続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

時代のズレ。

2017-06-21 07:42:43 | 日常

 幾つかの紙芝居を見て感じるのは、時代はもうずいぶん変わっているのだということ。
 たとえば「からかさ」といっても、唐傘を思い浮かべられない。わたしでさえ辛うじてわかる年代、まして今の子供には無理かもしれない。
「おやゆびひめ」を昨日読んでみて、(可愛さ)ならキラ星のアイドルたちがいて、実感が今一つわかないかもしれない。
「マッチ売りの少女」も、マッチをなぜ街頭で売るのかが理解できない現代。

 名作も古典になり、すぐに共感できるものではなくなっている。

 テレビ・アニメが傑出しすぎて、紙芝居の素朴さは、じり貧状態になっているのかもしれない。

 でも、そんな時代だけど、わたしが女の子たちに紙芝居を見てもらったら、目が輝いて、眩しいほどの眼差しだった。
 単に物珍しいだけなのかな・・・。


デュシャン『ボトル・ラック』

2017-06-21 07:01:17 | 美術ノート

 『ボトル・ラック』

 タワーの基本的な構造である。偏って物を加重しても倒壊しない力学的観点から造られている。頑強さを兼ね備え、美しいとさえ言えるこのボトル・ラック。
 しかし、ボトルを挿す突起は一見頑強そうに見えるが、一定以上の重さに耐えられるとは考えにくい。力点が貧弱で力の分散がない。
 ボトルを空にすると言っても、垂直に倒立させた方がいいし、斜めでは時間がかかる上、衛生的にも問題は残る。(再使用の場合、煮沸が必須)

 なるほど便利そうな品物ではある。美しく頑強そうに見える構造…しかし一般家庭で数多の瓶を空にする光景などあるだろうか。しかも突起の接着面はどう考えても脆い。長い時間を要せずに不用品になることは必至。

 存在感ある物であるが、存在理由を疑うしかない物である。在る、が無くてもいいし。要らない末路を辿るしかない物を、デュシャンは〈その空無〉に愛着をもって〈自身〉を重ねたものと思われる。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『水仙月の四日』71。

2017-06-21 06:49:13 | 宮沢賢治

 雪わらすは同じとこを何べんもかけて、雪をたくさんこどもの上にかぶせました。まもなく赤い毛布も見えなくなり、あたりとの高さも同じになつてしまひました。


☆説(話)を導く化(形、性質を変えて別のものになる)を接(つなぐと)照(あまねく光が当たる=平等)の釈(意味が明らかになる)。
 亡(死)は普く幻(まぼろし)の講(話)であり、道(神仏の教え)である。


『城』2672。

2017-06-21 06:35:41 | カフカ覚書

こういうわけで、わたしの計画は、ほんとうは失敗におわったことになるのですが、それでも、完全な失敗だったわけではありません。たしかに、わたしたちは、まだあの使者を見つけてはいません。


☆要するに、わたしの計画は失敗でした。でも完全にというわけではありません。たしかにわたしたちは、まだあの小舟を見つけていないのですから。


お手紙。

2017-06-20 07:29:43 | 日常

 近所の女の子たちに一度ならず二度三度と紙芝居を見てもらっている。
「ありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
「おばさん、じょうずだね」とお褒めの言葉。(舞い上がっちゃうよ)

 しばらくするとチャイムが鳴ったので出て見るとさっきの女の子。近くにいて名前も知らなかったけどRちゃんLちゃん・・・。
 差し出されたのはお手紙。

 いつもかみしばいをよんでくれてありがとうございます。
 かみしばいはとても大好きなのですごく楽しみです。
 わたしはてがきじゃないと思ったけどてがきで、すごくびっくりしました。すごい絵上手ですね!かみしばいが好きなのできんじょにかみしばいをよんでくれるひとがいてうれしいです。いつも本当にありがとうございます。
 また、かみしばいよんでください。
 楽しみにしています!

 なんて嬉しいお手紙。

 お手紙、ありがとう。また頑張っちゃうから、よろしくね!(既製品に混ぜた自作、印刷と手描き分かっちゃうんだね)


デュシャン『3つの停止原基』⑥

2017-06-20 06:41:20 | 美術ノート

 『3つの停止原基』

 この箱の蓋の上面が写真では不明だけれど、蓋の裏面にあるネジ止め三か所の位置を見ると、首を傾げたくなる。果たしてどんな持ち手が付いているのだろう。バランスに疑問があり、力学的に見て力が最小になる位置ではない。
 要するに、持ち上げられない造りである。もっとも失笑すべき留め具の不備を見れば、持ち上げるに足りない造りであることは明白である。つまり開閉自由であり、箱の内部は解放されているということである。

 この箱に収められるべく置かれた『3つの停止原基』である3本の木製版。すべて糸が描く曲線に沿って削られた細長い木製版は、言うまでもなく《偶然》の象徴であり、3つの《現象》の具現化である。
 この各現象を納めるべく用意された(人知の巧と人知の軽薄)が混在しているこの箱は、一族のルーツと言ったが、宇宙原理という深さをも孕んでいる。

《偶然》と《必然》が一つの箱に集約され収められる《存在》という現象への究明である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


デュシャン『3つの停止原基』⑤

2017-06-19 06:44:47 | 美術ノート

 『3つの停止原基』

 3つ、というからには手前にある偶然できた線条をなぞった板状定規らしきものが(停止原基)と考えていいかもしれない。ではその後ろに控えている木箱はどういう意味なのだろう。
 物があって箱があれば、収納という関係性を疑うのは至極当然である。

 箱は釘を使用しない木組みの手法で作られた年代物である。にもかかわらず、安直な留め金が開閉を自由にするような不具合をもって取り付けられている。そして、よく見ると既に使用の痕跡が認められる。古くて新しい開閉・・・内側は3枚のガラス板で仕切られており、4つの空間を作っている。3つ目の所には黒い板状のものが垣間見える。
 蓋に関していえば、箱本体より後に付けられたものではないか、ガラス板を固定する柔らかい質感を持つ白い帯状の物が貼りつけられている。その内側にネジが見えるが、何を固定するものかは不明(ネジの位置が中央でなく、左右の位置にもズレがある)、仮に持ち上げるためのパーツだとしたら長すぎるし、重さは増幅し持ち上げられない。
 不都合、不具合だらけの箱(蓋の接続)である。

 この箱に『3つの停止原基』は収められるのだろうか。偶然の線描はこの世の《現象》に過ぎない。現れるが、消える定めである。この3つをそれぞれ仕切られたガラス板の中に収めるとしたら、
〈誕生〉〈生涯〉黒い板状〈死〉と、推しはかることも可能である。

 何回も使い廻された、一族の《生死の秘密の原初》ルーツともいうべき箱。
 古くて質素、頑強と軽薄を併せ持つ奇妙にして滑稽な箱、その中に入るべき『3つの停止原基』であるわたくしという現象は、入ったが最後決して出ることはないでしょう、出ることは不可能でしょう。
 わたくしの原風景であります。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『城』2671。

2017-06-19 06:24:02 | カフカ覚書

たいていの従僕たちは、わたしたちとおなじように、あれ以来ずっとその従僕に会っていないのです。その後彼を見かけたという者もいますが、たぶん思い違いでしょう。


☆たいていの死者は長い間まったく同じです。会えることはなく、見たと思っても全くの思い違いでしょう。


梅の季節。

2017-06-18 07:44:26 | 日常

 八百屋さんの店先には梅が一キロづつ透明な袋に入って並べられている。
 梅を見ると、たとえ体調に不具合があっても、どうしても買い求めたくなる。今年はほんの少し…梅酒用一キロ、梅干し用一キロを買うに留めた。

 一年経つのは早い。去年の梅酒は梅が入ったまま収納棚に眠っていたし、梅干しも手付かずのまま・・・。
 生活に活気がないせいだろうか。時間が止まったままのような日常。
 それでも去年は、ラッキョウも漬けたし、梅ジュースも紫蘇ジュースも作ったことを思い出した。今年は…季節の方が通り過ぎてしまうかもしれない。

 今朝は雨こそ降っていないが曇り空、梅雨らしい天気である。
 梅の季節の香り…意気地のないことを言ってないで、頑張れ!と、自分を叱っている。