夏の甲子園:開会式風景
江嵜企画代表・Ken
秋分の日の8月7日、第92回全国高等学校野球選手権大会が西宮市にある阪神甲子園球場で始まった。開会式は午前9時だが、昨年甘くみて8時過ぎに着いたらお目当ての中央特別自由席券が売り切れていた。それに懲りて今年は1時間繰り上げ、球場に着いたのは7時過ぎだった。
その時間だとさすがに券は買えた。ところが、中に入ると、ほとんどの席にタオルや私物とおぼしき小物が置かれており、これはと言うところは占拠されていた。かなり上段だったがスケッチする場所として全く不足はない。時間もたっぷりあった。出入り自由の外野席はスペースはあったが、開会式前30分近くになるといつのまにか内野席には空席はほとんどなくなっていた。外野席は無料、中央特別自由席は1,600円だが、時間さえ取れればネット裏かぶりつきでも見られるから、十分値打ちがある。
あらかじめ国旗を先頭に大会旗が目の前を通過するタイミングをシャッターチャンスのように狙っていた。球場全体は既に描いていた。描き残していたスペースにお目当ての場面を描き込んでスケッチを終えた。
型どおり関係者の挨拶が続いた。右隣に座っていた年齢をめしたさる男性は、「挨拶は手短にやれ」、と一人、ブツブツ言っていた。大会審判委員長の奥島孝康氏は、「戦時中、グランドはイモ畑で軍に供出されていたなど幾多の苦難を乗り越えて今がある」と話された。日本が戦争に負けて65年経った。「イモ畑」とか「軍に供出」という言葉を選手の皆さんに限らず、果たして何人の日本人が理解できただろうか。
身近な体験談としては、今年の開会式には[口てい疫]と兵庫県佐用町での水害被災者
の激励を兼ねて、開会式の行進の先導(佐用高校)と、始球式(高鍋高校)にそれぞれの主将が参加した。
第一試合の九州学院(熊本)と松本工業(長野)の一回表裏だけ見て球場を出た。球場正面には大正4年(1915)第1回大会からの優勝旗が91本飾られている。たまたま旗をバックにテレビ・インタビューを受けているご婦人3人の姿を目にした。実は、プラカード・ガール三代目の市立西宮高校の古賀美咲さん(16),母親敦子さん(48),祖母郁子さん(74)であることを朝日新聞夕刊を見て知った次第である。3代続けてのプラ・ガールは始めてだそうだ。
甲子園球場のライトスタンドに、「ようこそ」、「甲子園へ」、「西宮市へ」、「ファイト」の「ひと文字」が、ブル-に彩られて、開会式中、出ていた。西宮市民の有志により数年前から続けられている。
甲子園球場はプロ野球人気球団のホームグランドでもある。ところが、甲子園は大阪にあると答える人は結構多いそうだ。大阪タイガースと呼ばれていたせいもある。甲子園球場が西宮市にあることをPRしよう西宮市民の有志が「ひと文字作戦」に出たと言われている。
西宮ついでに言えば、戦後初めての国体は西宮市(いまはなき西宮球場)で開催された。もうひとつ、えべっさんで有名な、西宮神社も忘れたらあきまへんで、という声が聞こえてきそうだ。(了)