★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

歌は物に乗せて

2022-12-27 23:37:38 | 文学


されど、また、ここらの年ごろ、露・霜、草・葛の根を斎にしつつ、ある時には蛇・蜥蜴に呑まれむとす、仏の御言ならぬをば口にまねばで、勤め行ひつる、仏の思さむこと恐ろしくなど思ひ返せども、せむ方知らずおぼゆれば、散り落つる花びらに、もとより血をさしあやして、かくきつく。

憂き世とて 入りぬる山を ありながら いかにせよとか 今もわびしき


息子に惚れてしまった継母を拒んだら悪口を言われて出家していた忠こそである。彼のもっていた琴は彼が出家した後、空に舞い上がって失われた。ここまでも大変な話であり、この話はもともと別の話かも知れないと言われているのだが、――その別物語の彼が、あて宮の求婚合戦に参戦。いままで蛇や蜥蜴に喰われかけひたすら仏の言葉を口にしてきたのに、憂き世とは言え、この恋心、どうすればよろしいのか、と自分の血で書き付けるのである。

既に終末観ただよう盛り上がり方である。

「宇津保物語」はいくつかの物語がくっついてできたと言われているけれども、ほんとはくっつけたあと削ってみたいなことをしてるかもしれない。物語は欠損を埋めたり編み物をするようなイメージで語られることがおおいけれども、意図的に欠落させることだってあるに違いない。そのかわりに、一気に血圧があがる歌の場面で盛り上げるのである。どうも、わたくしは、歌の世界と物語の世界はもともと相反していたような感じがしてならない。歌の世界はトリスタンのように死に向かってしまう暴力的なものであるからである。物語は、死を避けようとがんばる。うまくは繋がらない両者を、意図的な物語の空白に歌の情感を流し込んでしまったのではあるまいか。

それにしても、確かに、この感情の世界は繋げようと思って容易につながるものではなく、あまりに作為的だと白けてしまう。しかしこれに比べると、物体の方は否認出来ないものがある。上の琴や琴の音はその物体である。三種の神器だって、物体だからなんとか存在を否定されていない。贈答としての和歌でもおしゃれな物に書かれているからよいのであった。上の場合はそれを違うものに変えているだけだ。いまの世の中だって大して変わらないはずである。しかし、就職とか結婚から物を抜いていこうという動きが甚だしい。就職や結婚ですら情報と化している。マッチングアプリなんか我々を情報として扱っている。

例えば、大学に就職するうれしさの何割かは、大学によってはそうじゃないが――研究する部屋を退職まで貸してもらえるというのがある。就職には金以外に物質的=うれしさがともなわないといけないんじゃないか。国民もれなく就職したら、木曽馬や田んぼや畑の一角などをもらえるようにしたらどうであろうか。武者小路の「新しき村」の意味は、芸術家が自給自足みたいな観念的意味もさることながら、自分が好きにしていい土をもらえるというのがあったに違いないし、文学結社なんかも雑誌は好きなことしていい畑みたいな性格がある。近代文学派か何かはたしか自分たちでビルかなんか建てたような。。

もう八〇を越えた知り合いが言ってたが、会社でお見合いをセッティングしてくれるというのは、親が選ぶよりもましなんじゃないかという気持ちが混じってたという。そうでもなかったらしいが……。つまり、給料と一緒に有り難い妻という物体まで贈答されるとなりゃ、まさに有り難く思ってしまうわけである。現代人はこういう発想を厭いがちだが、だからといって人間を大事にするとは限らない。情報をありがたがるより物体としての人間の方がましだった側面はあるに決まっているのである。しかし同時に、物はいつも物として捨てられる側面があるのも当然である。

そういう物は、実存みたいに観念化してしてしまうと、すぐ「この私」みたいなどっちでもいいものになってしまう。だいたいいくら単独性があろうとも、そこには観察されたものがないのだ。教育界にかぎらないが、我が国の人民の多くが、観察というのができなくなっているのが非常にまずい。観察は西田幾多郎の主客以前の「純粋経験」みたいなところあって、それがないと何を知っても見てもピントが狂う。公平さや客観性みたいなものはそれからの話だ。論文も観察がないものは数値や何やらが一見正しくても最終的に正しくない。そんな人間が面接で人を判断しようとしても無駄である。小学校の教育では、、児童がそういう経験の率直さに従うようになるような工夫があったし、今もあるんだろうが、――そういうものが「常識」や「意見の多様性」という言明にすり替わってしまうとどうしようもない。気をつけないと常にそうなる。教員に必要な資質として、その基盤になるようなよい感覚の持ち主というのがあったはずなんだが、これが「コミュニケーション能力」みたいに知識化・常識化してしまった。最悪である。

天気のよいときのマリンライナーからの瀬戸内海の眺めはこの世ならぬものがある。場所はちょっと違うけど、海の底にも都はありましょう、みたいな平家のセリフを観念的にとっていた長野県民時代の俺はほんと木曽の中の蛙であった。こういう感慨も経験であるが、これはわたくしが山国の人間で平家を読んでいたから起こることであり、まだ安徳天皇が眠る海には行っていないからでもあった。経験は、いつも偶然と欠落に満ちている。しかも、こういうことは歳をとってこないと分からないのである。この年寄りによる認識が根本的に「政治」である。中上健次は、宇津保物語の、うつほ=孤児たちが琴で楽をおこなうことが政治にまで到達するさまを、「治者の文学」と呼んだ。しかし物抜きでは、孤児たちがうつほを空洞(うつほ)を表現することもありえないし、政治もありえない。