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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

心中と蹴球

2022-12-02 23:28:41 | 文学


何の事もなく、なきがらを頼みし松林寺におくりて、土中にして、憐れやきのふはむかしと過ぎ行き、それより丹之介毎日墓に参詣でて、「追付け跡より参るべし」と、四十九日に当たる日を考へ、武左衛門を是非にさそへど、隙入るよし力なく、五十二日目に同道して、松林寺に入りて、山川を見めぐりて、大右衛門塚のまへにもなれば、両脇に新しい卒都婆二本立ちける。一方は藤井武左衛門としるし、一枚は春田丹之介と書き置く。「これは合点の参らぬ所」と申す。 「御不思議もつとも」とはじめを語り、「近頃おぼしめしの外の仕合せながら、打ち果たしてたまはれ」と言葉を懸けて抜き合ひ、両人ともに夢まぼろしとなりぬ。住寺驚き御断り申して、詮議の後、三つ塚につき込みける。丹之介が思ひ入れ、又あるべき事にも非ず。

恋人を射殺した仇の墓まで建てて復讐にのぞむというのは話の筋に過ぎず、主題は「思い入れ」なのであるから、最後の復讐の果たしあいも一種の代償行為のようにみえなくはない。仇との心中は恋の相手との心中でもあり、その心で死後の恋人を巻き込んでしまおうというかんじである。結果、最後は、恋人の墓も出来た。

こういう世界からすると、女はすぐ泣くといういまならジェンダーバイアス云々と言われるところも、なんとなく言いたいことはわかる気もするのである。つまり男同士の対決=心中の純粋性に比べれば、女との恋愛は、そのあとの生活とか子孫へのあれとかでまったくもって多数の焦点がありすぎて、それぞれが主張するものに恋の旋律はかき消されてしまう。つまり、すぐ泣くやつは女の腐ったやつではなく、むしろすぐ泣くやつは蝉(つまり雄のそれ)のような輩だと思う。あれは、命の最後に子孫を残そうと叫んでいるわけで、同様に、我々の生は、そういう都合のよいときだけ主体的なのである。対して、相手のために命を賭けるだけの恋はもちろん主体は相手にある。

相手がテキストであっても同じである。読み手の主体性とか解釈が自由だみたいなことが広まると、それらは実現せず、なんというか解釈以前の読み取りのレベルでの自由が行使されるようになり、伝言や注意なども無視されるようになる。教育学部の学生も冗談ではなく、現にそういう状態である。で、そうなると人に何かを伝えるときには、伝言が指示になり、注意が命令として行われるようになる。つまり、言葉の意味に頼ることができずに無形のパワーをくっつけるようになる。通じるべきレベルが通じないからであって、もともとあった言霊的な言語間に基づいてのではない。だから、無形の力は無制限に拡大されることもあり、それを避けたい弱者たちは、嘘をついて逃げ回ることになるであろう。

こんなカオスの中で、近代の叙述文体の枷が外れ、なにか以前は分かってて今は分からなくなった古典文学の読み方がぴんとくる可能性がある様な気もしないではない。言葉が主体でないような準ー言葉の流れみたいなものの存在が重要である。もっとも、これが折口の弟子であった上原輝男じゃないが心意伝承みたいな形で整理してもあまり元気は出てこない。化け物特撮の作者であった金城哲夫は上原の弟子であって、彼の脚本は、上原の反映というより、上原のやり方ではあまりできないことを結果的に行っているといえるのではないだろうか。すなわち、怪獣という力の行使である。

サッカーの日本代表が独逸とスペインに勝ったらしい。奇跡的かどうかはともかく、ボールはコントロールできないということを示す面白い試合だったらしい。とにかく、スペインチームはころころっと白線の外に向かって転がるボールを放置せざるをえず、勢い余って足を出した日本人選手の動きはもちろん制御出来ないのであった。あれよっという間にボールはゴールしてしまう。ミシェル・セールが言うように、――ボールは準ー客体であるからして、あまりに競技にうまくなりすぎたチームはときどき人間が主体だと勘違いをする。

それに対して、田山花袋の「少女病」の主人公の方が自分がボールとなってする主体からも見る主体からも解放された。主人公は、少女に恋していたから、彼女のイメージの夢の中でボールとなって山手線に転がった。しかしこれは、「赤い繭」以上に現実的な話なのである。

そういえば「キャプテン翼」では、まだワールドカップでドイツ・スペインに勝ってないらしいのだ。そうだったのか。やっぱドラゴンボールみたいに戦闘力の無限上昇を起こさないと現実に抜かれるのだ。「ドカベン」の剛速球投手たちや「男どアホウ」の主人公も、大谷くんのおかげで、球の遅い努力家たちの物語になってしまった。現実の主体たる玉を追いかけたおかげである。