伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ヴァンパイレーツ11 夜の帝国

2013-04-16 21:07:03 | 物語・ファンタジー・SF
 海賊船(ディアブロ号)とその属する「海賊連盟」、吸血海賊船ヴァンパイレーツ(ノクターン号)と反旗を翻して独立したシドリオたち、ディアブロ号とノクターン号に命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。
 11巻では、10巻までで実はシドリオの子で人間とヴァンパイアのハーフの「ダンピール」であると知ったコナー、グレースがそのことに悩みつつそれを受け入れ、チェン・リー(海賊船タイガー号)やモッシュ・ズー(ノクターン号)側でもその事実とそれに基づく思惑からコナーとグレースに使命を課し、シドリオはコナーとグレースを取り込むべく招待し、コナーとグレースがシドリオの元を訪れるという展開になります。
 10巻でコナーが首をはねたローラがあっさり復活し、作者が気が変わったのか元々の構想なのかわかりませんが、まだ続きそうな感じです(原書は2011年に第6巻:"IMMORTAL WAR"が出版されています)。
 日本語版11巻は、原書第5巻(原題:EMPIRE OF NIGHT)を例によって小分けして訳した1つめです。読者の興味をそそるプロローグがあり、これは作品の途中のハイライト部分につながっているのですが、これが日本語版では小分けされているがために11巻の中ではそこに至りません。原書の読者はプロローグの続きにたどり着けるのに、日本語版の読者は12巻が(場合によれば13巻が)発売されるまでそこにたどり着くことができません。これまでの前例からすると12巻が発売されるのは11巻発売の4か月程度後で2013年8月と予想されます。「トワイライト」シリーズでも声高に文句を言い続けたことですが、こういう販売政策、もうやめてくれませんかねぇ。読者をバカにしてると思います。製本や価格の関係でどうしても分冊にしたいなら、せめて一気に発売して欲しい。


原題:VAMPIRATES:EMPIRE OF NIGHT
ジャスティン・ソンパー 訳:海後礼子
岩崎書店 2013年3月31日発行 (原書は2010年)
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猫はときどき旅に出る

2013-04-15 20:24:44 | 小説
 楠三十郎という名の小説家兼脚本家兼演出家兼映画監督が小説を書くのに苦慮し芝居と映画で生じた多額の借金を抱え、苦心惨憺しながら南極やアメリカを放浪する様子を描いた、自伝的小説。
 3部構成を採ってはいますが、初出が「すばる」の第1部が2001年12月号、第2部が2003年12月号、第3部が2012年9月号という、11年越しで、エピソードも重なっていますが、トータルのストーリーとしての展開はあまりなく、酒浸りの愚痴と妄想を読ませる作品という気がします。
 アルコール漬けの三十郎の酔った頭に浮かぶよしなしごとで、「人妻を略奪する勇猛果敢、純粋劣情、あとは野となれ山となれ精神が長寿の源である」(15~16ページ)と断言されています。う~ん、深遠な人生の極意か…残念ながら私は長生きできそうにない。
 タイトルの主語は猫なのに、冒頭に「これは猫の話ではない」と書かれ、猫が初めて登場するのは全体の7割が流れ去った243ページ。与太話とアル中の妄想につきあうのがかなり苦しくなった挙げ句のことです。
 本の作りが、右ページでもページ数が左肩に振られていて、こういうの、しゃれてるようにも思えるけど、実際にページを繰っているとやっぱり見づらいとわかりました。


高橋三千綱 集英社 2013年2月28日発行
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「生きづらい日本人」を捨てる

2013-04-14 19:07:17 | ノンフィクション
 日本で生きることに疲れてアジアで生きる日本人の話を聞き書きした本。
 日本であくせくと働いたがストレスがたまり、どこか心が壊れた人々がアジアに渡り、日本とは違うゆるい時間の流れと人情に癒されて、新たなアジア的な価値観で生きている姿を描いたレポート、とタイトルから思い描きました。確かに前半は、そういう話です。零細企業の社長業のつらさ、「給料-。それはずしりと重く肩にのしかかってくる。針のむしろとはよくいったものだ。ちくちくと、常に胃に針が刺さるようなストレスがある」(21ページ)とか、う~ん、零細企業経営者でもある立場としてはよくわかります。そういうストレスから体や心を壊した人がアジアに移住してそこで儲からなくていいとゆるく過ごす話が、前半は続きます。納得の行く有機栽培を続けるために目の届く規模にこだわり、規模を拡大すれば儲かるのに少ない収益に踏みとどまる第6話のような話は、美しくもあります。
 しかし、現地の人々の間では日本人=金持ちという先入観からふっかけられたり、受け入れられず、アジアに行けばうまく行くということも幻想だと知るが、しかし日本ではもうこの年では仕事も見つからないことから帰国するわけにもいかないという話も一方で繰り返され、終盤では日本企業がコールセンター業務をアジアに移し、そこで日本人をアジア人より安く雇うという、日本での非正規労働がそのままアジアに移されただけのような話、さらには夢破れてタイでホームレス生活をする日本人の話も登場します。第8話で紹介されている「バンコクで会社を経営する知人の話」が象徴的です。「いまね、現地雇いの募集を出すと、どっと日本人から応募が来るんです。バンコクに住んでいる人だけじゃなくて、日本からも。給料は安いですよ。三万バーツもいかない。」「当然、能力のありそうな人を選びます。もう、現地雇いも狭き門なんですよ。コールセンターで働いている人にしたって、簡単に現地雇いに転職できないんです。昔はこんなことなかったんですけどね。とにかく日本人だったら、誰でもいいような時期はありました。それも給料は五万バーツ。それでも応募なんてほとんどなかった。タイで働くってことは、日本で働くことに比べれば、一格も二格も下。都落ちっていうか、日本落ちっていう感覚でしたから。それがいまや……ね。それだけ日本が厳しいっていうことなんでしょうけど」(212~213ページ)。いまや日本で夢敗れた人がアジアに行きさえすれば楽に生きられるという状況にはない、もともとそれは幻想だったということかもしれませんが。
 それでもなお、アジアに魅せられ、経済的にはアジアでも楽ではないけれども生き方を変え肩の力を抜きほどほどの暮らしを送るというスタンスであれば心地よいという線で、この本はまとめられています。アジアに行けば大名暮らしとか楽園という時代は過ぎ、経済的には楽な生活を望まず現地の人々の生活のリズムやスタンスになじめるのならばアジアはいいよという、人を選んだお誘いの本かなと思います。


下川裕治 光文社新書 2012年12月20日発行
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エストニア紀行

2013-04-13 19:35:11 | エッセイ
 ロシア、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ソ連と周辺諸国に支配され続けた森と湖沼の小国エストニアを首都タリンから郊外、島部へと旅して人々と歴史に彩られた建物と風物、食べ物や民俗、そして森、茸、苔、葦、鳥たちの様子を綴った紀行文。
 さっぱりとしているようで少しウェットな文体と、水辺と鳥への思い入れ、人々への柔らかな視線がつくるこの著者の独特の世界に惹かれます。
 チェルノブイリの放射能汚染のために人の立入が制限されている地域で野生生物が「繁栄」していることについて、放射能による変異種がほとんど見られないことを野生生物の場合変異種は死に、人の目に決して触れないのはその前に腐食動物が食べてしまうからと指摘した上で、「ヒトといてその経済活動の影響を被り、絶滅するよりは、たとえ短命になろうが、遺伝子に傷がつこうが放射能の方がまし、というわけなのだろう。」「だから放射能で汚染されても大丈夫だ、といっているのではない。ヒトはここまで嫌われているのだ。ヒトが生活する、ただそれだけで、多くの種が絶滅に追いやられている。放射能汚染よりも遥かにシビアに。薄々は気づいていた事実だったが、こうもはっきり知らされると愕然とする」(145ページ)と嘆いています。茸や果実、森の収穫への賛美と喜びの記述が続く中では、チェルノブイリ原発事故でまき散らされた放射能への言及はなく、終盤で「一九八六年四月二十六日、チェルノブイリ原発事故発生後、二日間にわたって風はスウェーデン方向に吹いた。実はそのことを、この旅で森の中に行く都度、何度も考えた。」「エストニアもまた、無傷でいられたはずがない。森や海とともに生きるということ。それは悲壮な覚悟の余地すらない、生物のごく当然な在り方なのかもしれない、としみじみ思う」(153~154ページ)と書いています。放射能汚染が生じても、結局動物やそして多くの人々もそこで生き続けるしかない。「けれどこういう幸福も、ある種の覚悟を持ってしか獲得できないものに、時代はなりつつある。昨年(二〇一一年)の冬はいつも摘むスイバの生えている地の土壌が放射能で汚染され、その深紅色の葉を摘むことはできなかった。アケビも茸も、クルミもヨモギも野苺も」(175ページ)という嘆きとあわせて、静かな抑えた怒りと読むか、抗議を回避した諦念と読むか。私は前者と読んでおきたいところですが。


梨木香歩 新潮社 2012年9月30日発行
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放射化学概論[第3版]

2013-04-12 20:21:09 | 自然科学・工学系
 「放射能や放射性元素の分離・測定を行い、また放射能の起源やその効果を明らかにする分野」と定義される核化学または放射化学の基礎と応用を解説した教科書。
 福島原発事故後に改訂されたこの第3版のはしがきでは、「科学技術の応用には光と影の部分があると言われているが、原子核や放射線の利用においてもリスクとメリットの両面がある」と書かれています。初版、第2版ではこのような記述は影も形もなかったことからすれば、どのような「リスク」の記載がなされたのか興味深いところですが、原子炉のところに「注」としてチェルノブイリ事故、福島事故、スリーマイル事故、ウラルの核惨事、JCO事故についての記載が見られるほかには、放射性物質の危険性を想起させる記載はないに等しいように思えます(推進側の文献にいつも見られるように、200mSv以下の線量では臨床症状が確認されていないと書かれています:76ページ)。
 放射性物質を研究し応用する放射化学には、原子炉以外に様々な領域があり、そちらに大きな有用性があるということに目を向けさせて放射化学が生き延びたいという意向と、福島原発事故は注でサラッと触れただけで核燃料サイクルや核融合炉の推進をいう原発についてさえ実はまったく反省していない姿勢が見えます。
 内容的には、放射能測定や分析の領域が興味深く読めました(事故等の度に放射能測定や分析・同定のミスや時間がかかることの言い訳を原子力関係者から聞かされますが、そのあたりの事情が少し見えるという程度ですけど)が、測定値が1回しかないときの信頼性の評価で測定値の平方根を標準偏差として付記する(99ページ)っていうのはどうなんでしょう。標準偏差は多数の測定値があり、その平均値に対して求められるものであり、また平均値との関係で意味があるもののはず。1回しか測定していない測定値は、多数回測定すれば求められる平均値からどれだけずれているかわからないのだから、そのズレがその測定値の平方根に収まる保障はありません。仮に多数回測定した場合の平均値がその1回の測定値とその平方根の幅に収まっていたとしても、1回の測定値±測定値の平方根は、平均値±標準偏差とは意味が大きく異なるはずです。1回の測定値の平方根を「標準偏差」と称して、あるいはそのように見せかけて発表することは誤解を呼ぶことになると思います。こういうことを平気で言える人を、私は信用したくないと思いました。


富永健、佐野博敏 東京大学出版会 2011年11月24日発行 (初版は1983年)
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ピレネーの城

2013-04-11 19:49:16 | 小説
 30年前に学生時代の5年間をオスロで同棲して過ごしたスタインとソルルンが、あるできごとを機に別れ、それぞれに結婚して子どもも生まれた後、想い出のホテルで再会し、電子メールで過去を振り返りつつ現在の思いを募らせるミステリー仕立ての恋愛小説。
 30年前の別れの原因となったできごとを前半では封印して、現在の考えと今に至る経緯を電子メールでやりとりする形式の中で、科学史や宇宙論が延々と冗長に展開され続けます。これは小説ではなかったのかと放り投げたくなるほど独演会が続いた後で、質問に対して答えていないとか逃げだという非難か、場違いに見える賞賛の応答があり、ようやくこれが「会話」だったのだと思い出すということが繰り返されます。電子メールというものが、いかに相手を無視した独りよがりの書き物になり得るのかということを反省するいい材料と言えるかもしれません。
 問題のできごと以来唯心論者でキリスト者だというソルルンに対して、唯物論者と位置づけられるスタインが延々と語るという構図は、「カラマーゾフの兄弟」の大審問官を意図したものかとも見えますが、議論がぶつ切れで一定の結末を意識しそこへと向けた「論」になっておらず、ただ知識をひけらかしただけという印象です。唯心論の立ち位置のソルルンが量子力学から量子の絡み合い、さらにはニュートリノを論じだすのも何だかなぁと思います。互いの批判が、「論」の構成・展開を分析検討したものではなく、また互いに未練・思いを残した元恋人の甘い評価で追及が打ち切られあまつさえ賞賛されたりするので、議論として読みにくく思います。
 30年前のできごとの中身をめぐる部分がミステリーとなっているのですが、後半になってもったいぶって語られたそれは、現実に自分の身に起これば確かに大きなできごとだとは思いますが、前半で哲学・宇宙論的な大風呂敷を拡げた挙げ句に読まされると、あれだけ引っ張ってこれですかとしらけてしまいます。衒学趣味的な科学史・宇宙論的大言壮語をばっさり切り落として、30年ぶりに再会した男女の思いの乱れと恋の駆け引きに徹した方がいい作品になったのではないかと思います。


原題:Slottet i Pyreneene
ヨースタイン・ゴルデル 訳:畑澤裕子
NHK出版 2013年3月10日発行 (原書は2008年)
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リリー・Bの小さなつぶやき

2013-04-08 23:31:48 | 小説
 14歳の少女リリー・Bが、5歳の頃にアイロンでけがした火傷の跡が残るこめかみや左右の太さが違う膝のことや、友人との関係、共働きでバリバリと働いていた両親が次々とリストラされ、不仲になり離婚を決めほかの相手と情事にふける様などに悩み、傷つき、街角で知り合った青年レオンに憧れ、カフェで隣にいたフロリアンやその友人エマとつきあう中で成長していく様子を描いた青春小説。
 あくまでもリリー・Bの目から描かれていて、客観的な事実としての提示はなく、疑いは真実の判明によってではなくリリー・Bの判断によって解決というか解釈されていきます。物語として読むには、回収・解説されない疑問が残っていき、不満に思えます。しかし、自分の身の回りのことも、同様に客観的な真実が判明するというよりは主体による判断の積み重ねで解釈されていくのですから、14歳の少女リリー・Bの目から見た世界としては、むしろ自然な描写ともいえます。ストーリーではなく、リリー・Bの気持ちの揺れ動きを描き、それを味わう作品として読むべきでしょう。
 憧れるレオンと、友人となったフロリアンを引き比べ、「フロリアンとレオンはまったくの別問題。レオンは情熱だもん、まばゆいほどの情熱だもん。フロリアンのことは友達として好き。でもフロリアンの態度にイライラすることがある。頭にくることだってある。だから、私にメロメロになってくれても困るけど、ほかのコのことは好きになってほしくない。彼がしつこくしてくるとはねつけて、離れていったらつきまとうんだ。もし、レオンと再会する日が来ても、フロリアンには苦しんでほしくないな。でも、今はレオンとの再会を待ちつつ、フロリアンと一緒にいるのがいい。」(174~175ページ)という迷いのようにも現実的な判断ともみえる思い、自分の気持ちを認めているような認めたくないような揺れが瑞々しく微笑ましく感じられます。そういう思いをぶつけられる側はじれたりとまどったりするでしょうけれど、「それが青春」「それが恋」でもあって…


原題:LES CARNETS DE LILY B.
ヴェロニック M ル・ノルマン 訳:鳥飼カオル
文芸社 2013年2月15日発行 (原書は2006年)
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中東政治学

2013-04-07 19:59:22 | 人文・社会科学系
 中東諸国(各論ではエジプト、シリア、サウディアラビア、イエメン、レバノン、イラク、アフガニスタン、イラン、パレスチナ)の近年の歴史と政治について、政治学の視点から(編者の言葉によれば地域研究と比較政治・政治学の連結を目指して)解説した本。
 日頃総括的な情報を得る機会が少ない中東諸国の事情について学ぶ手がかりとなる本ではありますが、各国ごとの記載が少なく、書かれている内容は国・地域により異なり、重点の置き方も違っていますので全体として十分な情報を得たという満足感は得にくいように思えます。そして、執筆担当者によりその度合いは違いますが、各地の事情を一般人に読みやすく記述するという姿勢よりも、「政治学」の過去の論文・学説を紹介・引用して政治学の学説と概念に落とし込もうとする姿勢が強く感じられ、ペーパーバックの軽めの装丁等の外観に似合わず学者の世界向けの本かなと思いました。一般人の学習という点では、むしろ巻末の用語解説と体制比較表が本文より有用かもしれません。
 記述の姿勢として、アメリカによるイラク戦争とアフガニスタン空爆の批判を回避する姿勢が顕著です。イラクやアフガニスタンを論じるのに、これらのアメリカの行為については「イラクは、2003年の米軍侵攻という外部介入によって、35年間続いたバアス党権威主義体制が崩壊し民主体制へと移行した」(95ページ)、「9.11事件後、国際社会はアフガニスタンに対し近代的な民主主義体制への急速な転換を強く促してきた。2001年10月に米軍による空爆を受け、11月にターリバーン政権が崩壊して、12月のリスボン合意以降のプロセスの中で暫定統治機構が成立した」(109ページ)と書かれているだけです。軍事介入については国連の「人道的介入」の議論を挙げて人権保護のため内政不干渉はもう妥当しないなどと論じておきながら(217~219ページ)、アラブ諸国の移民労働者に対する人権無視を批判するこれまでの意見に対しては「国際人権レジームの適用を前提に湾岸諸国の移民問題を分析することは建設的ではない」(204ページ)などと述べています(執筆担当者は違いますから担当者の意見の相違かもしれませんが)。そして、この本は、世間では「アラブの春」と呼ばれる民衆蜂起について、一貫して「アラブ動乱」と呼び、シリアのアサド政権の民衆蜂起への弾圧について「こうした動きを好機ととらえるかたちで、欧米諸国が同政権の弾圧を『人道に対する罪』と断じ、経済制裁の発動や反体制勢力の支援を通じて国内の混乱を煽っていることは事実である」(45ページ)などと論じていることに象徴的に表れているように、民衆蜂起に対して好意的とはいい難く、独裁的政権であれ現体制による「安定」を支持する姿勢をとっています。
 私には、学問としての中立性を保っているというよりは、体制側の視点に傾斜したものに見え、アラブの春を経たところでとりまとめられたものとしては、少なくとも一般読者の期待と感覚にはそぐわない本のように感じられました。


酒井啓子編 有斐閣 2012年9月30日発行
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ダンス・ウィズ・ドラゴン

2013-04-06 23:52:06 | 物語・ファンタジー・SF
 龍に見初められた女たち、夫と別居中の滝田オリエ、幼い頃龍の水場に導かれた巽マナミとその兄スグル、輪廻を生きる桐・キリコの不思議な体験・夢、龍との交わりを描いた短編連作ファンタジー。
 初回は、異界に根付く内側が異様に広く時々に部屋と蔵書の配置が変わる不思議な図書館とそこに勤める3人に焦点が当たる、魔法系のファンタジーに思えましたが、その後半でのオリエの龍との交接から第2話のマナミとスグルの関係に行くあたりから、マナミとスグル、そして龍の関係性の方に重心が移行したように見え、読み終えてみれば第1話以外はマナミとスグルの関係が焦点で、意思を持つ不思議な図書館はただのエピソードに過ぎなくなっています。また、オリエも幼い頃の恵まれず愛に飢えた過去が描かれているのにその後中心となるマナミとスグルとの間では過去での共通項も見つけられず、最後まで読むとオリエは何だったのだろうという気がします。そのあたり、今ひとつ一貫性が感じられないというか、途中で気が変わったのかなという印象を持ちました。
 ファンタジーとして読むには、第1話で不思議な図書館を設定したのにその後それを使いこなさずに放置していて、統一した世界観・舞台を作りきれず中途半端な読後感ですし、4話に共通する龍との交接を中心として読むにはその場面があっさりしていてやはり中途半端な感じです。


村山由佳 幻冬舎 2012年5月25日発行
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エアヘッド! 売れっ子モデルになっちゃった!?

2013-04-05 10:02:35 | 小説
 フェミニストでコンピュータゲーム好きの17歳女子高生エマソン・ワッツが、巨大ショッピングセンターのオープンイベントでの巨大モニター落下事故で致命傷を負い、同時に脳死したスーパーモデルのニッキー・ハワードの体に脳移植され、目が覚めたらスーパーモデルになっていたという設定の青春小説。
 メグ・キャボットの日本で出版されたものとしては最新作・新シリーズです。原書では1巻に当たるこの本が2008年3月、2巻の "Being Nikki" が2009年5月、3巻の "Ranaway" が2010年4月に出版されて完結しているようですが。
 一夜明けたら美人でナイスバディのスーパーモデルになっていてイケメン男たちに迫られるセレブライフが待っていたという憧れの設定に、それが見てくれのよさを競う女たちを生気も個性もないゾンビと罵りモデルの頭は空っぽ("Airhead")と評価する学業成績はいいフェミニストのオタク高校生に訪れるという落差を組み合わせたところがこの作品のポイントになっています。1巻にあたるこの本は、その落差をエマソンのモデル業界の連中に対する反感と体が変わり周囲の反応が変わることへの戸惑いという形で示し、それでもたせていますが、2巻以降はどうなっていくでしょうか。すでに仕事面では、半裸に近い姿で女性差別を思わせる媚びたポーズをとることになれてしまったようですし。内心と恋・友情の面でも、エマソン自身がイケメンたちへの憧れと反発を覚える上に、キスされるとノーと言えないニッキの体に挟まれ、エマソンの友人にして想い人のクリストファーはエマソンの死に落胆してスーパーモデルがアプローチしてもほとんど無視状態ですがこれもどこまでそういう態度が続くのか、あと2巻分そのまま続けるわけにも行かないでしょうし。美貌とグラマーな肉体が勝つのか、友情とフェミニズムが勝つのか、まぁさすがに美貌の全面勝利にはしないでしょうけど、エマソンのフェミニズム志向をどこまで日和らせるのかに注目しておきたいと思います。


原題:Airhead
メグ・キャボット 訳:代田亜香子
河出書房新社 2012年8月30日発行 (原書は2008年)
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