★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

いのりてしこと

2018-08-20 23:56:14 | 文学


最近、若手の論文を読んでいて、なんだか、自分でも面白いと思ってもいないようなことを整然と書く連中が増えてきたと思って、ぷんすかしていたのであるが、よく考えてみたら、こんなのは、わしの世代に見られた一大特徴であることに気がつき、とりあえず、

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと(啄木)

と思ってしまったわたくしの凶暴性が心配だ。

東京五輪メダル「銀」まだ足りない、小中学校でも回収へhttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO34336660Q8A820C1MM0000/

だいたい、銀じゃなくてもいいんだから、木でもアルミでもなんでも良いじゃんか。戦闘機だって木でつくったことあったじゃん……昔。

人みな死ねと いのりてしこと

そういえば、お昼を食べながら「銀魂」という映画を少し見たけど、結構面白そうだったな。先日、ごく一部みた「きみの膵臓を食べたい」とかいうおそろしげな映画よりよほど面白そうだ。原作は知らないが、この映画の心理描写はすべて無駄という感じがしたぞ。うだうだ悩む前に勉強すればよいのである。

人みな死ねと いのりてしこと

結局、こういう心理をいかに抑圧するかみたいなラブコメ映画が多すぎる。

信濃守だった役人が御坂峠で谷に墜ちた。外からやってきた役人のことだ、さぞ恨まれていたのであろう。「人みな死ねと いのりてしこと」と思われていたであろう。しかし、よく知られているように、キノコを収穫して戻ってきた。

其の木に平茸の多く生ひたりつれば、見棄て難くて、先づ手の及びつる限り取りて、旅籠に入れて上げつるなり。未だ殘や有りつらむ。云はむ方無く多かりつる物かな。極じき損を取りつる物かな。極じき損を取りつる心地こそすれ(「信濃守藤原陳忠御坂より落ち入る語」)


結局、心の余裕があるやつだけが、キノコを収穫できるのだ。それを下々の者が、がめついやつだとか、なんだか言って批判する。だいたい、そんなことをぐだぐだ言わずに自分でキノコを採りに行けばよいのである。わたくしが論文を読んでいて、違和感を持つのもこういうことだったのだ。わたくしも気をつけなくてはならない。銀も同じことだ。欲しけりゃじぶんで取りに来い。