を手に入れ、故郷に帰って来るのです。そして、わたし達の先祖の不安を調べて説明してくれます
不思議な作品である。(作品群と言った方が正しく、その一つである)
膝を立てたその足が床に着地していない。重心は臀部と背中に張り付いた得体の知れない物体の着地点の二点に在るのみであり、二点によって安定を保っている。
人と背後の物体の関係性は不明であり、その物体が何を具現しているのかも分からない。
時間(過去のデーターの集積)だろうか、精神的なものに違いないと思うが、正(前向きなもの)なのか負(悔恨)なのかも不明である。ただそれが酷似した太い棒状の物の連鎖であることに着眼すると、やはり、抱え込んだ時空の連鎖、つまりは自身の過去という推論に至ってしまう。
不安定きわまりない人は膝を曲げている、つまり真直ぐ立っていないということであり、留まっている、思案に暮れているということである。このままでは床に倒れ込むしかない状態であるが、辛うじて背後を支えるものがある。
思索・・・観念(肯定)・否定・経験の連鎖・・・あらゆる内在の認識は外気(世界)との調和を図っている。膝を立て、手を排除された人は運動機能を失っているばかりか眼(視覚)鼻(嗅覚)耳(聴覚)口(味覚)などの感覚もない。
ひたすら存在の感覚を、何か(自身が持てるデーターの集積)で支え、均衡を保とうとしている。全てを放棄し、感覚のみで世界を推し図ろうとでもするかの静寂・集中である。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか」
「標本じゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。」
「をかしいねえ。」カンパネルラが首をかしげました。
☆路(物事の筋道)である往(人が死ぬこと)は、要である。
表(おもてに出たもの)を翻(形を変えて作りかえる)。
平(平等)の本(物事の根本)が趣(ねらい)である。
しかも、そのおかげで、バルナバスは、けしからん、のろまな使者だという評判をたてられてしまうんです。書記のほうは、もちろん、平気なもので、バルナバスが手紙を渡すと、〈クラムからKにあててだ〉と言うだけです。これだけでバルナバスは退出です。
☆そしてバルナバス(生死の転換点)は、悪意ある怠慢な使者だという評判をたてられてしまうのです。書記のほうは死の作り話で、バルナバスに手紙を渡すと〈クラム(氏族)からKあてだ〉と言うだけです。それによってバルナバスは解除になります。
若林奮の作品は並べて、任意の時空である。過去を内包し未来の時空へ変化していくに違いない時間を想定している。
一刹那、現象としての提示、そういう気がする。つまり必ずしも完成形として固定されたものではないという印象である。
継続される時空に安定はなく、観念的な計測も否定を余儀なくされるような冷徹な観測である。
日本列島が走る犬(狼)に変容される…これはどういう意味を持つのだろう。無機的な地盤が有機質の動物に牽引される。無機も有機も合体し変化していく、切り離せない関係性の中に未来はあるし、今までもそうであったのかもしれない。
気づかない存在の条理。大胆な見解ではあるが、獣の身体が列島に重なり、九州に至る先には女人の素足が縛られた形に変容している。エロス、性を露わにした発想は、見る者を惑わせる。
決して融合するはずのない異質な物との合体は、習得された観念をひっくり返すほどの威力を持ち、それは物質世界を解体する破壊力でもある。
《全否定》のエネルギーは、むしろ再生のエネルギーを挑発している。列島と言う地盤の上に共存する生物、性による連鎖の歴史、この小さなスケッチの中にはとてつもなく大きな主張がある。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
川原で待ってゐて、鷺がみんな、脚をかういふ風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押へちまふんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んぢまひます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
☆旋(めぐる)幻(まぼろし)の辞(言葉)が露(あらわれる)。
普く化(形、性質を変えて別のものになる)を縷(糸のように細く)案(考える)。
真(まこと)の詞(ことば)を採(選び取ると)往(人が死ぬこと)の様(すがた)がある。
けれども、それが古い手紙であるのなら、なぜバルナバスをこんなに長いあいだ待たせておいたのでしょう。そして、おそらくあなたをも。そして最後には、手紙をも。だって、そんなてがみなんか、いまじゃ反故同然なんですもの。
☆けれども、それが古い手紙であるなら、なぜバルナバス(生死の転換点)をそんなに長いこと留めておいたのでしょう。そして、あなたをも。そして最後には手紙をも。何となれば、そんなものは全くの時代遅れなんですから。
〔瀬川先生の授業〕
京急三崎口駅から城ケ島行きのバスに乗り三崎港で下車。
相州三浦総鎮守海南神社の行事は毎年一月十五日。(ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財)
本宮で神官の祝詞や地域の役員さんの祝辞の後、四、五歳から十二歳までの女児たちの母親や祖母による唄に合わせた踊りの奉納。
年の順に赤や黄や茶の揃いの着物と黄色の兵児帯、唄い手は黒色の着物にそれぞれの羽織という出立。
化粧した少女たちの冠りは桃色の花飾り、手には舞扇とチャッキラコという綾竹を持ち、それぞれの唄(六曲)に合わせて可愛い仕草で拍子を取るという具合。同じ位置で起立したままの舞いですが、輪になって歩を進めていく唄(場面)もありました。
ちなみに、♪三崎若イ衆にチョイト抱かれたい~♪ なんて歌詞があったり、♪十七が忍ぶ細みち、小袖がからんで忍ばれぬ。この藤をきりりとまるいて重ねて、さ夜明かす~♪ なんて幼子の踊りにしてはちょっと色っぽいかもしれない。
唄は口伝えゆえ聞き間違えて異なる唄になったり、削除や時節の追加など比較的自由に替えられた部分もあったらしい。聞いていると浮かれ気分になるような唄なのに、ひどく真面目に唄い、無垢な乙女が可愛らしい素振りで踊るという風景に、漁師町の粋というか少々荒っぽい気風を感じた。
その後、場所を海南神社に移し、再び同じ舞いを奉納するのですが、そのころには関係者も増え、一般の見学者であるわたし達は海を見下ろす崖面に張り付くように見物。
そこで、隣り合わせた人は何やら忙しく短冊のようなものに書き込んでいたので拝見させていただくと、俳句/吟行である。この光景を、どう一句にまとめたものか仕切に試行錯誤していた。
そのうち、巡回の人が
「この行事は500年前、室町時時代に始まったんですよ」と、教えてくださり、
「昔は男の子が満月の前日に餅を搗いて奉納したんです。そして翌一五日に女の子の踊りがありました。大漁祈願・商売繁盛の行事で、みんな一緒のお祭りみたいなもんです。
それに、今はありませんが、船霊さまを造ったりもしましてね、その中には女人の陰毛なんかも入れたんです・・・」
「ふん、ふん・・・」と、聞き耳を立てていたわたし、途中で下の方から集合の合図。
次は三崎昭和館へ移動。(午後は仲崎・竜神様~花暮・竜神様~うらり~西野~花暮~仲崎と廻るらしい)
時計を見たら11時45分、わたし達はここで解散し、ポカポカ陽気のなか三崎港バス停へ向かった。
初春の潮風を受けながらの可愛い女児(乙女)たちの舞い。昔から連綿と受け継がれてきた華ある祭りに胸打たれた今回のイベント。
瀬川先生、稲村先生、ありがとうございました。
「そいつはな、雑作ない。さぎといふものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、
☆造(こしらえる)詐(作り事を言う)を展(ひろげ)旋(めぐらせる)。
詐(つくりごと)の行(ならんだもの)の詞(ことば)を修(ととのえ)詮(明らかにする)。