★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

陰惨さと罰

2022-10-07 23:40:26 | 文学


美女は身の敵と。むかしより申傳へし。おもひあたる事ぞかし。

こんなせりふで始まる「闇がりの手形」であるが、人殺しの罪人がどうしてもと言われて女を連れて逃げたら、木曽の街道で「木曽の赤鬼」(←誰なんだよ)がその女に惚れてしまい、宿を襲撃して女に乱暴した。女が機転を利かせて背中に手形を残したので、犯人たちは死刑になったが、被害に遭った二人も因果と思いお互いを刺して死んだという。この話には、『今昔』などの元のはなしがあるようだ。しかし、

一体、木曽を何とこころえる。

情の一夜を明すに。山風のはげしく。はや此里は。九月の末ずかたより。雪ふり初。寒さもひとしほまされど。しのぐべき着替もなく。木曽の麻衣の。ひとへなるをかさね。夜もすがら焼火して。いかき茶といふ物を呑より。外のたのしみもなし。

「木曽の麻衣」とは、麻の衣を綿をいえないで何枚も重ねて着るものだそうだ。もはや麻の十二単衣、麻のマトリョーシュカみたいなものだが、麻にくるまれた木曽人達は冬どうやって暮らしたのであろう。寒さに頭がやられたのか、赤鬼まで出現してしまったのであろう。さしずめ、あかぎれでひどいことになっていたのではなかろうか。

安吾的な「物語のふるさと」の空虚というより、なにか陰惨な感じを与える話である。先の冒頭のせりふは、――わたくしは美女は危険だよみたいなことを言うことで、陰惨さを和らげているような気がする。別に美女の存在を強く印象づけるという話ではないからだ。推移が悲惨なだけである。

それにしても、ここには政治みたいなものが欠落しているからある種の幸福さはあるのだ。罪に対しては一直線に罰がある。

「マジンガーZ」にたしかドイツの学者がつくったラインXというロボットがでてくる回がある。その学者の娘(サイボーグ)が顔だけになってドッキングすると作動し、その顔をマジンガーがぶちのめして、その娘が好きだったシローが絶望の余りマジンガーを非難する話であった。そのドイツの学者はドクターヘルを裏切った人という設定である。つまり、ドクターヘる・ドイツの学者・マジンガーをつくった兜博士という、なんかいやな三国同盟的な話なのだ。幼児の私でもすごくいやな感じがした。こんな子ども用の話にも政治的な構図が絡んでいる。これは誰が罪人なのかわからない。

われわれの世界は、政治が罰をもたらさないなら、宗教や何かでもたらそうという動きが現れてきている。考えてみると、むかしからあるから別にあわてることなんかないのであるが。

孫の手と東京文体

2022-10-06 23:27:59 | 文学


よくよく見れば。麻古といふもの也。[…]ことにたのしみは。身のうちのかゆさ。云ねど。自然としりて。思ふ所へ手をさしのべ。其こゝろよき事。命も長かるべし。今世上にいふ。孫の手とは是なるべし。

孫の手は、マコという動物が坊主の痒いところを掻いてくれたそれであるそうである。痒いところに手が届くことは一般的によいこととは言い切れない。この怪物のおかげで、老人たちはやたら孫を懐かしがっている。わたくしは、孫の手の硬い感じが好きである。これに比べて、ほ乳類に掻いてもらうなど、いつか背後から襲われるのではないかと恐れるほどである。

この話は鎌倉の話である。田舎には確かに、マコどころではなく、いろいろな動物が出現しそうな気がするが、案外そうでもない。猿と熊がたくさん出てくるくらいだ。むしろ、あやしい怪獣がでてくるのは、いろいろな人が言っているように、郊外なのである。そういえば、鎌倉は一時期都面していた。マコに背中を掻いてもらった坊主は、伊勢の出身で、彼の自意識にとっては伊勢の方が田舎なのかもしれない。古事記をはじめとしては、人間がバケモノへ生成する話は、どうも、都が移動して、都であったところがそうではなくなってバケモノの出現する田舎になったりしたことと関係ある気がする。かくして、日本はバケモノがどこでも出現する土地となったが、おまけに応仁の乱以降、地方がそれぞれ都を名乗りだしたから、田舎は比較的近くに存在することになり、バケモノも近くにいることになったのかもしれない。

――こんな妄想をしたのも、さっき作曲家の神の人である三善晃氏の『オトコ、料理につきる』を瞥見したからだ。なんだこのちゃらちゃらした文体はっ(個人の感想です)。三善氏はピアニストと結婚した赤づきんちゃん庄司薫氏より少し上だが、――なんだろう、雑に「東京音楽系優男文体」と括らせていただきたい。もう研究があったと思うけど、戦後にさまざまに試みられた気取り系ちゃらちゃら文体の系譜は、結局あんまり伝統的な持続をもたなかった気がするのである。ワープロの登場で、漢字への変換が容易になって文体が変わったせいかもしれない。90年代以降、漢字を重装備した戦車みたいな文体が増えた。それはある種の言文一致体のおわりであり、新たな文語の創造だったと思われる。しかし、それにしても、やはり東京の文体というのがあるような気がするのは、わたくしの田舎人コンプレックスのなせるわざとは必ずしも思われないのである。

少し読み直すと、これはあらての落語的な文体なのかとも思った。料理の作り方が内容だとすると、この本はそれ以外の三善氏の思ったこと感じたことみたいなものの量が内容を圧倒していて、実にうっとうしいが、これが一種の江戸っ子的な何かなのかも知れないのである。田舎もんのように、食べるときにおしゃべりするのではなく、料理をしながら内心でずっと喋っているのがこの本だ。勝手に、三善晃の文章というのは、自作を解説するときみたいな東大仏文的(←個人の感想です)観念的みたいな感じだと思っていたが、だいぶ違う。さっきNHKでユーミンがでてたけど、この人はたしか八王子生まれだったであろうか。東京と言ってもいろいろあるのであろう。

私の事柄を、読み書きの上に、私はすえた

2022-10-05 23:26:10 | 文学


是非に婿になりて。たまわれと頼む。それがし旦那もあれば。内談申てのうへに。御返事と申せば。それまで間のなき事ぞ。申掛て合点まいらすば。是までの。命とおもひ切を。いづれも出会。爰は何とぞあるべし。我ゝに御まかせあれと申うちに。乗物長持かき入ける。此娘の美人。東に見た事もない姿。

やっと店を分けてもらい独り立ちした男の所に、かってに娘と金を置いていった浪人がいた。娘は東国では見たこともないような美人であったという。こんな都合のいい話があるかいな、と思うが、――こんな話があること自体は庶民にとって悪い事でない。ようするに、かれは読み書きそろばんの正確なやからなのだ。人間、それができりゃいいことがあるという教訓だ。ミスない事務ができる人間が多いことは重要である。事務というのは、伝達としてのコミュニケーションのスムーズさであって、これがないと文明は崩壊する。

外国語も毎日勉強しなきゃできるようにはならないと思うが、古文や漢文もそうである。毎日この二つは少しづつやっているが、ほんと僅かな維持・進歩しかない。というより、すべて毎日やってもスラスラと読めるようにはならない。ちょっとましになるだけだ。そういうものなので、コスパみたいなのは基本的に人に基本的作業をやらしてすむ博打打ちのせりふである。

子どもをみりゃわかるけど、コスパ云々役にたつの云々と「言う」人間が明らかに進歩しない自己に対するプライドを保とうとして必死なのはよくある話である。知に対する尊敬だけを維持し、将来、出羽の神になりゃましなほうである。海の外からやってくるものについてのどろくさいくそ勉強でなんとか自分を保つのがおれたちの宿命なのだ。ヨーロッパとまともにぶつかって日も浅く、あと何百年かしてやっと独自なものにたどり着く可能性があるかもしれない。鎌倉仏教だって仏教伝来から結構時間かかった。空海なんかはこれから復活するかもしれないが、我々の習合的知の成立には時間がかかる。それまで根性で乗り切るしかない。焦らなくても俺たちの生涯は風の前の塵に同じなのでたいしたことなし。コスパよく消えてなくなる。

ノーベル賞の季節で、日本人はこれからとれるかわからんぜ、という空気がある。アカデミズムのなかにいるわれわれでさえそう思う。我々が困っているのは、学生、大学人も含めての事務的能力の低下である。だから、伝達のために日中のかなりの時間をとられて孤独になる暇がない。ハラスメントの研究ってどれだけ進んでいるのか知らないが、直接的間接的原因が、読み書きそろばんレベルのミスから始まることが多いんじゃないかと思う。残業の多さもたぶん全く無関係じゃない。――しかし、それにしても、学生達もふくめてなぜ、これほど伝達が下手になっているのに、知力がまだそこそこ維持されていると錯覚出来るのであろうか。

自分の部屋に本を並べておいただけでなんだか頭よくなった気がするそのつまらない虚栄心が大事などと、学生に言う人は多かったし、たぶんほんとなのである。しかし、インターネットの発達で、別の意味でのかかる脳内環境が成立し、我々は虚栄心の量的増大を目撃してるというのはある。虚栄心とはやっかいな代物である。

確かに学生はコロナ禍のなか、外で出るなみたいなことがあったんで、課題が多いのはかわいそうだった。部屋の外に出てかえって課題はこなしてゆけるものなので。ただし課題自体はまだまだ少ない。完全に勉強不足なのである。

しかし、そう他人に頼るのがそもそも間違っているのかも知れない。わたしは小さい頃から、「ウルトラマン」のイデ隊員が好きで、すごい武器を一晩でつくってしまうからである。そのかれが科学特捜隊という軍隊組織で狂言回しまでやってのけて集団の潤滑油となっている。まさに科学者万能の時代であった。ついでにウルトラマンに変身すればよかった。遠慮していたに違いない。「マジンガーZ」の兜博士にしてもドクターへルにしてもほとんど一人でロボットを作り上げていた(ようだ)。彼らの論文はほとんど単著にちがいない。そういえば、むかしはわからなかったし、いまもわからんが、このひとたち、ろぼっとをあんなにつくる金をどこからむしりとってきたのであろう。こんど科★費の書類の書き方を教えて欲しいものだ。

むろん、そんなことはない。いまもむかしも勉強とは読み書きそろばんをミスなくやる能力をみにつけることであって、日本の強みは、そういう事務的能力が安定した中で、一部の変態が独創性を発揮してたところにある。日本の庶民が事務方的だったのである。いまは主体性の教育とかいうて、主体的幇間をつくっている(北朝鮮の「主体思想」を想起せよ)。で、大方が幇間になったところから一部の変態が独創性を発揮出来るか。そうはおもわない。雰囲気的にわかるだろそんなこと。アニメーションのなかの科学者は独裁者的であった。部下が、国家や企業などの幇間であったらこまる。だから彼らには独裁的に振る舞うしかない。

"Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt." (私の事柄を、無の上に、私はすえた。)


科学者たちの無を支えるのは読み書きそろばんだ。

吾身はすべて火炎なり

2022-10-04 23:19:10 | 文学


砕かば砕け河波よ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなん

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎なり
思ひ乱れて嗚呼恋の
千筋の髪の波に流るゝ


――島崎藤村「おくめ」


ウルトラマンにもよく火炎をはく怪人が出てきた。そのころは多くの人が煙を吐いてくらしていたし、工場の煙突からもけむりが常に出ていた。最近はゴミも落ちていないが、火もあまり見なくなっている。我々がやる気のない人間になっているのも、炎を模倣しようとしていないという事情があると思う。ことに恋は、炎の模倣だったのではなかろうか。

転がりと蜘蛛

2022-10-03 23:29:04 | 文学


野は菊萩咲て。秋のけしき程。しめやかにおもしろき事はなし。心ある人は哥こそ。和國の風俗なれ。何によらず。花車の道こそ一興なれ。

マネジメントみたいなことを考える人が例えば「矛盾」みたいな抽象性に依存しているのは気になるところで、それがいかなる解決に向かおうとも、二項対立どちらかの妥協やバランスといった、ある種の欠損をともなうことを覚悟にしているところがあり、それはそれで分かる部分もあるが、解決らしきものが仄見えたら、矛盾の実体がみえなくなることは屡々である。だいたいマネジメントというのは、観察をすっとばす手法なのだ。

その観察は、ある種の「空間」の維持を伴う。茶道や華道がある空間の成立と無関係でなく、しかしそれが空間であること自体はそれほど美的に認識されるわけではないので、上のエピソードなんかは「奈良」の茶人のはなしということになっている。塩崎太伸氏の『空間の名づけ』を読み始めたが、面白く、――まずもって日本語の扱い方が面白いのでちゃんと読んでみようと思う。空間の名付けの問題を看過していろいろな改革をするとわれわれは非常に心を破損する。石原慎太郎の文士的感覚はそれをよく分かっていて、「首都大学東京」なんていうねじれた空間名をつくった。名付けによる、大学解体である。

藤村は『夜明け前』は完成したけど『東方の門』は時間切れだった。しかしこれは時間切れ以上の感じがする。多くの人がこのテーマで時間切れを起こしている気がする。この空間的なテーマはわれわれの苦手とするところだ。茶室や木曽のような空間ではなく、名づけが追いつかないのである。そのかわり、アントニオ猪木氏みたいな人が「東方の門」のようなものを実現するところがあったのかもしれない。かなり研究もされているが、藤村はペン倶楽部の国際大会でアルゼンチンだかに行っている。明治の文士は浪人的に移動する。猪木の人生も浪人的である。浪人は転向ししながら移動する。アントニオ猪木と言えばイスラム教であって、その転向の一種であった。この転向は一種の転々の動作そのものであって、北朝鮮にもどこにも彼は転がっていった。そのためにもイスラムはちょっと便利だった可能性がある。現在、もっともインターナショナルな宗教である。藤村にとっては一時期それがキリスト教で合ったのかも知れない。

わたしも木曽出身だから藤村の『夜明け前』における木曽にとっての外部性みたいなものを感じることがある。「破戒」の最後は、信州の山奥からあとどこへ橇は走るの?みたいな場面だけど、そのどこかは東京とか愛知ではなくたしかでない海外なのだ。藤村の作品はどこか全体的にどこでもない場所みたいな雰囲気を漂わせている。大東亜共栄圏みたいなものもそういう感覚と無関係でないのであり、だからこそ必ず実現はしない。日本の移民政策とか拡張主義と無関係ではないのだが、それとはちょっと別の話である。田中希生氏がここらへんは本で展開していた。

ところが、現代は別の空間が出現して、実現しないにもかかわらず実現している感覚が我々に出現した。すなわち、ネットの使用でわれわれは生物的な進化が促進されているのかもしれない。ネットに常駐といえば蜘蛛である。言葉でも事件でもなんでもネタ=獲物を待って食べるだけ。我々は人間ではなく蜘蛛に進化しつつある。浪人的に転がっていった人間たちは今いずこである。

その一瞬だ。富田六段の右の手が、さっとひらめくように動いたと見ると、モンクスの踏み出した足首をさっとすくい上げた。
 丸太ん棒を立てて、そのいちばん下を力いっぱい払ったのと変わらない。モンクスは自分の足を上に、ずでーんとたたきつけられた。
「ひーい!」
 といったまま、モンクスは、目をひきつらして、ほんとうに気絶してしまったのだ。見物人も気絶したように、黙ってしまった。
     ×
 それからしばらくの間、サンフランシスコのアメリカ人たちは、日本人を見ると、みんな柔道の名人のように思い、日露戦争は、柔道で勝ったのだろうと、まじめに聞く者さえあったという。


――富田常雄「柔道と拳闘の転がり試合」

口よりでる子どもと笑い

2022-10-02 19:17:59 | 文学


あるとき内助に。あはせの事ありて。同じ里より。年かまへなる女房を持しに。内介は猟船に出しに。其夜の留守に。うるはしき女の。水色の着物に。立浪のつきしを上に掛。うらの口よりかけ込。我は内助殿とは。ひさびさのなじみにして。かく腹には。子もある中なるに。またぞろや。こなたをむかへ給ふ。此うらみやむ事なし。いそひで親里へ。帰りたまへ。さもなくば。三日のうちに。大浪をうたせ。此家をそのまゝ。池に深めんと申捨て。行方しれず。

内介の家では、鯉をかわいがっていた。大きくなって家にもあげて食べ物を与えていたりした。その結果、娘ぐらいの大きさになってしまった。内介が嫁をとると、この鯉が嫉妬して娘の姿になってあらわれたのである。内介の子どもを宿していると。江戸のポニョである。

思うに、内助はこのあと、田舎の紅屋や針売りの子ならひっかけたことがあると白状している。しかもこいつは漁師である。魚を文字どおり釣って――ナンパしている可能性は高い。この鯉娘の言っていることは本当ではないか。

子どもがいたのは本当だった。

大鯉ふねに飛のり。口より子の形なる物をはき出しうせける。

龍神たる巴御前の「巴」で思い出すのが、この西鶴諸国話の「鯉の散らし紋」である。男がかわいがっていた魚がしらないうちに男の子どもを宿している話であって、魚って妙な人間味があってこわいのである。人魚や夢応の鯉魚は非常にリアルである。しかし果たしてそうか。

自分の意見を持とう、という教育をしながら、証拠がないことは言っちゃ駄目、みたいな教育をすれば、その帰結として、自分が証拠とみなすものだけを強弁して自分の意見は変えないやつが出来上がるのは当然。教育の効果は遠い未来にあらわれるものもあるけど、単純な方向性はすぐさま効果があるもんだ。もしかしたら、この鯉女は、そういうやからかもしれない。人間の世界でエビデンスがありゃいいという教育でも受けたか。で、どこかの男子でも飲み込んで舟ではき出したのかも知れないのだ。

「見える化」とか「エビデンス」至上主義というのはおなじものだ。この二者は我々の言語の世界に対立している、それらはいろいろなものをあいまいにし隠しているからである。しかしそうでないと、我々は善悪をはっきりしている暇がない人生において、我々は生きていけない。むかしからぼやき系の漫才というものがあって、ボケとしてのぼやきにどの程度の偏見をまぜて、どの程度突っ込んでどうやって落とすかは、観客の持つ偏見との関係で腕の見せ所だ。人生幸朗・生恵幸子はそのへんうまかった。笑いは、善悪の判断とは異なる「認識の発見」の一種で、それが失われて何かを守ろうという笑いは何か違うもんになってしまう。しかも簡単になるのだ。ダウンタウンや爆笑問題が炎上を繰り返してしまうのは、何かを守る笑いに切り替わったからである。

力持ちの魂と肉体

2022-10-01 16:01:08 | 文学


大佛一代。むねんにおもふうちに。男子ひとり。もふけぬるに。おとなしくなる事をまちかね。はや取立の時分より。六尺三寸の棒を持ならはせ。三歳の時は。はや一斗の米をあぐる。それより段々仕込。八歳の春の比。手なれし牛の。子をうみけるに。荒神の宮めぐりもすぎて。やうやううしの子もかたまり。我と草村に。かけまはるを。とらへてはじめて。かたげさせけるに。何の仔細もなく持ければ。毎日三度づゝかたげしに。次第にうしは。車引ほどになれども。そもそもより持つゞけぬれば。九歳時もとらへて。中ざしにするを。見る人興を覚しぬ。

アントニオ猪木が亡くなった。力持ちであった。彼はビンタをして魂を注入するみたいなショーで人を沸かせた。戦後の問題が、体と魂の問題であることを分かっていたわけである。

大谷翔平さんがこの調子でヘーゲルの新解釈とかやりはじめたら、もう我々は死ぬしかない。魂で勝負しようとする人種の目の上のたんこぶがスポーツ選手である。大谷氏は童顔なので、学者達はさすがに思想は子どもだろうと大谷氏を見くびっているのかも知れないが、そうとは限らないことを知っているのは学者達本人である。体調がよくないと魂が死ぬことを彼らほど知っている人種もいないからである。

宇多田ヒカルの「花束を君に」が朝流れていた年は、わたしの人生も「底3.0」みたいな気がした。絶対朝それを聞いていたからであろう。宇多田氏のように、魂を歌うことの出来る人たちは、歌えなくなったら死ぬのであろうか。宇多田氏は途中で「人間活動をする」と言って歌手を中断したことがあったが、母親の自殺はそれへの反論のようであった。

教育実習参観に行ってら、低学年の子どもの動きの方が自分の動きに近いと思った。これははじめての感想で、たぶんこちらの老化が原因だ。アカデミックな場が老教授みたいなもので表象されることがあるように、どことなく老人性?みたいなものは学校には必要なんだと言っても、この感覚も滅びつつある。学者達は魂であることをあきらめ、生活に復帰してしまっている。肉体の衰えは単なる衰えになってしまう。小学校1年生の国語の教科書に載ってる「かいがら」という作品がある。かわいい友達のために自分が好きなかいがらをプレゼントし、二人で海の音を聞く話である。小学生はどう感じるか知らないが、こういう話を読むと、中年以降の魂にとって、心ではなく五臓六腑が泣くような気がする。

東浩紀氏が、家族などが被害に遭った当事者にとって正義の怒りを持つのは許されるし義務でもあるが、そうではない場合はいろいろな事情を考えてしまうことは当然だし、そうあるべきだと言っていた。東氏の言っている正義の怒りは肉体的な感覚に依存している。氏は肉体的な人である。東氏の文章読んで、そういえばおれは子どもの頃から当事者感覚があんまりなく、当事者になった時になにか主張がハッキリするとはあんまり思えないところがある、と思った。これは小さい頃の病気のせいで、その当事者であることから逃避したかった感覚に関係ある気がする。永遠に傍観者的であることが健康であるような気がしてしまうのである。

自分の体が意図通りに動くか、みたいなことはスポーツだけじゃなく仕事にもいえる。やはり若い頃練習した方が勝つのは本当である。しかしその練習によって実現するものは、案外小さい側面に過ぎない。大谷や落合だって、全体がうまく作動しているのではなく、いつもすぐ実現するある核を中心に作動している。大概のひとにとっては、得意なことというのはほんの小さいところにしかないが、それがないと体は動かないのである。仕事のマニュアルがしばしばうまくいかないのは、要素を組み合わせればうまくいくみたいな思想だからである。積み木は人間にならない。わたしは、その意味で、デジタル化・マニュアル化された「人生百年」といったものより、「**バカ一代」みたいな考え方の方が、高度な知恵だと思うのである。

そういえば、小学校の担任の先生(牛丸先生)がプロレスを嫌ってて、「暴力の見世物で嘘が混じってるから」というのがだいたいの理由だった。たぶん、戦中派の先生にとって、戦争の暴力体験から、プロレス的なものの隆盛が戦後の暴力の隠蔽=平和の「嘘」くささにみえていたところがあるかもしれない。そりゃまあ戦後の娯楽は嘘の暴力をどこまで本当らしくするかの世界なわけであった(野球の「乱闘」というのも一種のプロレスだった)。戦前の武士道的チャンバラとはちょっと意味が違っていた。たしかに先生の小説は徹底的に暴力が排されていた。しかし、平和思想が非常に観念化したり、その反動があったりする現象が戦後の良心的な人々のなかにあったことは確かである。その矛盾は、平和的な暴力を身体で表現出来てしまうプロレスに太刀打ち出来ない。

わたしはあまりプロレスは好きじゃなく、マッチョマンが鉄の玉投げたりする方が好きだ。それのほうが肉体と魂が調和している気がするからである。が、学問の世界にはよくわからんが結構なプロレス好きがいるのでこれは一体どういうことなのか分からなかった。おそらく、学問というのは喧嘩というよりプロレスみたいなところがあるのだと思う。対して、小説の創作は、鉄の玉を投げる方である。