主上今年は、八歳にぞならせおはします。御歳のほどより、はるかにねびさせ給ひて、御容美しう、あたりも照り輝くばかりなり。御髪黒うゆらゆらと、御背中過ぎさせ給ひけり。主上呆れたる御有様にて、「そもそも尼ぜ、我をばいづちへ具して行かんとはするぞ」と仰せければ、二位殿、稚き君に向かひ参らせ、涙をはらはらと流いて、「君はいまだ知ろし召され候はずや。先世の十善戒行の御力によつて、今万乗の主とは生まれさせ給へども、悪縁に引かれて、御運すでに尽きさせ給ひ候ひぬ。先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮伏し拝ませおはしまし、その後西方浄土の来迎に与らんと、誓はせおはしまして、御念仏候ふべし。この国は粟散辺土と申して、心憂き境ひにて候ふ。あの波の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都の候ふ。それへ具し参らせ候ふぞ』と、様々に慰め参らせしかば、山鳩色の御衣に角髪結はせ給ひて、御涙に溺れ、小さう美しき御手を合はせ、先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位の尼先帝を抱き参らせて、「波の底にも都の候ふぞ」と慰め参らせて、千尋の底に沈み給ふ。悲しきかな、無情の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、いたましきかな、分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
海の底にある都といえば、そういえば有名な特撮番組にも海の底の地球の先住民のお話があったが、彼らがいたかどうかはしらぬが、いまや海からにょきにょきと人工物が生え、島伝いに鉄骨の柱が張り渡されている。逃げ場は海の底にもどこにもないのであった。