ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

左首が痛く、この時期になると昔ヒビが入った外顆が痛い (12月22日の臨床実践塾準備)

2019-12-16 12:26:30 | 診断即治療と虹彩学
この「診断即治療」は、 FC2ブログ にも転載しています。




写真① 右手で触った部位(左の肩)が痛い 




写真② 黄色く塗った帯状の部位が痛くなる 



首が痛いというのは、これまでも何人か紹介しましたので、書く必要はないかなと思いましたが、一応「せんかん鍼」で何人も治りましたよ、という証拠として書くことにしました。
この方も、「左首が痛い!」と訴えていました。

さらにこの方は、
「昔左の外顆にヒビが入り、この季節(寒い季節)になると、今も痛みが出てくる」と話していました。
いわゆる、骨折の後遺症で、写真②の黄色い線の帯で示したところが全て痛くなると言うのです。

そこで、私は「せんかん鍼で、昔ヒビが入った外顆の痛みまで取れるかも知れない」と考えていました。
そして、

「もしかしたら、首の痛みと一緒に、外顆の痛みも取れるかも知れませんので、鍼を1本させてくださいね」と言い、さらに、

「ブログのネタにするので、写真を撮らせてくださいね」と言い、
「痛い肩に手を当ててくれませんか。そうそうそう、はい。いいですよ!」と撮影させてもらいました。

それから「せんかん鍼」をして、
「はい。肩の痛みは取れているはずですが……」と言うと、肩を動かしてから、「うんうん」と頷くようにして、肩の痛みが取れたことを認めてくれました。

さー、問題は昔ヒビが入った外顆の痛みです。

「ここの痛みはどうですか?」

「あ、ここは暖かいので痛みは出てないです。ただ、電車に乗ると痛みが出てきます」と言う。
「あちゃー!!!」と思ったのですが、

「では、ここから帰る時の電車でも痛みは出ますかね?」と聞くと、

「はい。痛みは出ます」というので、

「それでは申し訳ないのですが、家に帰ってから痛みが出たかどうかを電話で知らせてくれませんか。ブログに書きたいので……。あ、いや、電話番号は知っているので、私から電話します」と言うと、薄笑いしながら、
「はい。電話します」と言っていました。

しかし、巨鍼を使うと、骨折後遺症はけっこう治るので、念のために下腿の外側に巨鍼をしました。

そして帰宅されたのですが、多分2時間ぐらいしてからだッと思いますが、電話が入ってきました。

「どうでしたー、痛み、出ました?」

「いいえ、痛みは出ませんでした」と返事が返ってきました。

私の願いとしては、「せんかん鍼」だけで痛みを取りたかったのですが、もし、痛みが取れなかったら申し訳ないと思い巨鍼も使ったわけです。

家が近ければ、「せんかん鍼」だけで帰宅してもらい、
「痛みが出たら巨鍼をしに来てください。治療費は要りませんので」と言えたのですが、ちょっと遠い所から来られる方でしたので、そのようにしたのです。

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病気から無事生還、お伊勢さん、御礼参拝、内宮本殿前風景(スケッチ&コメント)

2019-12-16 07:30:27 | スケッチ


お伊勢さん、御礼参拝、内宮本殿前風景

江嵜企画代表・Ken



病気から無事生還、お伊勢さんへのお礼参拝が、大安吉日の12月15日に実現した。たまたま長女がお伊勢参りツアーを企画しているという話はそれとなく伝え聞いていた。他のお仲間が2名ということもあり、思い立ったら吉日、飛び込みで参加した。

下宮、内宮の順番で参拝した。かねてから一度スケッチしたいと思いながら実現しなかっが、「内宮」本殿前の様子をスケッチブックを取り出し鉛筆一本で、スケッチ出来たのは幸いだった。

今回のツアーは、他の参加者2名、長女と筆者夫婦合計5人という小ぶりのメンバーだった。伊勢市駅午前10時集合、最寄り駅、阪神御影駅、6時54分乗車、近鉄「鶴橋」乗り換え、現地に9時53分に無事到着した。

伊勢市駅は、伊勢神宮、「下宮」の最寄駅である。駅前広場では、たまたま伊勢踊りを観光協会の方と思われるが20名ばかりの方が、踊りをご披露しておられ、しばし拝見でき幸いだった。

お伊勢さん参りは過去数回経験しているが、もっぱら「内宮」だった。駅前の立札に「外宮」まで徒歩500メートルとあった。午前10時過ぎは早い時間と思うのは大間違いである。「下宮」前には既に大勢の観光客が拝殿に向けて歩を進めていた。

「下宮」は、天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)をお祀りしている。衣食住、産業の守り神として崇敬されていると入り口に書かれていた。参道を静謐な空気がたち込めていた。別宮、「多賀宮(たがのみや)」、同じく別宮、「土宮(つちのみや)」、「風宮(かぜのみや)」を、ゆっくり時間をかけてお参り出来幸いだった。

5名の内、お一人が内宮から参加された。4名だったので門前にたまたま待機していたタクシーに乗った。タクシーの運転手がおしゃべり上手な方だったので「内宮」までの14,5分だったが全く退屈しなかった。

姓名判断では全国的に名の通った者だと、自ら名乗った。有名人などからリクエストを受けるなどと、こちらから聞いてもいない話を始めた。手元からファイルを客にみせ、4人順番に下の名前だけで、それぞれ、運勢抜群だと褒め立ててくれた。

正午近くなっていたが、五十鈴川をまたぐ橋の上は、行き交う参拝客でごった返していた。スケッチのことが頭にあり、筆者ひとり先行して「内宮」本殿へ急いだ。令和という新しい元号となり、つい先日、新天皇、皇后両陛下が参拝された余韻が残っているのかもしれない。

帰路お陰横丁で腹ごしらえした。本殿の参拝客も多かったが、こちらの人出は半端でなかった。余談ながら、観光地とはいえ、どの店もしっかりした値段がついていた。商魂たくましい姿も垣間見ることが出来た。

私ごとながら今年ほど病院のお世話になった年はなかった。ハイライトは耳下腺腫瘍が神戸医療センター病院、耳鼻科、道田英彦先生の神の手によって手術が成功したこと。あと腫瘍検査ではハラハラドキドキの場面もあったが、一夜明けて、一転「陰性」とわかり事なきを得た。

2020年はどんな年になるのか、ではない。限られた命を噛みしめながらこの先、どう生きていくかを改めて考え直す、お伊勢さん参りが図らずも実現できたことに、ひたすら感謝である。(了)

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森田りえ子画伯画、令和弐年、東大寺絵馬届く(スケッチ&コメント)

2019-12-16 04:02:12 | スケッチ



森田りえ子画伯画、令和弐年

江嵜企画代表・Ken



日本画家、森田りえ子画伯描く、令和弐年版、東大寺絵馬、それも複数、さらに2020年カレンダー3種と併せてお見舞いの品が添えられて、自宅マンションの宅配ボックスに届けられていたことが帰宅後わかった。夜分だったが、失礼も顧みず、とるもの取りあえず姉上様に帰宅後お礼の電話をさせていただいた。

姉上様の電話で、筆者のこの度の病気のことで森田りえ子先生ともども大変ご心配いただいていたこと、そして、無事生還出来たこと、お見舞いも兼ねて激励のためにお送り下さったことが分かった。

実は今朝一番で長女の企画で長女、長女のお仲間2人そして筆者夫婦は伊勢市駅午前10時集合で病気無事生還のお礼のためお伊勢さん参りしてきた。詳細は後刻、スケッチ&コメントでまとめさせていただく。

まさか、まさか、お伊勢さん参りと同じ日に思いもかけない森田りえ子先生からのビッグなプレゼントに改めて不思議なご縁を感じた次第である。

来年の森田りえ子画伯描く東大寺絵馬を改めて眺めた。2020年は東京五輪の年を迎える。五輪のマークを背に、スタートラインを前にして、赤い鉢巻をしめるネズミさんの姿が目に飛び込んできた。特にネズミさんの目が全てを伝えている。

2020年はどんな年になるかではない。素晴らしい年にするかしないかを決めるのは自分自身である。今回の絵馬は例年に増して森田りえ子画伯ご自身の決意表明とお見受けした。大いなる勇気をいただき、ひたすら感謝である。(了)

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