相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

大和「ふれあいの森」に日台友好親善の証し「台湾亭」

2024-02-02 15:47:40 | 建造物
小田急江ノ島線「大和駅」より徒歩15分ほどのところに「ふれあいの森」ある。その一画に一見「竜宮城の門」のような造りで、鉄筋コンクリート製の6角形で、高さは「基壇部」を含めると約10m、東屋のような「台湾亭」がある。6本の柱や梁部は朱色、屋根瓦は濃緑色、天井部は黄色に塗られている。鮮やかな建物である。第二次世界大戦中に将来の航空技師を夢見て「台湾少年工」8,400名が高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事していた。その当時の工廠は現在の座間市栗原にあり、寄宿舎が大和市上草柳にあった。敗戦により夢破れ帰国した少年工はその高い技術と精神力により台湾工業化の中核として活躍、1993年に彼らが「第二の故郷」と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪日時、台湾少年工の同窓組織「台湾高座会」から日台の友好親善と世界平和を祈念し1997年大和市へ寄贈された建物が現在「ふれあいの森」に残っている。(2401)
 
 
 
 
 



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大和に熊野神社末社の「桜森稲荷神社」を訪詣!!

2024-02-02 07:25:25 | 神社
大和市桜森、相鉄線「相模大塚駅」そばに「熊野神社」の末社「桜森稲荷神社」は鎮座する。弘化2年(1845)熊野神社において熊野三社大権現を勧遷し、五穀豊穣祭りを行った際、熊野神社の厄除けとして建立された。祭神は学問の神様「菅原道真公」、宇迦之御魂神(倉稲魂命)、三峯山神社大神を祀っている。社名の由来は境内に桜の古木があったことや参道が桜並木になっていたこと、その桜木に源頼朝が鷹狩に来て馬をつないだという伝説から「桜森」と名付いた。弘化3年(1846)、熊野神社の鬼門除けとして桜木が植樹され稲荷が祀られたと伝わる。「鳥居」、社号標を抜けると正面に昭和56年(1981)に再建された「社殿」、左に「手水舎」、稲荷神社らしく各所に数体の「お狐様」が置かれている。(2401)
 
 
 
 
 

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