
うつほの前に、一間ばかり去りて、払ひ出でたる泉の面に、をかしきほどの巌立てり。小松所々あるに、椎、栗、その水に落ち入りて、流れ来つつ、思ひしよりも、使ひ人一人得たらむやうに、便りありて思ゆ。朝に出で、夕べに帰りに暇のなさも、休まりぬ。ただ目の前なれば、我も人も、箱の蓋なるものを引き寄するやうにて、煩ひなくて、ただうち遊びて明かし暮らせば、「ここにて、世を過ぐさむ」と思ひて、子に言ふ、「今は暇あめるを、おのが親の、かしこきことに思ひて教へ給ひし琴、習はし聞こえむ。弾き見給へ」と言ひて、龍角風 をば、この子の琴にし、細緒 をば、我弾きて習はすに、聡く賢く弾くこと限りなし。人気もせず、獣、熊、狼ならぬは見え来ぬ山にて、かうめでたきわざをするに、たまたま聞きつくる獣、ただこのあたりに集まりて、あはれびの心をなして、草木も靡く中に、尾一つを越えて、厳しき牝猿 、子ども多く引き連れて聞く。この物の音を聞き愛でて、大きなるうつほをまた領じて、年を経て、山に出で来る物取り集めて住みける猿なりけり、この物の音に愛でて、時々の木の実を、子どもも我も引き連れて持て来。
洞穴はアリスの穴や河童の隧道とことなり異界と繋がっておらず、Uターンして現世と新たに繋がるのだ。岩を反響板にしたそこでの楽器演奏は、一方で天からの啓示であり、孫に受け継がれたものであるが、現世の生まれたての世界に広がって行くのであった。まずは、動物たちがそこにむらがってくる。
プラトンの洞窟は、ヨーロッパの牢獄の世界を思わせる。人間が洞窟から出られないのは、物理的なそういう状況があったからで、決してメタファーとしてありがたがるべきではなかった。そんな風に考えてしまうと、我々は主観を洞窟として思い込むことになる。ほんとに、他人の視点がメタ認知だみたいな議論をしがちなのが我々の教育風土である。まだ、大和魂が逆説的に漢学を勉強することによってでてくるみたいな、大和魂を嵌入された結果の何かと思い描く方がましであった。欧文で論文書くべしと言っているひとたちはむしろ大和魂を使いたい人たちだと思う。実際そうなんだよな、欧文とか言っている時点で光源氏と同様にヤドカリもいいとこなわけで、そのうちヤドカリも外に出たがる。その下半身が痩せた気持ち悪い生物が大和魂だ。源氏物語や宣長が言いたいのは、それはそもそも学問的に正確ではなく、そういう輩が推測に推測を重ねるようなことを客観的といって威張っているということであった。
つゆばかりも、己が臆度をまじへて理を以て云は、漢意におつること也。(鈴屋答問録)
洞窟の外を現実以上に輝やかしてはならない。他人の視点が自動的に客観的はなずがない。こういう視点は前期思春期の人間が持ちがちなのではなく、むしろ権力を持とうとする人間に現れる。「他者」から何か言われなければ自分は主観に閉じ込められていると思っているのは、かわいそうでも哀れでも何でもなく、権力意志を持った危険人物だ。普通に怖い。
不安な人間はまだまだましなわけである。解消したらいけない不安が世の中かなりあるのであって、洞窟であるべきでなく、現に洞窟でない主観の世界を明瞭に洞窟として認識することで、ますますおかしなことになる。優等生の場合は、出来ない同輩を馬鹿にすることによって世界を失い、劣等生は、だいたいうまくいかないときによけい自己肯定が持続可能なかんじで高まってしまい、自らの可能性を失う。教育の場合も同じで、する側にとっては寄り添うみたいな「哀れみ」の世界になっており、教育される側にとっては現状維持に留まるエネルギーを自己肯定の形でため込む契機となってしまう。どちらも主観を洞窟のように捉えているからである。それがだめなのは、権力は実際に権力を行使する相手より力があるとは限らず、常に相互浸透している現実を忘れ、むしろ自分の思考停止を相手に感染させるからである。
評論家が自分の意見を評して「こういう意見を寡聞にして聞いたことがない」と持ち上げ始めたらちょっと心配になる。実際は大概のことは言われているからだ。学者だと「管見では」と言い始めたらお前はもう死んでると大学院の頃言われた。死んでいるかどうかはともかく、管を覗いているのがどんだけあぶねえかということだな。。絶対階段から落ちる。
和文と欧文でしか論文を書いてはいけないらしいのだが、悪文しかかけない俺なんかは正直おわりである。ここでは和文が洞窟で欧文が太陽の輝く世界であるわけだが、そこにはまさに、洞窟に閉じ込める権力者の意志がある。客観的な視点を得れば幸福になれるとか、誰が教えてるんだろうと疑問だったが、疑問に思うまでもなかった。われわれの世界における思想的権力の直截的な反映だ。
わたくしは調子に乗って第三外国語まで大学の時にやったし、古文漢文は外国語みたいなところがあるから、いまだに大学は、光源氏の時代とあんまり変わってねえわなと思う。で、昨今の学ぶ外国語の種類を減らしていこうという動きは、戦時下のようなもので、漢心と一緒に大和魂を縮小させてゆく末期症状である。