
高橋和巳に、陸機を引用しながらの「愚昧への道」という文章があるが、これを読んでいたら、あることを思い出したので調べる。
最近、痛感するのは、作品の読みをちゃんとやれないようになると、物事を連想でしか語れなくなるという事態である。これは文学への志ではどうにもならない問題であって、高橋和巳もそれを自覚していたような気がする。ただ、かれの関心の中心がそこになかっただけのことであろう。わたくしは、高橋氏は、酒の量を減らしてでもちゃんと教員をやるべきであったと思う。彼がある意味こけたので、後に続く者が、中途半端な不良じみた態度を身につけ、まじめに勉強することを忘れて今に至る。どうしようもない。