『説明』
前述の作品との相違は、背景に連山が見えることと、人参が多少劣化していることである。つまり、ここには時間がある。無空、久遠というのではなく、物理的な時間がこの絵の中に起動していることを認めないわけにはいかない。
時間とは何か、人参の劣化、腐植から空へ帰していく時間。ガラス瓶の方は酸化現象は起こらず、高熱や激震がない限り形の変化は悠久の時間を要するかもしれない。
ガラス瓶と人参の持つ時間の対比、背景の自然(連山)においてもすべては時間の中に存在するという宿命があり、その関係性は物体の持つ性質によって大きな差異が生じる。
不穏な空、風雨、嵐、雷の予感を孕んでいる。
形を変えるものは《時間》ばかりではなく、《空間》の事情にも左右される。
総ての物体は現象であり時間と空間の中に、ガラス瓶でさえ呑み込まれていくに違いない。
しかし、その自然現象の中においても、ガラス瓶(無機質)に人参(有機質)が合成化合されることが断じてあり得ない。
自然現象を歪め圧する奇体(企み)が(画という二次元)には現出可能であることの証明である。画の可能性、実験、説明である。
写真は『マグリット』展・図録より