★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

芭蕉扇の様に悲哀に分裂する

2022-12-14 20:14:23 | 文学


 水分のない蒸気のためにあらゆる行李は乾燥して飽くことない午後の海水浴場附近にある休業日の潮湯は芭蕉扇の様に悲哀に分裂する円形音楽と休止符、オオ踊れよ、日曜日のビイナスよ、しはがれ声のまゝ歌へよ日曜日のビイナスよ。
 その平和な食堂ドアアには白色透明なる MENSTRUATION と表札がくつ附いて限ない電話を疲労して LIT の上に置き亦白色の巻煙草をそのまゝくはへているが。
 マリアよ、マリアよ、皮膚は真黒いマリアよ、どこへ行つたのか、浴室の水道コツクからは熱湯が徐々に出ているが行つて早く昨夜を塞げよ、俺はゴハンが食べたくないからスリツパアを蓄音機の上に置いてくれよ。


――李箱「LE URINE」


先日、「エヴァQ」の最初は全く動きが見えなかったよ、歳をとるとアニメーションでもなんでも動きがみえない、と言ったら学生が、あれは誰も見えてないですよと慰めてくれました。文学でも映像でもいい作品は見えないものが見えるという学校的「基本」を確認したのか、してないのか。しかしそれは「基本」ではない。なぜ見えるような気がするのか、見えるものがモノなのか、空虚なのか、そんなところから問題がはじまり、たぶん、見える以前、見えそうで見えない、見えるという宣言を示唆する、などいろいろあることがわかってくるのである。