宰相、珍しく出で来たる雁の子に書きつく、
卵の内に 命籠めたる雁の子は 君が宿にて 孵さざるらむ
とて、日来はとて、「これ、中の大殿にて、君一人見給へ。人に見せ給ふな」とて取らせ給へば、兵衛、うち笑ひて、「かばかりにをや。罪作らむ人のやうにもこそ。仕うまつれば」。「いで、かばかりぞかし、御心は」とのたまふ。兵衛、賜はりて、貴宮に、「巣守りになり始むる雁の子御覧ぜよ」とて奉れば、貴宮、「苦しげなる御物願ひかな」とのたまふ。
宰相源実忠は雁の卵の孵化を自分の恋心に喩えているわけであろうが、たしかにわれわれは卵から孵る姿が大好きで、やたら卵状のものを開けたがる。そういえば、親ガチャとかいって、どんな親に当たるかが人生の分かれ道みたいな怖ろしい人生観を「ガチャガチャ」で喩えている人も多いが、じっさい、ガチャガチャはそんな真剣なものではなく、卵をぱこっとあけてくだらなそうなものが入っていてなんぼみたいな側面がある。最近は、ガチャガチャをまとめた専門店まであるらしい。ガチャガチャは楽しい。怖ろしいのは、偶然が、運命のように長い時間をかけて生成されてくるところの、長い人生の方なのである。すぐ結果がわかるガチャガチャの潔さはむしろ面白いものである。
偶然でも運命でもいいが、それを解釈しようとする人間はいつもおり、それが集団で行われるといやなものだ。和歌の贈答なら、解釈も心に秘められたものだし、物語のなかで書かれていても、読者は人物たちの動きまで決めるわけには行かないから、勝手もそこそこだ。問題は、現実の人間が死んだ後である。もうだれかが調べているんだとおもうが、――三島由紀夫が自決したときに、小林秀雄に「哀悼の意を表したいので発起人になってくれ」と頼んできた人がいたという(小林秀雄「三島君の事」)。小林を担ぐという発想がとてもめんどうくさいかんじである。三島も小林もこういうめんどくささとさしあたり戦わなくてはならなかったから、そりゃ疲れる。
三島はたぶん自分の行く先を「道」のように考えていた。しかし、まわりはそうはとってくれない。江藤淳は、いつも、道の代用品としてイデオロギーを据えてしまうみたいな言い方で現代人を批判していた。この「代用品」というところが乱暴だと思う。そう言ってしまうと、代用品で何が悪いみたいな反論を逆に許してしまう。全然べつものだと考えるべきのような気がする。なにか江藤は、そういう現代人を批判しながら、違うものまでたどり着く事に失敗し、視点が明治に止まっていたような気がする。だから、司馬遼太郎と同じようなポジションから身を引き離す事が難しくなる。その影響が、今の右派にも残っている。
三島にあって江藤になかったのは、近代が常にゆっくりではあるがおわり続ける、という事態で、彼が気に入らなかった若者達のなかにも、近代の凋落と成立はあった。
三島「僕は、日本の改革の原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現れず、時にはそれによってしか、西欧文明摂取の結果現れた積弊を除去できず、それによってしか、いわゆる『近代化』も可能ではない、というアイロニカルな歴史意志を考えるのです」
――林房雄・三島由紀夫「対話・日本人論」
集団にとって、一番よいと思う状態の直後に崖があり、そこで決定的に何かが終わっているにもかかわらず、そこに気付いているからこそ持続可能な道を進み、緩慢な死を迎えるものである。これは近代化の過程であり、近代化のおわりでもある。SDGSとはその過程をイデオロギーごとに分解して色鉛筆セットみたいに並べてみたものである。これは確かに江藤の嫌っていたありかたのようだ。しかし嫌うだけでは何も起こらない。一体、他の「道」はないのか。たぶん、宮沢賢治をエコロジーに繋げるみたいな道にはあまり期待出来ないというのがわたしの実感である。