「おぼろけにては、かく参り来なむや」などのたまへば、けはしなつかしう、童にもあれば、少し侮らはしくや思えけむ、
蜻蛉の あるかなきかに ほのめきて あるはあるとも 思はざらなむ
と、ほのかに言ふ声、いみじうをかしう聞こゆ。
訪ねた理由は「おぼろけ」じゃないんだという若小君にたいして、うまいこと言った俊蔭の娘(童)であった。「蜻蛉のあるかないかみたいに立っている私なんで、あるかないか気にしないでいただきたいんです」。しかも声がいい。蜻蛉でも何でもいいが声がすごい蜻蛉は逆にすごい。で、ますます自分が来てしまったことの意味を確信してしまう若小君、なのかは知らないが、とにかくいきなり一晩泊まってしまったのである。童の運命やいかに。これは、完全に一夜ばらみのパターンであり、英雄的なにかが生まれるあれである。
これは恋ですらなく、運命ですらない。物事の推移に過ぎないが、必然のように子が生まれてしまうのである。これは、イエスが処女懐胎によって生じた神秘とは別の神秘である。因果ではあるが、物事の推移そのものに因果的なつながりがなく、和歌のなかの言葉のような感じで繋がっていくような現実の神秘である。季節の巡りにも近いかも知れない。貴種流離譚と四季を愛でる感性は同じ根から来ている気がする。
その巡りは、極端な温度が去来しないから推移に思え、我々の感情自体を無に近づけて行く。ロシアに行ったことはないが、ショスタコービチの「冬」という歌曲にあったように、「絶望も凍り付く」寒さなのだと思う。ロシアには、絶望の次のそれを超える段階が死ではない形であるのかもしれない。つまりそこには感情がまだ絶望の先にある。我々はどこか絶望すると死んでいなくても虚無に突入する(前日の記事参照)
夭折した者の死はわたしらに蓮田善明の「文化とは死である」という定義のそらおそろしい武断的な宣言を想起せしめる。たしかに一個の文人の死は、自死であれ、自然死であれ、何ものかの意味を残す。この生死を、今日の詩人はいったいどう葬ろうとするのであるか。
――村上一郎『「内部生命論」考』
たぶん虚無において行われるのは、義時のような政治であり、それを文化にするためには「死」が必要なのだ。大河ドラマの結末を見ていたら、――案の定ネット民を中心に、北条義時みたいなサイコパスの心の闇やサッカーオタクの弟の愛嬌とかどうでもいいことがクローズアップされ、しまいには巴御前は髭和田の妻で格好いいみたいなことになっており、今こそ速やかに義仲殿のご恩を思い出せ、と思わざるを得なかった。死んだように生きた義時も含めて生きた奴らは、政治をやった。さっさと死んだ奴だけが芸術となる。「平家物語」で復活したのは義仲である。
――という具合で、芸術の徒である松尾芭蕉や保田與重郎が義仲を神と崇めたことは有名である。しかし、一方で、彼らは文化芸術の継承者として啓蒙者なのであって、決して生活に基づいた人間なのではない。本当に放浪的なのは芭蕉ではなく、小林秀雄とかの方だ。今日授業で、日本浪曼派を扱っていたら、小林秀雄の文章は歌みたいだけど日本浪曼派の評論は会話みたいになってる気もした。中島栄次郎が、大事なのは文学作品ではなく文学の機能なんだみたいなことを言ってたが、そういうことであろう。でもこれは読者が読むときに会話するつもりになってくれないといけない。そして同等の素養を持つ人間でないとそもそも会話に参加しようと思わない。流浪の民的な小林に対して、案外日本浪曼派は学校の先生的なんだと思う。そして歌の系譜は、中野重治や花田★輝に続いて行く。可能性の中心は、ほんとの流民的な連中に自然に流れていったのではなかろうか。