雨降りだから、ナメクジさんが元気よく歩いていました。
彼はただ新宿に映画を見た時、眼つきが怪しいとの理由で、駅頭に張っていた特高に掴まった。ポケットに築地の切符の切端しが残っていたので、豚箱に入れられ、ワセダの下宿先を捜査されると、始末してなかったアカハタが一部出てきた。
その為、彼は淀橋、戸塚と二つの警察を二十九日間宛のタライ廻しを食い、毎日のように拷問されたが、自分のルウズさから友人に迷惑をかけまいと、歯を食いしばり、知らぬ存ぜぬで頑張り続け、義兄の弁護士の奔走で、約二カ月目に釈放されたが、その日すぐ学校に出てきて、ぼくたち仲間と、微笑と涙の握手、談笑を交していながら、その夜、下宿の一室で前述のようにして自殺したのだ。ぼくは相不変、死体をみるのが厭で苦しかったが、この時は他の友人たちの手前、わざと嫌いな蛇を掴んでみせるような気持で、彼の死体の置かれた部屋に駆けつけていった。池田は一番苦痛のない死に方を選び、大量の睡眠剤を飲んだ上、金盥に温湯を入れ、そこに動脈を切った手首を入れたものらしい。全身の血がしぼり出されたように、血は金盥を越え畳一面に染みていた。その代り白蝋のように血の気のない彼の死顔は放心した如くのどかにみえた。だがぼくは彼の死魚のような瞳の奥に、死への焦燥と恐怖を認め、やはり死体へのどうにもならぬ嫌悪があった。その遺書には睡眠剤が利いてきてからのものらしく、シドロモドロに乱れていてこんな意味のことが書いてあった。
田中英光という人の文章は、読むときの気分ですごく表情をかえる奇妙なところがある。彼を信奉する西村賢太氏はどこかで、驚くべき下手さ、とかなんとか言っていた気がする。わたくしは、あまり下手とは思わないのであるが、ちょっとセンチメンタルなストリンドベルリみたいなところがあると思う。「さようなら」なんて、全体がものすごい速さの走馬燈のようでやりきれない。それにしても、最後のあたりなんか、太宰のまねをしている割にはちょっと素人くさくて、やっぱり「下手なのか」とも思った。
とはいえ、最近、『コギト』所載の小説を読んでいるからなのか、――戦前のウジウジしたロマン派をやっつけられる逸材として注目されたのも分かる気がする。――といった風に、みんなが田中英光のことを〈人材〉みたいに扱っているから、ついに彼は自分をまた作品のネタみたいに扱ってしまったのではなかろうか。考えてみると、ネット時代というのは、田中みたいな人を多く生産している気がする。
なにしろ、原稿用紙とそれを観る視覚も他人に奪われているような情況だ。有能な人でも大概おかしくなってくることは避けられない。
その為、彼は淀橋、戸塚と二つの警察を二十九日間宛のタライ廻しを食い、毎日のように拷問されたが、自分のルウズさから友人に迷惑をかけまいと、歯を食いしばり、知らぬ存ぜぬで頑張り続け、義兄の弁護士の奔走で、約二カ月目に釈放されたが、その日すぐ学校に出てきて、ぼくたち仲間と、微笑と涙の握手、談笑を交していながら、その夜、下宿の一室で前述のようにして自殺したのだ。ぼくは相不変、死体をみるのが厭で苦しかったが、この時は他の友人たちの手前、わざと嫌いな蛇を掴んでみせるような気持で、彼の死体の置かれた部屋に駆けつけていった。池田は一番苦痛のない死に方を選び、大量の睡眠剤を飲んだ上、金盥に温湯を入れ、そこに動脈を切った手首を入れたものらしい。全身の血がしぼり出されたように、血は金盥を越え畳一面に染みていた。その代り白蝋のように血の気のない彼の死顔は放心した如くのどかにみえた。だがぼくは彼の死魚のような瞳の奥に、死への焦燥と恐怖を認め、やはり死体へのどうにもならぬ嫌悪があった。その遺書には睡眠剤が利いてきてからのものらしく、シドロモドロに乱れていてこんな意味のことが書いてあった。
――田中英光「さようなら」
田中英光という人の文章は、読むときの気分ですごく表情をかえる奇妙なところがある。彼を信奉する西村賢太氏はどこかで、驚くべき下手さ、とかなんとか言っていた気がする。わたくしは、あまり下手とは思わないのであるが、ちょっとセンチメンタルなストリンドベルリみたいなところがあると思う。「さようなら」なんて、全体がものすごい速さの走馬燈のようでやりきれない。それにしても、最後のあたりなんか、太宰のまねをしている割にはちょっと素人くさくて、やっぱり「下手なのか」とも思った。
とはいえ、最近、『コギト』所載の小説を読んでいるからなのか、――戦前のウジウジしたロマン派をやっつけられる逸材として注目されたのも分かる気がする。――といった風に、みんなが田中英光のことを〈人材〉みたいに扱っているから、ついに彼は自分をまた作品のネタみたいに扱ってしまったのではなかろうか。考えてみると、ネット時代というのは、田中みたいな人を多く生産している気がする。
なにしろ、原稿用紙とそれを観る視覚も他人に奪われているような情況だ。有能な人でも大概おかしくなってくることは避けられない。
『コギト』の肥下恆夫に、「憂愁」という小説がある。わたくしは、後に『日本浪漫派』で旋回してゆく連中の若い頃の小説がわりと好きなのである。これは、肥下みたいな語り手が、大学時代の友人――獄中の友人と妻の存在の間で心理的にふらふらしている様子を描いた作品である。文学史的には「転向文学」の一種と言うことになるであろうが、肥下は地主階級に属していた。澤村修治氏の研究などによると、『コギト』を実質的に切り盛りしていたのは彼だったみたいで、保田をはじめとするやくざなインテリは彼に寄生していたわけである。だから、彼の場合、本当は心理的にふらふらしているどころの話ではなく、もう実際のところ、立ち往生していたと言った方が正確だ。
彼は、獄中の友人の母親から絶望的な手紙をもらって、もし自分も獄中に行ったら、とか想像する。しかし、彼は、それにしては――みんな(妻や友人やなにやら)を支えるポジションに立つ、しかも滅び行く階級の一部であった。だから、彼は動きようのない人物だ――既に立ち往生していたのである。自分が滅びたら、――それは現実的にありえない。そういう既に葛藤でない葛藤が、小説の最後で、自分は「自分に対して細心すぎる」のだという把握となって欺瞞的に響くことになる。
こんな状態を乗り越えるのは、行動だというわけで、彼は町のなかをほっつき歩いたりするのであるが、どうにもならない。彼は妻に言う「ね、お前、もう僕等はいつでも死ぬ覚悟をしてゐなければ……」
彼が、ストリンドベルリの「ダマスカスへ」を獄中の彼に送ろうか、それともニーチェにしようかなどと、――あまりにも紋切り型の認識で悩んでいるのにもなんだか泣けてくる。
肥下は農地改革後、本当に自死してしまったのであるが、その自死は、太宰のものとも三島のものとも違う悲劇性がある。わたくしは、こういう縁の下の弱者(力もちではない)に同情的でありたいと思う。太宰と三島は小狡いからきらい。プイッ
勇敢なつばめは、軒下をくぐって、店のおくまではいりました。はたして、魚たちはせとびきの容器にはいって、息苦しそうに、あふあふとあえいでいました。そして、つばめを見ても、ものがいえぬようすでした。つばめは、気の毒に思ったけれど、どうしていいかわからぬので、いくたびも、出たり、入ったりするばかりでした。
「ああ、ほかから与えられた幸福は、はかないものである。やはり、私は、自分の力だけを頼りとしよう。」と、つばめは、これを見て深く感じたのでありました。
――小川未明「つばめと魚」
……確かにそうなのであるが、肩書きとかを自分の力と錯覚している輩が、弱いものいじめを繰り返しているのが最近の傾向であることだ。そうすると、今度は肩書きを標的にやたらめったら攻撃し始める哀れな人々が現れるのである。
長寿大学講義「「近代文学」の恋」
7月3日 10:00~11:30、香川県社会福祉綜合センター(高松校)
9月13日 10:30~12:00 丸亀市保健福祉センター(西校)
7月3日 10:00~11:30、香川県社会福祉綜合センター(高松校)
9月13日 10:30~12:00 丸亀市保健福祉センター(西校)
近所が出てくるというので「ひるね姫」というのを観てみた。「君の名は。」が忘却との戦いの話であるとすると、「ひるね姫」は眠気との戦い、というか、全体的に視聴者を含めて主人公も寝ているのかもしれない、という映画であった。
夢と現実の対応や区別をあれこれ考えることは自我を考えることとほとんど同じ事のように思えるけれども、「攻殻機動隊」やら「君の名は。」などがそうやって悩んだ末にたどり着くのは、なにやら「反省せえ」みたいな説教か、素朴な自分があるかもよ、みたいな諦めである。だとしたら、もはや自分の現実も夢もスマホ上の映像も全部弁証法的に物語の要素にしてしまえば、あんがい予定調和的な幸福な情況がつくられるのではないか、――「ひるね姫」はそんな試みに見えた。つまり人生、全体的に寝てしまえばよいのである。
そうでもみなければ、近代的な映画としては倫理的にも世界観としても整合性がないような物語であるように思えた。
われわれの周囲には確かに、「寝言は寝て言え」みたいな人間が増えているわけだが、本当に寝言を寝て言っているとしたら「起きろ」と言っても無駄である。寝てはいるが既に少しは起きてもいるからである。つまり「ひるね」状態だからだ。
やくざな生活をしがちなわたくしであるが、――夜寝て昼間は起きるというのが、白昼夢による容易な誤った解決を思いとどまらせる、結局、そういうことなのかもしれなかった。最近、教育論でも「物語」の機能が云々されているのだが、ひるねの匂いがするのはわたくしの気のせいではないであろう。