「近衞舎人共の稲荷詣に重方女に値ふ語」(『今昔物語集』巻二八第一)は、近衛の武官たちが集団で稲荷神社でナンパをしていたところ、あるお調子者が変装していた自分の妻をナンパしてしまった話である。
神社の境内で、このお調子者――重方は、
「我が君我が君、賤しの者持ちて侍れども、しや顔は猿の樣にて、心は販婦にて有れば、去りなむと思へども、忽ちに綻縫ふべき人も無からむが惡しければ、心付に見えむ人に見合はば、其れに引き移りなむと深く思ふ事にて、此く聞ゆるなり」
とかいって口説くのであるが、こんな口説き方が本当によいのかわたくしにはさっぱり分からない。よくわからんが、これは本心なのではなかろうか。なにしろ、この女房ときたら、この馬鹿重方が馬鹿なのは自明の理としても、
うつぶして念じ入りたる髻を、烏帽子超に此の女ひたと取りて、重方が頬を山響く許に打つ。
と、こんな乱暴しなくてもよいじゃあないか。山響く許といえば、たぶん重方の顔面は複雑骨折している。暴力反対。しかも、重方は、いつものナンパ仲間からも裏切られていた。告げ口されていたのである。
「此の主達の、後目た無き奴ぞと來つつ告ぐれば、我れを云ひ腹立てむと云ふなめりと思ひてこそ信ぜざりつるを、實を告ぐるにこそ有りけれ。」
だから、このナンパ仲間は、重方が女房にひっぱたかれているのを見つけ、嬉々としてやってきて言うのである。
「吉くし給へり。然ればこそ年來は申しつれ」
お前等もナンパ仲間じゃろうがっ。女房も調子こいて
「此の主達の見るに、此く己れがしや心は見顕はす」[…]「己れは其の假借しつる女の許に行け。我が許に來ては、必ずしや足打ち折りてむ物ぞ」
と、恐ろしいことを口走るのであった。この調子なので、この女房、重方が死んでからも再婚したそうである。
安部公房の「他人の顔」の主人公は、ケロイドを隠した仮面をかぶってでも女房を誘惑しようとしたが、「はじめから知ってたわ、このクズっ」と手紙で知らされ、「今に見ておれ、これからお前を襲うのは野獣のような仮面じゃけえのう」とかいって、いまだに妻への愛情を示していたが、どうもこの最後の主人公の姿は、大江健三郎の「性的人間」の痴漢男とあまり違わないような気がする。重方も、女房から酷いことをいわれたに違いない。で、女房と似た体型の女をやけくそでナンパしたら、本物の女房だったのではなかろうか。だいたい、この女房は、稲荷神社で変装して何をやっていたのだ。お前もナンパをしようとしていたのではないか。
というかんじで、乱暴な言葉と態度でコミュニケーションをしていると、後世の人々によって「逆に、お前が悪い」などと解釈されがちです。よいのは沈黙と歌です。
いくそたび君がしじまに負けぬらむものな言ひそといはぬ頼みに(末摘花)