★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

私の事柄を、読み書きの上に、私はすえた

2022-10-05 23:26:10 | 文学


是非に婿になりて。たまわれと頼む。それがし旦那もあれば。内談申てのうへに。御返事と申せば。それまで間のなき事ぞ。申掛て合点まいらすば。是までの。命とおもひ切を。いづれも出会。爰は何とぞあるべし。我ゝに御まかせあれと申うちに。乗物長持かき入ける。此娘の美人。東に見た事もない姿。

やっと店を分けてもらい独り立ちした男の所に、かってに娘と金を置いていった浪人がいた。娘は東国では見たこともないような美人であったという。こんな都合のいい話があるかいな、と思うが、――こんな話があること自体は庶民にとって悪い事でない。ようするに、かれは読み書きそろばんの正確なやからなのだ。人間、それができりゃいいことがあるという教訓だ。ミスない事務ができる人間が多いことは重要である。事務というのは、伝達としてのコミュニケーションのスムーズさであって、これがないと文明は崩壊する。

外国語も毎日勉強しなきゃできるようにはならないと思うが、古文や漢文もそうである。毎日この二つは少しづつやっているが、ほんと僅かな維持・進歩しかない。というより、すべて毎日やってもスラスラと読めるようにはならない。ちょっとましになるだけだ。そういうものなので、コスパみたいなのは基本的に人に基本的作業をやらしてすむ博打打ちのせりふである。

子どもをみりゃわかるけど、コスパ云々役にたつの云々と「言う」人間が明らかに進歩しない自己に対するプライドを保とうとして必死なのはよくある話である。知に対する尊敬だけを維持し、将来、出羽の神になりゃましなほうである。海の外からやってくるものについてのどろくさいくそ勉強でなんとか自分を保つのがおれたちの宿命なのだ。ヨーロッパとまともにぶつかって日も浅く、あと何百年かしてやっと独自なものにたどり着く可能性があるかもしれない。鎌倉仏教だって仏教伝来から結構時間かかった。空海なんかはこれから復活するかもしれないが、我々の習合的知の成立には時間がかかる。それまで根性で乗り切るしかない。焦らなくても俺たちの生涯は風の前の塵に同じなのでたいしたことなし。コスパよく消えてなくなる。

ノーベル賞の季節で、日本人はこれからとれるかわからんぜ、という空気がある。アカデミズムのなかにいるわれわれでさえそう思う。我々が困っているのは、学生、大学人も含めての事務的能力の低下である。だから、伝達のために日中のかなりの時間をとられて孤独になる暇がない。ハラスメントの研究ってどれだけ進んでいるのか知らないが、直接的間接的原因が、読み書きそろばんレベルのミスから始まることが多いんじゃないかと思う。残業の多さもたぶん全く無関係じゃない。――しかし、それにしても、学生達もふくめてなぜ、これほど伝達が下手になっているのに、知力がまだそこそこ維持されていると錯覚出来るのであろうか。

自分の部屋に本を並べておいただけでなんだか頭よくなった気がするそのつまらない虚栄心が大事などと、学生に言う人は多かったし、たぶんほんとなのである。しかし、インターネットの発達で、別の意味でのかかる脳内環境が成立し、我々は虚栄心の量的増大を目撃してるというのはある。虚栄心とはやっかいな代物である。

確かに学生はコロナ禍のなか、外で出るなみたいなことがあったんで、課題が多いのはかわいそうだった。部屋の外に出てかえって課題はこなしてゆけるものなので。ただし課題自体はまだまだ少ない。完全に勉強不足なのである。

しかし、そう他人に頼るのがそもそも間違っているのかも知れない。わたしは小さい頃から、「ウルトラマン」のイデ隊員が好きで、すごい武器を一晩でつくってしまうからである。そのかれが科学特捜隊という軍隊組織で狂言回しまでやってのけて集団の潤滑油となっている。まさに科学者万能の時代であった。ついでにウルトラマンに変身すればよかった。遠慮していたに違いない。「マジンガーZ」の兜博士にしてもドクターへルにしてもほとんど一人でロボットを作り上げていた(ようだ)。彼らの論文はほとんど単著にちがいない。そういえば、むかしはわからなかったし、いまもわからんが、このひとたち、ろぼっとをあんなにつくる金をどこからむしりとってきたのであろう。こんど科★費の書類の書き方を教えて欲しいものだ。

むろん、そんなことはない。いまもむかしも勉強とは読み書きそろばんをミスなくやる能力をみにつけることであって、日本の強みは、そういう事務的能力が安定した中で、一部の変態が独創性を発揮してたところにある。日本の庶民が事務方的だったのである。いまは主体性の教育とかいうて、主体的幇間をつくっている(北朝鮮の「主体思想」を想起せよ)。で、大方が幇間になったところから一部の変態が独創性を発揮出来るか。そうはおもわない。雰囲気的にわかるだろそんなこと。アニメーションのなかの科学者は独裁者的であった。部下が、国家や企業などの幇間であったらこまる。だから彼らには独裁的に振る舞うしかない。

"Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt." (私の事柄を、無の上に、私はすえた。)


科学者たちの無を支えるのは読み書きそろばんだ。