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とても運がれぬ道をいそがせ、首打つての暁の日、親の様子を聞きて、隠れ身をあらはし出けるを、そのまま、これもうたれける。 何国までか、一度はさがさるる身を、かくしぬ。
「旅行の暮の僧にて候」は、すさまじい娘の話である。子ども時代、雪に困った僧を泊めておいて、その僧が持っていた金を親に強奪させる。腰元奉公に行ったら主人に色を仕掛けてものにし、奥様を殺傷する。引き出された親はあっさりと首を打たれ、それを知った娘はついに自首して打ち首となる。
我々の孝行の感覚には、こういう陰惨な風景が頭にちらついているのではなかろうか。儒教や教育勅語だけで絆が、なにやらを積載した空車(鷗外)のように我々を圧するわけはないのだ。
鷗外は空車のような人であった。彼はほんと頭いい男で車に多くのものを積んで書いていた。しかし彼のやったことは後から見たら土台作りのことだった事柄も多く、案外日本の風潮だと、当たり前のことをやっているみたいなかんじで評価が下がるみたいな現象が起きる。積んでいたものが消えると空車にみえたわけである。世のなか、ちょっと「ぐれた」芸風のひとが革命家みたいな顔をする。
その空車にはいろいろなものがあったが、鷗外が晩年、自分たちのもともとの心車の輪郭を描こうとして過去に帰っていたのは当然である。そこには、高瀬舟のような、お上への感覚や山椒大夫のような親への感覚があって、まだまだあったが――途中で彼は死んでしまった。芥川龍之介もやりかけで死んだ。柳田國男も坂口安吾もやりかけで死んだ気がする。
こういう生き方は果たして、死からの逆行みたいなもので説明つくであろうか。彼らはほかにやることがなかったというのもあるが、その生活は、まるで「生きたふり」をしていたようなものだった気がする。ちょっとイデオロギーに間違われることを恐れなかった三島由紀夫のせいで混ぜっ返されてしまったが、それは「死んだふり」みたいな偽装的なものではなかった。