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若桑みどり氏の「東京の公共彫刻」についての論文、賀茂道子氏の「ウォー・ギルト・プログラム」論、山崎正純氏の「文脈形成行為と公私の再編成」などを読んでいたら、萩原碌山のことを思い出した。
たしか中学の時、萩原碌山記念館に行ったが――、中学の女の美術の先生が非常に碌山を尊敬していて、その熱情もあってか、碌山の「デスペア」とか「女」が、女の裸像であることにあまり注意を払わなかったと思う。わたくしの記憶だと、「文覚」、「デスペア」、「女」と、飛躍的に芸術的に向上していると先生は力説していたように思うが、当時は納得がいった気がした。いま、写真でみてみると、「女」より「デスペア」が気に入った。
昔実物を見た感じでは――、圧倒的に「女」が優れているように中坊のわたくしにも思われたのだから、いまだって実物を見りゃわからない。
わたくしも、いままでかなり「イコノロジー」的な研究から影響を受けた気がする。だから、初心に帰ってみようと思ったわけである。