★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

破廉恥とか第六夜とか

2018-08-18 23:04:18 | 漫画など


「ハレンチ学園」というのも今回初めて読んでみた。途中で有名な「スカートめくり」についての回があって、これが例の騒動のあれか――と思った次第だ。確か永井豪は、このとき自身が受けた社会的制裁について、エロの問題より、教師の権威を失墜させたことの方が問題だったのではないか、とどこかで述べていたように思う。確かに、作品の雰囲気は、当時の学園紛争の影響もあって、学校を解放区として描くことを目的としているように思うが、当時の解放区で起こったあれこれについては、フェミニズムからも強烈に告発されている通りであり、そう問題は簡単ではない。考えてみると、「マジンガー」とか「デビルマン」でさえ、おんなじようなラディカルさを持ち、同じような問題もはらんでいるのだが、「ハレンチ学園」には別種のラディカルさがあったように思われる。

しかし、――ビューナスAのロケットはよくて、ハレンチ学園の表現がダメだということを説明するのは、ある種の「常識」にとっては容易だが、思想的には難しい問題だと思う。判断が難しいのではなく、歴史的経緯や表現としての説明が難しいのである。学校ではなぜ物事が生々しく生起するのか、といった問題に持って行きたい人もいるであろうが、わたくしはちょっと別の角度で考えようと思っている。

そういえば、先日、学生と漱石の「第六夜」について話をしたことが気になっていたのだが、今日、偶然、永井聖剛氏の論文に同じようなことが書かれていたのを発見した。永井氏の論文は整然としたものであった。

轡虫に同情するやつはたぶんヘタレ

2018-08-18 15:38:55 | 文学


 草の中で虫が寄り合って相談を始めました。
 蟋蟀が立ち上って、
「鈴虫さん、オケラさん、スイッチョさん。もっとこちらへお寄りなさい。だんだん涼しくなりますから、みんなで合奏会をやってお月様にきかせようではありませんか。きっと御ほうびを下さいますよ」
 と言いますと、皆パチパチと手をたたきました。
 虫たちはそれからすぐに合奏を始めました。
 まずスイッチョが草の天辺へ立ち上って真面目腐って、
「スイッチョ、スイッチョ」
 と合図をしますと、オケラが土くれの蔭に坐ってしずかなこえで
「リ――リリ――」
 と羽根を鳴らします。それにつづいて蟋蟀が草の根本から涼しい声で、
「チンチロリン、チンチロリン」
 とうたい出します。その中へ鈴虫が又やさしい長いひげをふりまわしながら、
「リーン、リーン、リーン」
 と鈴の音をさせます。
 その静かでおもしろいこと……ちょうどそのとき東の山からお昇りになった十五夜のお月様は、感心のあまり虫たちが大好きな露をたくさんにそこいらの草の上に撒いておやりになりました。
 ところへ一匹の轡虫が飛び込んで来ました。
「何だ貴様たちは! おれを仲間外れにして音楽会をやるなんて失敬なやつだ。そんなことをするならおれがまぜ返してやる……ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ」
 と大きな声で騒ぎ始めましたので、せっかく始めた静かな美しい音楽会がメチャメチャになってしまいました。
 その勢いに驚いて、あつまっていた虫たちもみんな逃げてしまいました。
 轡虫は大威張りでそこいらの露をヤタラに吸いながら、
「それ見ろ。おれの音楽にかなうやつは一匹もいまい。おれは夜鳴く虫の中で一番の大きな声なんだ。みんな感心したか……ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ」
 とたった一人一所懸命にやっているうちに、
「お兄さま。あそこにガチャガチャがいますよ。大きな声をしているから遠くからでもわかりますよ」
 と言う人間の声がすぐそばできこえましたので、これは大変と、急いでガチャガチャ言うのをやめていると、間もなく頭からポカリと袋をかむせられて籠の中へ入れられてしまいました。

――夢野久作「がちゃがちゃ」