野は菊萩咲て。秋のけしき程。しめやかにおもしろき事はなし。心ある人は哥こそ。和國の風俗なれ。何によらず。花車の道こそ一興なれ。
マネジメントみたいなことを考える人が例えば「矛盾」みたいな抽象性に依存しているのは気になるところで、それがいかなる解決に向かおうとも、二項対立どちらかの妥協やバランスといった、ある種の欠損をともなうことを覚悟にしているところがあり、それはそれで分かる部分もあるが、解決らしきものが仄見えたら、矛盾の実体がみえなくなることは屡々である。だいたいマネジメントというのは、観察をすっとばす手法なのだ。
その観察は、ある種の「空間」の維持を伴う。茶道や華道がある空間の成立と無関係でなく、しかしそれが空間であること自体はそれほど美的に認識されるわけではないので、上のエピソードなんかは「奈良」の茶人のはなしということになっている。塩崎太伸氏の『空間の名づけ』を読み始めたが、面白く、――まずもって日本語の扱い方が面白いのでちゃんと読んでみようと思う。空間の名付けの問題を看過していろいろな改革をするとわれわれは非常に心を破損する。石原慎太郎の文士的感覚はそれをよく分かっていて、「首都大学東京」なんていうねじれた空間名をつくった。名付けによる、大学解体である。
藤村は『夜明け前』は完成したけど『東方の門』は時間切れだった。しかしこれは時間切れ以上の感じがする。多くの人がこのテーマで時間切れを起こしている気がする。この空間的なテーマはわれわれの苦手とするところだ。茶室や木曽のような空間ではなく、名づけが追いつかないのである。そのかわり、アントニオ猪木氏みたいな人が「東方の門」のようなものを実現するところがあったのかもしれない。かなり研究もされているが、藤村はペン倶楽部の国際大会でアルゼンチンだかに行っている。明治の文士は浪人的に移動する。猪木の人生も浪人的である。浪人は転向ししながら移動する。アントニオ猪木と言えばイスラム教であって、その転向の一種であった。この転向は一種の転々の動作そのものであって、北朝鮮にもどこにも彼は転がっていった。そのためにもイスラムはちょっと便利だった可能性がある。現在、もっともインターナショナルな宗教である。藤村にとっては一時期それがキリスト教で合ったのかも知れない。
わたしも木曽出身だから藤村の『夜明け前』における木曽にとっての外部性みたいなものを感じることがある。「破戒」の最後は、信州の山奥からあとどこへ橇は走るの?みたいな場面だけど、そのどこかは東京とか愛知ではなくたしかでない海外なのだ。藤村の作品はどこか全体的にどこでもない場所みたいな雰囲気を漂わせている。大東亜共栄圏みたいなものもそういう感覚と無関係でないのであり、だからこそ必ず実現はしない。日本の移民政策とか拡張主義と無関係ではないのだが、それとはちょっと別の話である。田中希生氏がここらへんは本で展開していた。
ところが、現代は別の空間が出現して、実現しないにもかかわらず実現している感覚が我々に出現した。すなわち、ネットの使用でわれわれは生物的な進化が促進されているのかもしれない。ネットに常駐といえば蜘蛛である。言葉でも事件でもなんでもネタ=獲物を待って食べるだけ。我々は人間ではなく蜘蛛に進化しつつある。浪人的に転がっていった人間たちは今いずこである。
その一瞬だ。富田六段の右の手が、さっとひらめくように動いたと見ると、モンクスの踏み出した足首をさっとすくい上げた。
丸太ん棒を立てて、そのいちばん下を力いっぱい払ったのと変わらない。モンクスは自分の足を上に、ずでーんとたたきつけられた。
「ひーい!」
といったまま、モンクスは、目をひきつらして、ほんとうに気絶してしまったのだ。見物人も気絶したように、黙ってしまった。
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それからしばらくの間、サンフランシスコのアメリカ人たちは、日本人を見ると、みんな柔道の名人のように思い、日露戦争は、柔道で勝ったのだろうと、まじめに聞く者さえあったという。
――富田常雄「柔道と拳闘の転がり試合」