「阿蘇の史、盗人にあひて謀りて逃げし語」は、教科書にも載っている『今昔物語集』の有名な話の一つである。夜勤で帰りが遅くなった背が低い(←ウルセー)四等官が、盗賊の襲撃に備え、牛車の中ですっぽんぽんになり、衣装を隠して待っていたところ、美福門のあたりで案の定盗賊たちに取り囲まれてしまった。盗賊どもは、それっとばかり中を覗いてみると、裸のオヤジがいるばかり。
盗人、あさましと思ひて、「こはいかに。」
思うに、この盗賊があまりにもナイーブなのだ。「あさまし」→「こはいかに」って、小学生かよ。大人の盗人なら、びっくりなどせずに、「汚き姿態こはいかに、蚰蝓えせ板敷の箒殿上のがうし」とかなんとかいいつつぶん殴っているところだ。隙ありとみた裸体オヤジ、
「東の大宮にて、かくの如くなりつる。君達寄り来て己が装束をば皆召しつ。」と、笏を取りて、よき人に物申すやうにかしこまりて答へければ、盗人笑ひて棄てて去りにけり
確かに面白かったのであろうが――、笏をとってポーズをとってしまったのは、いつもの幇間的習性であったかもしれない。幸運なことに、盗賊どもの笑いのセンスは小学生並みであったし、「羅生門」の下人をあげるまでもなく、服を盗れないのは重大問題だ。而して、無事に家に帰れたオヤジである。で、奥さんにこう言われた。
「其の盗人にもまさりたりける心にておはしける。」
ここで奥方は「盗人より勝っている心でおはしけるっ」と言っているのであって、このオヤジが、語り手が最初に言っているように「魂はいみじき盗人にてぞありける」とは限らないと思う。古典学者の方はどう考えるか分からんが、魂が盗人じゃイカンじゃあないか。
確かに語り手も躊躇いがあったみたいで、
「まことにいとおそろしき心なり。装束を皆解きて隠し置きて、しか云はむと思ひける心ばせ、さらに人の思ひ寄るべき事にあらず。この史は、極めたる物云ひにてなむありければ、かくも云ふなりけりとなむ語り伝へたるとや。」
「おそろしき心」だとか、実は心とか魂がすごいんじゃなくて「極めたる物云ひ」だからすごかったんじゃみたいな見解を披露しつつ語り終えている。
だから、わたくしは、喜田貞吉「時勢と道徳観念 大賊小賊・名誉の悪党」(大正八年)みたいに、当時は盗人は剛胆者のことなんだとか言ったあげく、「時勢と境遇とによって人間の思想も感情も変る」とかいう一般論におとしつつ、密かに乱暴者の名誉回復を為そうとする輩を好まない。いまも政治家や役人など、根本的に盗賊と考えた方がよかろうというんであれば話は別である。確かに、それはそうだ。しかし、だからといって、今も昔も上のような小学生並みのセンスで盗賊をやっているやつが下々に沢山いるというのも、これまた事実である。