なあむ

やどかり和尚の考えたこと

アイヌ語と地名7 尿前

2009年01月13日 12時40分12秒 | アイヌ語と地名

最上町在住の人なら誰でも知っている松尾芭蕉の俳句「蚤虱馬の尿する枕もと」が詠まれたのは、県境堺田の封人の家。

人馬が一つ屋で暮らす姿を詠ったものとされるが、その前日通った関所「尿前の関」の珍しい地名に影響されたという説もある。

さて、尿前。これでシトマエと読むが、実に変わった地名だ。

現在の国道47号線沿いには源の義経一行の伝説が数多く残り、地名などにも伝説との関連が伝えられている。

温泉場の瀬見や鳴子もその一例だが、実は尿前にも、伝説はある。

亀割峠で出産した北の方静御前は、瀬見温泉で産湯を使い、旅を続けた。しかし、国境の山中で産後の腹痛に襲われ、動けなくなってしまった。その時一羽の山鳩がイカリ草をくわえて舞い下りた。北の方がそれを口に含むとたちどころに痛みは止んだ。山鳩が飛び去った跡を見ると見たことのない薬師如来があったので、義経は弁慶に命じて薬師如来堂を建てさせて祀った。北の方は痛みのあまり尿を漏らしていた。それで「尿前」・・・

伝説というのはこのようなもので、ほほえましいと言えばそれまでだが、文字の関係であまりきれいな伝説にはならなかったのだろう。

アイヌ語でシトマエを読むと、「シットマイ」が考えられる。シットは川や路の曲がり角で、オマイは「~があるところ」というアイヌ語の地名によくみられる言葉だ。尿前の地形は、丁度大谷川が大きくカーブしている所でもあるので、「曲がった川のあるところ」という意味ではないだろうか。

似たような地名には、志戸前、志登米等がある。

しかし、なぜ「尿前」という微妙な字をあてたのか、興味ののこる地名ではある。

念のため、芭蕉の俳句の方は、「尿」と書いて「バリ」と読むようである。


アイヌ語と地名6 尾花沢

2008年12月17日 16時32分58秒 | アイヌ語と地名

尾花沢もよくわからない地名の一つだ。

尾花はススキのことだから、ススキ沢のこと、と考えられなくもないが、この地で古来よりススキのことを「尾花」と雅な言葉で呼んでいたとも考えにくい。

「オバナ」というままではアイヌ語にもなりにくいと思っていた。アイヌ語地名の本などにも見つけたことがない。

そんなとき、ふと思い出したのが高校時代のこと。尾花沢地区付近から通学してくる同級生は尾花沢を「オバネ」と呼んでいた。

それは尾花沢を省略してそう呼んでいたのかと思っていたが、もしかしたら、古い人々は古来そう呼んできたのではないか。つまり、元の呼び方は「オバネ」だったのではないかと思いついた。

オバネであれば、アイヌ語の「オン・ポ・ナイ」が考えられる。意味は「深く小さい沢」という意味で、秋田県に生保内(オボナイ)がある。

オンポナイがオバナイになり、サパナイがサバネになったように、ナイがネに変化してオバネになったと考えられる。

それに漢字をあてるとき、「オバナ・オバネ」に「尾花」をあて、「ナイ・ネ」に沢をあてて和読みしたと考えれば地形との合致もみられる。

尾花沢市の専門家に尋ねたわけでもなく、これはあくまでも私見であるので、訂正の情報があれば是非お願いしたい。


アイヌ語と地名 5 猿羽根

2008年11月11日 21時20分20秒 | アイヌ語と地名

最上地方の地蔵尊霊場として信仰を集めているのが「猿羽根山地蔵尊」だ。

「さばね」という言葉、「猿・羽・根」という当て字からも意味が読み取れない。

「猿が一跳ねで越せるような山峡の迫った場所」という説もあるようだが地形には合わない。

似たような地名は東北に散在し、岩手県の佐羽根、青森県の佐羽内、秋田県のサルハナイ(漢字が出ない)などだ。

これをアイヌ語で読めば「サル・パ・ナイ」で、「サル」や「サラ」は谷地と同じように、葦原の湿地の意味。「パ」は上手、「ナイ」は川、沢となる。「ナイ」は「ネ」に変化しやすい。直訳すれば「湿地の上手の沢」となる。

最上の猿羽根という地名は、元は今の地蔵尊がある山ではなく、麓の富田のあたりを指していたらしい。私の父などは富田の林昌院さんを「猿羽根のお寺」と呼んでいて、不思議だと思っていた。地元の人も富田を猿羽根と呼ぶらしい。

元々の湿地帯であった場所は、稲作が入ってきてからほとんど田に変わっていった。田に変わるとともに地名にも変化がおこることがあった。「富田」という地名は文政年間に改名したものという。

猿羽根山は、元猿羽根村の山ということから呼ばれたものであって、地名の原点ではないということだろう。

羽根の生えた猿がいたわけでもなさそうだ。


アイヌ語と地名 4 岩木

2008年11月03日 21時30分14秒 | アイヌ語と地名

河北町の字名に「岩木」がある。

「岩」と「木」なので地名としても違和感はなく、「木のある岩のところ」や「岩のような木」などからの地名としてもおかしくないのだが、これもアイヌ語だという一説がある。

「いわき」をアイヌ語で読むと「エ・ワク・イ」で、意味は「神々の・住む・ところ」となる。

高い山や大きな岩のある、神々しい場所をそう呼んできたのだろうか。

「岩木」も「岩城」も「磐城」も「いわき」も東北に多く分布する地名で、岩木山のように山間に多いことも確かなようだ。

アイヌの人々も、また縄文の人々も、自然のあらゆるものに神の存在を感じ、畏敬の念を以て接してきた。

特に山は獲物を与えてくれると同時に、災害を及ぼしたり災害から守ってくれたりする存在であったろう。そこに神をみたのは当然のことと思われる。

そこに特徴的な岩や木があれば尚のこと「神が住まいするところ」と感じたのではなかったろうか。だから「岩木」の当て字もまんざら外れてもいないということになろう。

「イワキ」と呼ばれる地区に神社や古い寺院があるとすれば、それはやはり、古来よりその地を神聖な場所ととらえてきたからではないだろうか。

古代より神聖な場所としてきた地に今住んでいる人々は、その地名の由来を知ることによって、自分の住んでいるところを「いいところだ」と自覚することができるのではないだろうか。


アイヌ語と地名 3 谷地

2008年10月18日 19時16分30秒 | アイヌ語と地名

22年前に河北町谷地に住んで何年かしてから、「谷地」という地名が「アイヌ語」だということを知り、それ以来地名とアイヌ語に興味を持つようになった。

正確にはアイヌ語というよりは、アイヌ語と同じ言語の地名と言うべきだが、ここ東北地方では「谷地」はほとんど「湿地帯」というそのままの意味で使われているように思う。

谷地、谷地田、谷地小屋など、地名も散在する。

古代の日本の地形は葦が生い茂った湿地帯が多かった。だから、湿地帯を指す言葉が多く生まれた。「ニタ」「サラ」なども湿地の意味で、仁田山、皿沼なども、これらの転用かと思われる。

アイヌの人々も、縄文の人々も、言語はあっても文字を持たなかった(文字に代わるものがあったのかどうかは知らない)。それらの人々が住み、呼び習わしてきた土地の名前に、後の人々が外来の漢字をあてたのが現在の地名だ。もちろん後からやってきた人々がつけた地名や改名した地名もある。

古い地名で、現在の日本語では意味がよくわからない場合など、アイヌ語で読んでみるとその地形にピッタリの意味が浮かび上がってくることがある。

そんな時、古代の人々がここでどんな生活をしていたんだろうと想像するとワクワクしてくる。

厳しい自然環境の中で、子を産み育て、争ったり協力をしながら子孫を残してきた。それが我々の祖先だ。

地名にはそんなことを考えさせてくれる魅力がある。


アイヌ語と地名 2 及位

2008年09月26日 16時52分47秒 | アイヌ語と地名

難読の地名は全国各地にあるが、その代表格の一つと言えるのが「及位(のぞき)」だろう。山形県最上郡と秋田県由利本荘市、大仙市にある。

難解なために、その由来には色々な推測がなされ、「山から周囲をのぞいた」というような解釈がなされてきたようだ。では何故「及位」という漢字を当てたのか、一説によると、修験道の山伏が、高い岩山の絶壁から体を突き出して眼下をのぞく荒行をするとなにがしかの「位」に達することができたのだと。

では、そのような岩場が山形県と秋田県のそれぞれに存在したのかというと、どうもそうではないらしい。

「ノゾキ」をアイヌ語で解読すると、「ノ・ソッキ」で、「よい・ねぐら」という意味になる。獲物の熊などがねぐらにしている場所、つまり、縄文の人々にとっての好猟場であった。

山形県の及位も、秋田県の及位も、山深い地形にあり、熊などのねぐらであったこともうなずける。但し、どういう理由で「及位」という字を充てたのかはいろんな説があるが分からない。

また、地籍の上で納税を免れた地域に「除地」という意味で、つけられた可能性もある。

川西町に「莅」、宮城県に「除」と書いてどちらも「ノゾキ」と読む地名がある。

余談だが、70年代に活躍した(現在も活躍中)フォークシンガーであり画家でもある、友川かずきの本名は「及位典司」。秋田県旧山本郡八竜村の出身で、おそらく先祖が及位から移り住んだのだろう。友川は「のぞき」という語呂を嫌って「友川」にしたと言われている。

(参考資料:大友幸男「日本のアイヌ語地名」他)


アイヌ語と地名 1 浅虫

2008年09月25日 11時27分06秒 | アイヌ語と地名

先だって青森県の浅虫温泉に1泊した。

同行の青森在住の友に、「浅虫」ってどこからきたの?と聞くと、昔、ここで「麻」を「蒸し」たらしい、との答え。それがどうして「浅虫」になったのと聞くと、「さあ」とのこと。

地名に関心のない人にはどうでもいいことなのだろうが、興味のある者にとっては、珍しい地名は、その由来が気になって仕方がない。

「浅虫」という虫がいたとも思えないし、かといって、麻を蒸したからという理由も腑に落ちない。青森だし、アイヌ語なのじゃないかと思い、帰ってから調べたら、案の定アイヌ語源の地名だった。

地名は、元々そこに住んでいる人々が呼び習わしてきた呼び方を、後から来た人もそのまま踏襲することが多く、古くは縄文時代の言葉が地名に残っているとも言える。いわば地名は言葉のタイムカプセルのような意味を持っている。

北海道に、元々北海道に住んでいたアイヌの人々の地名が多いのは当然として、「アイヌ語」とは言えないまでも、アイヌの人々と同じ言葉を使っていた人々が本州にもいたわけで、意味不明の地名が、アイヌ語で読み解くと分かるという例は、東北、関東から、西日本まで分布していることが分かっている。

何故私がアイヌ語と地名に興味を持ったのかは、追々語ることにして、珍しい地名、意外な地名とアイヌ語の関係を少し紹介していこうと思う。

さて、浅虫。

アイヌ語で「アサム」(パソコンの関係上、大雑把にカタカナ表記するが、知里真志保の表記に依れば、「ア」がカタカナで、「サ」はひらがな、「ム」は小さい字をあてている)は、「湾・入江・沼などの奥」、という意味で、「ウシ」はこの場合は「場所」ほどの意味なのだろうと思う。

つまり、合わせると「湾の奥の所」というのが、アイヌ語での「アサムシ」の意味となる。

浅虫を地図で見ると、ちょうど青森湾の一番奥に位置し、その地形からも、上記の意味と考えて間違いないだろう。

大和民族は、アイヌや「蝦夷」と呼ばれた原住の人々を蔑視した歴史があり、地名も原住の人々に由来することを嫌い、色んな意味づけを考えてきたのだと思われる。しかし、それでも地名として残ってきたことは誠にありがたいことで、元々の地名を読み解くと、そこに生きていた人々の暮らしぶりが見えるようで、温かいものを感じる。

今、せっせと地名を壊し意味のない町名や市名が誕生していることは全く持って慚愧に堪えない。